紀平正美
紀平 正美(きひら ただよし、1874年4月30日 - 1949年9月19日)は、日本の哲学者。文学博士。学習院教授、国民精神文化研究所哲学科所員。帝大七生社代表。
紀平正美 | |
人物情報 | |
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生誕 | 1874年4月30日 日本 三重県 |
死没 | 1949年9月19日(75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学文科大学 |
学問 | |
活動地域 | 日本 |
研究分野 | 哲学、国体、東洋思想 |
研究機関 | 学習院、国民精神文化研究所 |
人物
1874年、三重県で生まれた。第四高等学校を経て、東京帝国大学文科大学哲学科に進学。1900年に卒業。
1905年より小田切良太郎と共にゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『哲学体系』を翻訳して掲載し、日本への紹介を始めた。ヘーゲルの『哲學大辭書』(1912年)の編纂においては論理学・認識論に関する記事の執筆を担当した。國學院大學・東洋大学などでの講師を経て、1919年に学習院教授に就任。
1925年、帝大七生社の結成に参加し、代表となった。1932年に国民精神文化研究所が設立されると、研究部哲学科の所員となった。後に同所事業部長も務めた。1936年、同研究所が『国体の本義』の編纂を進めると、編纂委員を務めた[1]。戦時下においては国民精神文化研究所が国民精神を鼓吹する中心的存在となることが期待され、その理論部分において主要メンバーの一人であった。
研究内容・業績
著作
- 著書
- 論文
- 「國民敎育について」『教育』第1巻 1号、1933年
- 翻訳