鎌田大地
鎌田 大地(かまだ だいち、1996年8月5日 - )は、日本のプロサッカー選手。セリエA・SSラツィオ所属。ポジションはミッドフィールダー。日本代表。
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フランクフルトでの鎌田(2022年) | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | カマダ ダイチ | |||||
ラテン文字 | KAMADA Daichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1996年8月5日(27歳) | |||||
出身地 | 愛媛県伊予市 | |||||
身長 | 184cm[1] | |||||
体重 | 76kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SSラツィオ | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 6 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2015-2017 | サガン鳥栖 | 65 | (13) | |||
2015 | → Jリーグ・アンダー22選抜 | 2 | (0) | |||
2017-2023 | フランクフルト | 127 | (20) | |||
2018-2019 | → シント=トロイデン (loan) | 34 | (15) | |||
2023- | ラツィオ | |||||
代表歴2 | ||||||
2019- | 日本 | 31 | (7) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月23日現在。 2. 2023年11月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
プロ入り前
大学サッカー名門の大阪体育大学でサッカーを専修していた父・幹雄が高い技術力のある選手を目指し、父の教えで3歳からサッカーを始める[4]。3歳でクワトロ(キッズFCの前身)に入団。
キッズFC(現・FCゼブラキッズ)では小学5年時に一学年上のナショナルトレセンU-12四国に選出。キャプテンだった小6時には、愛媛県少年サッカー選手権大会で優勝[5]。
中学からは、大阪府岸和田市に住む祖父母の家から通える距離にあったガンバ大阪ジュニアユースに進んだ。しかし主戦場であるトップ下のポジションには井手口陽介ら多くのライバルがいた[6]。鎌田は中学入学時に小柄で150cm程だったが、3年間で175cmまで伸び、成長に筋肉が追いつかず、思うようなプレーができない「クラムジー」に陥り[7]、腰の怪我の影響もあり思うようなパフォーマンスが発揮できず、中3になっても途中出場が多かった。守備面やハードワーク面での物足りなさも指摘され、ユースへの昇格は叶わなかった[8][9]。中学一年時の2009年にJOMOカップU-13Jリーグ選抜に選出され、韓国戦に出場。この時、同じ小学校でキッズFCのチームメイトだった山本亮太が愛媛FCジュニアユースから選出されている[10]。
技巧派を求めている他Jクラブユースへの道もあったが、選手権への憧れやハードワークを身に付ける目的、父の幹雄と福重監督が大阪体育大時代の先輩後輩だった縁もあり、東山高校に進学。一年生ながら出場した第91回全国高校サッカー選手権京都府大会決勝戦では後のJリーガー仙頭、小屋松らを擁し同選手権で準優勝した京都橘高校に2-3で敗れ、惜しくも選手権出場はならなかった[11]。
二年生時、関西強豪校ひしめくプリンスリーグ関西1部2013では、18試合22得点18アシストの圧倒的数字で得点王アシスト王のダブルを達成し[12][7]、チームを3位に導く。東山高校では三年生が早くに引退し三年生不在で臨み4校で争われたプレミアリーグ参入決定戦トーナメントでは帯広北高校戦で2ゴール1アシストし[13]、初戦で前橋育英高校を降した藤枝東高校戦でもゴールを挙げ[14]トーナメントを制し、これらの活躍が翌年のプレミアリーグWESTへ昇格の原動力になった。プリンスリーグの活躍が目に留まり、二年生秋に清水エスパルスに練習参加しゴトビ監督に大層気に入られ清水入団が濃厚だった。
主将を務めた三年時には、高校年代日本最高峰のプレミアリーグWEST2014でチームが最下位となり全18試合で総得点が19点の中、プリンスリーグの活躍で徹底したマンマークに遭い、苦しみながらも得点ランキング4位の10得点を記録した[15][16]。複数の強豪大学から熱心に誘いを受けるが「大学は必要な道かもしれない、でもやっぱり譲れない思いがある。世界的に見て22歳でプロになるのは絶対に遅いと思う。高卒Jリーグ1年目から出ることが理想だし、そうしないといけない。Jリーグの先のことも考えている、世界に出てプレーしたいという夢はずっと持ち続けている、僕の中ではやれる自信は十分にある。」という考えの基[17]、プロ入りを志願し、5つのJクラブが興味を示した中、ゴトビ監督が解任され清水入りが流れて、2014年11月に翌期からのサガン鳥栖への加入が内定した[18]。
サガン鳥栖時代
2015年、サガン鳥栖に入団。2015年5月10日のJ1第11節松本山雅戦で後半27分から途中出場し、J1リーグ戦初出場を果たし、同試合で同点ゴールとなるダイレクトボレーでプロ初ゴールを決める[19]。続く第12節の名古屋グランパス戦では、スコアレスの後半40分から出場し、アディショナルタイムにFW豊田への局面を変える決定的なスルーパスで初アシストを記録[20]。セカンドステージ第1節の柏レイソル戦で2アシスト。2015年8月、京都で行われたU-22日本代表のトレーニング・キャンプに招集される。
2016年6月18日、1stステージ第16節のガンバ大阪戦で2得点し、逆転勝利の立役者となり、MOMに選出される[21]。2016年10月22日の2ndステージ第15節の柏レイソル戦で2得点を挙げ、鳥栖の勝利に大いに貢献して、MOMに選出される[22]、前半40分に豊田とのワンツーで奪った先制点がJリーグ公式から10月度月間ベストゴールに選出される[23]。二年目はリーグ戦28試合出場し7ゴールを挙げる。
2017年5月27日に行われた第13節のコンサドーレ札幌戦では決勝点をあげて自ら結婚を祝った[24]。2017年6月25日、第16節の浦和レッズ戦では先制点をアシストして、自身のラストゲームを勝利で飾った。
鳥栖最終年の2017シーズンには平均走行距離12.80キロを記録し、そのシーズンのJリーグ全選手の中でトップになった。
フランクフルト時代
2017年6月24日、ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトに完全移籍することでクラブ間が合意したことが発表された[25]。その後6月29日にはフランクフルト側から、鎌田と2021年までの4年契約を結んだことが公表された[26]。8月12日、DFBポカール1回戦のTuSエルンテブリュック戦で公式戦初先発を果たした。8月20日、開幕戦のSCフライブルク戦でリーグ戦デビューを飾った。シーズン序盤は好調だったものの、その好調を維持することができず、2017-18シーズンでの出場試合はわずか3試合にとどまった。
シント=トロイデン時代
2018年8月31日、フランクフルトからシュテンデラやマルコファビアンらとともに構想外となり、ベルギー1部リーグ・シント=トロイデンVVへレンタル移籍する事が発表された[27]。8月31日と移籍市場が閉まるギリギリのタイミングで遅れてのレンタル移籍となったため[28]、デビューは遅れて9月16日第7節のヘント戦となったが途中出場から鮮やかに二人を躱し移籍後初得点を決めて勝利に貢献した[29]。
2018年9月23日、続く第8節アントワープ戦では後半30分からの出場で左足の狙い澄ましたシュートで得点を挙げる[30]。。2818年9月30日、第9節アンデルレヒト戦では試合開始早々に味方に退場者が出たのが響き、後半45分から数分だけの途中出場に留まることになった。
2019年10月20日、第11節のコルトレイク戦では2試合連続得点を記録[31]。
2018年10月28日第12節クラブ・ブルージュ戦では強烈なシュートで[32][33]、2018年11月26日第16節アンデルレヒト戦では狭いコースに小さな穴を通すかのようなシュートでベルギーリーグの強豪相手にどちらも3試合連続となる得点を挙げる[34][35]。
12月8日、第18節のスタンダール・リエージュ戦でも得点を決め、シーズン2桁得点に到達した[36]。
2019年4 月20日、プレーオフ2のオイペン戦で15ゴール目を挙げ、日本人主要欧州リーグシーズン最多得点記録を更新した[37][38]、この得点でベルギーリーグデビューが第7節途中出場と遅れながら15得点を記録し、18-19シーズンのベルギージュピラーリーグ得点ランキング最終順位第5位になった[39]。
シントトロイデンが戦ったプレーオフ2と合わせて、リーグ戦34試合15ゴール7アシスト[40](ベルギーリーグは16チームで試合数が少ない替わりにプレーオフの得点も加算される[37]、18/19シーズンは16チームでリーグ戦30試合と優勝かけてリーグプレーオフ10 試合を戦った[41])。
ベルギーカップ(2試合1得点2アシスト)と併せて公式戦通算36試合16ゴール9アシスト[40]。
フランクフルト復帰
フランクフルトに復帰し、2019年8月11日、DFBポカール1回戦のマンハイム戦で加入後初得点を決めた[42]。
2019年11月28日、UEFAヨーロッパリーグGL第5節アーセナル戦でEL初得点を含む2ゴールを挙げ、チームを勝利に導き複数メディアからMOMに選出される[43][44]。
2019年12月12日のGL第6節ヴィトーリア戦ではEL2戦連続となるゴールを決め、チームの決勝T進出に貢献した[45]。
2020年2月20日、決勝T1回戦ザルツブルク戦では、キャリア初のハットトリックを達成し、MOMに選出される[46]。ELでの日本人の1試合3得点は南野拓実以来2人目であり、ELでハットトリックを達成するのはクラブ史上初の事である[47]。この試合ゴール以外でも相手二人から囲まれながら股抜きで躱し、EL公式からスキルオブザデイと評される[48]。
2020年5月26日、第28節のフライブルク戦でブンデスリーガ初得点を記録した[49]。
2020年5月30日、ブンデスリーガ第29節のヴォルフスブルク戦で2試合連続ゴールを決め、勝利の立役者となり、ブンデス公式MOMに選出される、この鎌田のゴールは当季公式戦二桁ゴールとなると同時に、フランクフルトにとってブンデスリーガでのアウェイゴール1000点目となり、クラブの歴史に名を残す一発となった[50][51]。
2020年6月13日、第31節ヘルタベルリン戦で3人抜きドリブルからアンドレシウバにアシストし、ブンデス公式より19/20シーズンベストアシストトップ3に選出される[52][53]。ヒュッター監督から「圧巻ドリブルは、大きな称賛に値するプレー、まるでスラロームドライバーのようだ。間違いなく月間最優秀ゴールとなるだろう」評された。[54]。
2020年6月17日、第32節シャルケ戦で2試合連続となるアシストでブンデス公式ベストイレブンに選出された[55]。
2020年9月16日、フランクフルトと2023年までの契約に合意した[56]。12月5日、第10節のドルトムント戦で得点を挙げた[57]。2021年2月21日、バイエルン・ミュンヘン戦では強豪相手に1G1Aの活躍で勝利に貢献した[58]。同シーズンはリーグ第3位となる12アシストを記録し[59] チームに貢献した。
2021年2月14日、第21節ケルン戦でアンドレシウバの得点をアシストし、ブンデスリーガ公式サイトが発表した今節ベストイレブンに選出された[60]。
2021年2月20日、第22節バイエルン・ミュンヘン戦で1得点1アシストを記録し、ドイツ誌「キッカー」から当節のブンデスベストイレブンに選出される[61]。
2021年4月10日、第28節ヴォルフスブルク戦で1得点1アシストで勝利の立役者となり、ブンデス公式よりMOMに選出される[62][63]。
2021-22シーズン、ヨーロッパリーグ準々決勝、FCバルセロナ戦の2ndレグで決勝ゴールのお膳立てをする活躍、チームを準決勝に導くと[64]、準決勝ウエストハム戦の1stレグでは、大会5点目となる決勝ゴールを決めて勝利に貢献した[65]。2022年5月18日、セビリアで開催された決勝のレンジャーズ戦でも先発フル出場し、PK戦では3人目のキッカーとして成功[66]、クラブの42年ぶりヨーロッパリーグ優勝に貢献し、優勝トロフィーを掲げた。UEFAカップを制覇した小野伸二以来、長谷部誠と共に二十年振りの日本人2人目となるヨーロッパリーグ優勝となる快挙となった[67]。ドイツ勢でのヨーロッパリーグ制覇は97年のシャルケ以来25年振りで、フランクフルトのみならずドイツ中が歓喜した。翌日の市中心部で開催されたパレードは10万人以上の人で溢れ返りフランクフルトの街は歓喜に包まれた[68][69]。鎌田はこの21-22ヨーロッパリーグでチームトップ、大会4位タイとなる5得点を記録した[70]。
2022年5月22日ブンデスリーガ公式よりブンデス通算502試合出場を誇るノイベルガー、クラブ最多得点者のヘルツェンバインといったレジェンドと共に歴代フランクフルトベストイレブンに選出される[71]。
2022年8月1日、DFBポカール1回戦のマクデブルク戦では2得点を決めて勝利に貢献した[72]。
2022年8月10日、UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグを制したレアル・マドリードとヘルシンキで対戦し、フル出場した[73][74]。
2022年9月13日のCLグループリーグ第2節のマルセイユ戦で僅かにオフサイドで取り消されたものの、ネットを揺らすなど攻守に躍動しフランクフルトのCL初勝利に貢献、UEFACL公式よりMOMに選出されトロフィーを授与される[75]。
10月13日、欧州CL第4節のトッテナム戦でCL初ゴールを決めた[76]。その欧州CL次戦となるマルセイユ戦で先制点を決め、チームの勝利に貢献、11月5日時点で、欧州5大リーグで決定率1位を記録した[77]。グループステージ最終節のスポルティング戦でチャンピオンズリーグ3試合連続ゴールとなるPKによるゴールを決め、チーム史上初のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント進出に貢献した[78]。
2022年9月17日の第7節でシュトゥットガルト戦で1得点1アシストし、ドイツ誌『キッカー』でその試合のMOMと第7節ブンデスベストイレブンに選出された[79]。
2022年10月15日、第10節レバークーゼン戦で2得点挙げ、最多ボールタッチ、最多のデュエル、最長走行距離を記録し、勝利に貢献し、ブンデス公式MOMに選出される[80]。
2022年10月29日、ドルトムント戦で得点し、ドイツ誌「キッカー」で12節のブンデスベストイレブンに選出される[81]。
2023年4月12日、2022-23シーズンでのフランクフルトの退団が発表され、自身のSNSからもクラブへの感謝が投稿された[82][83]。
19/20シーズンのUEFAヨーロッパリーグ(EL)で鎌田は10試合に出場し6得点2アシスト、ブンデス、ポカールと併せて19/20シーズン公式戦通算10得点9アシスト[84]。
20/21シーズンはブンデスリーガで32試合に出場して5得点14アシスト[85]。21/22シーズンはUEFAヨーロッパリーグ(EL)で13試合に出場し5得点。
22/23シーズンはボランチでの出場が多かった中、ブンデス32試合9ゴール7アシスト、チャンピオンズリーグ(CL)で3得点、ポカールで4得点[86][87]、と併せて公式戦シーズン通算16ゴール7アシスト。
ヨーロッパの大会に滅法強く、ヨーロッパリーグ通算では11得点を記録し、アジア人最多得点者となる[88][89]。チャンピオンズリーグでも8試合で3得点を記録。
フランクフルトでは公式戦通算179試合40得点33アシストを記録した(得点内訳ブンデス20得点、ポカール6得点、EL11得点、CL3得点)[90]。
SSラツィオ時代
2023年8月5日、セリエA・SSラツィオへの完全移籍加入が発表された[91]。契約期間は2025年までの2年契約とみられている[92]。背番号は「6」。第3節のナポリ戦で決勝ゴールを決めてシーズン初白星を付けると共に、ラツィオとセリエAでの初ゴールにもなった[93]。また、第4節のユヴェントス戦では初アシストも記録した。しかし、2024年2月現在、ポジション争いに苦戦しベンチスタートが続いている。
代表
2016年5月に行われるトゥーロン国際大会に挑むU-23日本代表に招集された。同大会ではトップ下に配されたが[94]、同年開催のリオデジャネイロオリンピックを19歳で五輪を迎える最終年生まれという事も響き、メンバー入りを逃した。
2019年3月、キリンチャレンジカップに挑むサッカー日本代表に初招集され[95]、3月22日のコロンビア戦で代表初出場。10月10日のW杯アジア2次予選のモンゴル戦で代表初得点。
2021年3月25日、国際親善試合の韓国戦でゴール隅に追加点となる得点を挙げ、前半のみで退いたものの勝利に貢献し、最高評価とされた[96]。
2022年6月、パラグアイ戦では1ゴール1アシストの活躍を見せ、MOMに選出される[97]。
2022年11月1日、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出された[98]。この大会全試合に出場し、初戦のドイツ戦ではトップの走行距離を記録する[99] などチームのベスト16進出に貢献した。
2023年6月20日のペルー戦では前半37分に絶妙のトラップから三笘薫の先制点をアシスト、後半18分には3点目の起点を作り、後半26分に途中交代しながらも複数メディアでMOMに評された[100][101]。
エピソード
小学校に入学する頃にはリフティング1000回以上に達し、ヘディングだけでも100回以上を超えていた。愛媛県の強豪キッズFCで小学二年生から六年生主体の全カテゴリーの試合に出場していた[102][4]。小学生の時は体が小さかったが、2学年上までならドリブルで5、6人躱してシュートまで持ち込んでいた。キッズFCは当時からキーパーからボールを大事にして繋ぐパスサッカーを標榜しており、ボールを触る回数を大事にし、ボールになるべく多く触る練習メニューで技術と判断に徹底して拘るスタイルだった、そのトレーニングで技術やサッカー観の礎が培われた。キッズFCの飯尾監督が「試合で負けて泣く選手をたくさん見てきたが、涙に見合う努力を積んだと思える数少ない選手」と全日本少年サッカー県大会で敗退した時の鎌田を振り返った。
ガンバ大阪のジュニアユースでプレーしていた中学生時代からつける機会が多かった「14番」が、いつしかお気に入りの番号になり、東山高校でも三年間14番を背負うが、鳥栖やフランクフルト、シントトロイデンには既に14番の選手がいたため、別の番号に[103]。
東山高校の福重良一監督は「ボクは日の丸をつけるところでやらないかん選手と思っている」と当時高校二年生だった鎌田の代表入りを確信していた発言を残しており[104]、「大地の技術や努力をみんながリスペクトしていた。大地以上に努力している子を見たら、大地はそれを見習ってそれよりも更に努力していた。」と振り返った。父親の赴任先の兵庫県尼崎市の自宅から京都市の東山高校まで、朝5時に起きて始発に乗り登校、一時間半の朝練をし、放課後部活をして夜の23時に帰宅。両手両足に重りをつけて坂を走り、学校の廊下にイスを10個置いてドリブル繰り返す、後輩を10メートル間隔に1人ずつ置いて全員を躱したり「漫画みたいな生活」と自身で振り返った高校時代だった[105]。
鳥栖の森下仁志監督は「サッカーに取り組む姿勢が他の選手と全く違った、僕は練習をハードにやるタイプだが、シーズン中であっても積極的に一人で黙々とドリブルやシュートの自主練習をしていた。目の前の試合より目線が先に向いていた、そんな選手はごく一部、世界に行ける選手と確信した。」と当時の鎌田を振り返った。
2019年11月29日のELアーセナル戦で二得点した後にドイツ紙『BILD』から「キング・カマダ」と銘打って一面で報道される、その後は独メディアやフランクフルトサポーターからも鎌田の愛称はキングカマダになり呼ばれ続けた[106][107]。
『自分がサッカーを続けるために、お父さんやお母さんにすごく迷惑をかけているから、親孝行したい。普通の親孝行でない親孝行がしたい。そのためにはサッカーなんだ』との想いで[108]、鳥栖とのプロ契約金の全てを両親は受け取らなかったが渡そうとしたり、プロ二年目で契約更改した際には両親に感謝の手紙と伴にペアの高級腕時計を、プロ契約した弟大夢へは乗用車をプレゼントしたり、フランクフルト4年目には両親に7LDKの新築の家を贈るなどとても家族想いである[109]。
プレースタイル
ジダンやカカなどといったゲームメイクの才能ある限られた特別な選手にしか務まらない王道司令塔タイプのトップ下だった。長い四肢を活かしつつ繊細なボールタッチで落ち着き払い、靭やかかつエレガントにプレーする。空間認識力が高く俯瞰でも発見しにくいパスコースを瞬時に見つけ出し、スルーパスを得意としている。逆足の左足も苦にせず、両足を使いこなした。鳥栖在籍時から技巧派として広く知られトラップ、ボールキープ力、ドリブル、パス、シュートなどほぼ全てにおいて技術は卓越していた。ポジションに囚われずピッチを縦横無尽に駆け回るオールラウンダー。Jリーグトップの走行距離からも分かるように運動量が多いのも特徴[110][111]。
東山高校の福重監督は「パスの出しどころと視野の広さに心底驚いた、見たことがなかった、教えられないものを持っていた。」、「プレーが周りとは全く違った。見ている場所が他の選手と違う、スペースを見つけてそこに入るのがうまかった。パスの出しどころや自分が活きるポジショニングのスペースが面白い。凄いなこいつと思った。」と鎌田を初めて見た印象を語った。鳥栖の森下監督は「本当にうまくて、良い選手だなと思った。プレーの間合いが良い、そこは指導者が教えられない要素でなかなか居ない。操るというか特有の空間を持っていてその間が良い、間を見た瞬間惚れ込んだ。」と初めて見た印象を語り、「ダイレクトボレーのゴールも凄かったが、30メートル近いスルーパスを通したのを見て、これはモノが全く違うと思った。良い選手を沢山見てきた中であのスルーパスは一番の衝撃。試合で使うのが遅かったと後悔した。」と鎌田のリーグデビュー戦を振り返った。シントトロイデンのマルクブライス監督から「ポジショニング良くプレーでき、テクニックの質は高く、両足でドリブルもできる。それは彼を予測不可能な存在にする。彼のテクニックはリーグのレベルを超越している」[112]、シーフォ以上に試合を支配するプレイメーカーと評された。フランクフルトのヒュッター監督からは「彼はクリエイティブな選手であり、その天賦の才から時折、試合に違いをもたらしてくれる」と評される[113]。
ドイツを経てベルギーに移籍してプレーする中でFW(セカンドトップ)としての得点力が開花する。海外挑戦後は判断力が更に向上し、プレースピードがより早くなった。ドイツ復帰後はオフザボールのセンスに磨きがかかり、元来得意なトップ下をはじめ、左右のウイングやインサイドハーフ、ベルギー時代に開拓したセカンドトップ、そして守備力を身に付けドイツ最終年に新たに開拓したボランチなど、中盤ならどこでもこなし、様々なポジションで起用される。
ピッチを幅広く動いてパスを引き出して相手選手をおびき寄せ、少ないタッチで再度味方にボールを預ける。それを繰り返すことで相手のプレスを空回りさせて陣形を崩し、スペースを生み出す。味方がチャンスメイクをしている間に自身は相手ゴール前に入り込み、シュートを狙う。ボランチとセカンドトップが融合したような独特なプレーを見せる。球離れが早く、ボールキープにも長けている為、相手にとっては中々捉えづらい選手である。自らボールを持って積極的に仕掛けて行くプレーも得意、プレスをかけずに引いて構える事が多い格下の相手と対戦する時は、ドリブルやスルーパスで打開可能。積極的にプレスをかけてくる格上の相手に対してはそのスタイルの本領を発揮して活躍する。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2015年 - 2017年6月 サガン鳥栖
- 2015年 Jリーグ・アンダー22選抜
- 2017年7月 -2023年6月 アイントラハト・フランクフルト
- 2018年9月 - 2019年5月 シント=トロイデンVV(期限付き移籍)
- 2023年8月 - SSラツィオ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 鳥栖 | 24 | J1 | 21 | 3 | 4 | 0 | 3 | 0 | 28 | 3 |
2016 | 28 | 7 | 3 | 0 | 3 | 1 | 34 | 8 | |||
2017 | 7 | 16 | 3 | 1 | 2 | 1 | 0 | 18 | 5 | ||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2017-18 | フランクフルト | 40 | ブンデス1部 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |
ベルギー | リーグ戦 | リーグ杯 | ベルギー杯 | 期間通算 | |||||||
2018-19 | シント・トロイデン | 15 | ジュピラー | 34 | 15 | - | 2 | 1 | 36 | 16 | |
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2019-20 | フランクフルト | 15 | ブンデス1部 | 28 | 2 | - | 4 | 2 | 32 | 4 | |
2020-21 | 32 | 5 | - | 2 | 0 | 34 | 5 | ||||
2021-22 | 32 | 4 | - | 1 | 0 | 33 | 4 | ||||
2022-23 | 32 | 9 | - | 6 | 4 | 38 | 13 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2023-24 | ラツィオ | 6 | セリエA | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 65 | 13 | 8 | 2 | 7 | 1 | 80 | 16 | |
ドイツ | ブンデス1部 | 127 | 20 | - | 14 | 6 | 141 | 26 | |||
ベルギー | ジュピラー | 34 | 15 | - | 2 | 1 | 36 | 16 | |||
イタリア | セリエA | - | |||||||||
総通算 | 226 | 48 | 8 | 2 | 23 | 8 | 257 | 58 |
その他の公式戦
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2015 | J-22 | - | J3 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||
総通算 | 2 | 0 | 2 | 0 |
- 2019年
- ベルギーリーグ・ヨーロッパリーグ プレーオフ 10試合3得点
国際大会個人成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
2019-20 | フランクフルト | 15 | 10 | 6 | - | |
2021-22 | 13 | 5 | - | |||
2022-23 | - | 8 | 3 | |||
通算 | UEFA | 23 | 11 | 8 | 3 |
その他の国際公式戦
- 2019年
- UEFAヨーロッパリーグ予選 6試合0得点
- 略歴
- Jリーグ初出場 - 2015年3月21日 J3第2節 vsレノファ山口FC(維新百年記念公園陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2015年5月10日 J1.1st第11節 vs松本山雅FC(ベストアメニティスタジアム)
- ブンデスリーガ初出場 - 2017年8月20日 第1節 vsSCフライブルク(オイローパ=パルク・シュタディオン)
- ジュピラー・プロ・リーグ初出場・初得点 - 2018年9月16日 第7節 vsKAAヘント(ゲラムコ・アレーナ)
- ブンデスリーガ初得点 - 2020年5月26日 第28節 vsSCフライブルク(ドイチェ・バンク・パルク)
- セリエA初出場 - 2023年8月20日 第1節 vsUSレッチェ(スタディオ・ヴィア・デル・マーレ)
- セリエA初得点 - 2023年9月2日 第3節 vsSSCナポリ(スタディオ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナ)
タイトル
クラブ
- アイントラハト・フランクフルト
- DFBポカール:1回(2017-18)
- UEFA ヨーロッパリーグ:1回(2021-22)
個人
- Jリーグ・月間ベストゴール賞:(2016年10月)
- JPFAアワード(JPFA)・ベストイレブン:1回(2022年)
代表歴
- 国際Aマッチ初出場 - 2019年3月22日 キリンチャレンジカップ2019 vsコロンビア代表(横浜国際総合競技場)
- 国際Aマッチ初得点 - 2019年10月10日 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 vsモンゴル代表(埼玉スタジアム2002)
出場大会
- U-22日本代表(2015年)
- U-23日本代表(2016年)
- 日本代表
- 2019年 - キリンチャレンジカップ
- 2019年 - 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
- 2022年 - キリンカップサッカー2022
- 2022年 - 2022 FIFAワールドカップ
試合数
- 国際Aマッチ 31試合 7得点(2019年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2019 | 4 | 1 |
2020 | 4 | 0 |
2021 | 8 | 3 |
2022 | 10 | 2 |
2023 | 5 | 1 |
通算 | 31 | 7 |
出場
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | スタジアム | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2019年10月10日 | さいたま | 埼玉スタジアム2002 | モンゴル | ○6-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
2. | 2021年3月25日 | 横浜 | 横浜国際総合競技場 | 韓国 | ○3-0 | 国際親善試合 |
3. | 2021年3月30日 | 千葉 | フクダ電子アリーナ | モンゴル | ○14-0 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
4. | 2021年5月28日 | ミャンマー | ○10-0 | |||
5. | 2022年6月2日 | 札幌 | 札幌ドーム | パラグアイ | ○4-1 | キリンチャレンジカップ2022 |
6. | 2022年9月23日 | デュッセルドルフ | エスプリ・アレーナ | アメリカ合衆国 | ○2-0 | 国際親善試合 |
7. | 2023年11月16日 | 吹田 | パナソニックスタジアム吹田 | ミャンマー | ○5-0 | 2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
主な出演
CM
脚注
関連項目
外部リンク
- 鎌田大地 - National-Football-Teams.com (英語)
- 鎌田大地 - Soccerway.com (英語)
- 鎌田大地 - FootballDatabase.eu (英語)
- 鎌田大地 - WorldFootball.net (英語)
- 鎌田大地 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 鎌田大地 - J.League Data Siteによる選手データ
- 鎌田大地 - レキップ (フランス語)
- 鎌田大地 - TheFinalBall.com (英語)
- 鎌田大地 - BDFutbol.com (英語)
- 鎌田大地 (@sagantos24) - X(旧Twitter)
- 鎌田大地 (@kamadadaichi) - Instagram