この項目では、イタリアの都市について説明しています。その他のナポリについては「ナポリ (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
ナポリ (伊 : Napoli ( 音声ファイル ) ; ナポリ語 : Napule )は、イタリア の南部にある都市。その周辺地域を含む人口約97万人の基礎自治体 (コムーネ )。カンパニア州 の州都であり、ナポリ県 の県都でもある。ローマ 、ミラノ に次ぐイタリア第三の都市で、南イタリア 最大の都市。都市圏人口は約300万人。
ナポリ湾 に面した港湾都市・工業都市である[4] 。古代ギリシア人によって建設された植民市に起源を持ち、13世紀 以降はナポリ王国 の首都として南イタリア の政治・経済の中心地となった[4] 。ヴェスヴィオ 火山を背景とする風光明媚な景観[4] で知られる観光都市であり、ゲーテをして「ナポリを見てから死ね (vedi Napoli e poi muori )」[注釈 1] (『イタリア紀行 』より)と言わせた[4] 。旧市街地は「ナポリ歴史地区 」として世界遺産 に登録されている。ナポリ周辺にも、ヴェスヴィオ火山やポンペイ の遺跡、カプリ島 などの観光地を有する。
名称 地名
形容詞・住民呼称
イタリア語:napoletano, -na(ナポレターノ、ナポレターナ) ナポリ語:napulitano, -na(ナプリターナ) ラテン語:neāpolītānus, -na(ネアーポリーターヌス、ネアーポリーターナ) 英語:Neapolitan(ニアポリタン) フランス語:napolitain, -taine(ナポリタン、ナポリテーヌ) 地理 ナポリ県概略図 位置・広がり ティレニア海 の一部、ナポリ湾 の北岸に位置する都市であり、サレルノ から西北西へ46km、ベネヴェント から南西へ53km、首都ローマ から南東へ189kmの距離にある[5] 。コムーネの面積は117.27 km2 に及ぶ[3] 。ヴェスヴィオ 火山は東南東14kmに位置する[5] 。カプリ島 などへフェリー・高速船が通っており、南にソレント やアマルフィ海岸 が位置する。古代都市ポンペイ も見える距離にある。最高地点は450m。
隣接コムーネ 隣接するコムーネは以下の通り。
気候 気候はケッペンの気候区分 で地中海性気候 (Csa) と温暖湿潤気候 (Cfa) の中間で、夏は暑くやや乾燥し、冬は寒く湿度がある。平均最高気温は5~10月が最高20~30℃、11月~4月が20~13℃。
ナポリの気候 月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 平均最高気温 °C (°F ) 13.0 (55.4) 13.5 (56.3) 15.7 (60.3) 18.1 (64.6) 23.0 (73.4) 26.7 (80.1) 29.9 (85.8) 30.3 (86.5) 26.9 (80.4) 22.1 (71.8) 17.1 (62.8) 14.1 (57.4) 20.8 (69.4) 日平均気温 °C (°F ) 8.7 (47.7) 8.8 (47.8) 11.1 (52) 13.2 (55.8) 17.8 (64) 21.4 (70.5) 24.3 (75.7) 24.7 (76.5) 21.4 (70.5) 17.1 (62.8) 12.4 (54.3) 9.8 (49.6) 15.9 (60.6) 平均最低気温 °C (°F ) 4.4 (39.9) 4.5 (40.1) 6.3 (43.3) 8.4 (47.1) 12.6 (54.7) 16.2 (61.2) 18.8 (65.8) 19.1 (66.4) 16.0 (60.8) 12.1 (53.8) 7.8 (46) 5.6 (42.1) 11.0 (51.8) 降水量 mm (inch)104.4 (4.11) 97.9 (3.854) 85.7 (3.374) 75.5 (2.972) 49.6 (1.953) 34.1 (1.343) 24.3 (0.957) 41.6 (1.638) 80.3 (3.161) 129.7 (5.106) 162.1 (6.382) 121.4 (4.78) 1,006.6 (39.63) 平均降水日数 (≥1.0 mm) 9.9 9.8 9.5 8.8 5.7 4.0 2.3 3.8 5.8 8.1 10.8 10.7 89.2 平均月間日照時間 114.7 127.6 158.1 189.0 244.9 279.0 313.1 294.5 234.0 189.1 126.0 105.4 2,375.4 出典:World Meteorological Organization [6]
歴史 ウンベルト1世のガッレリア 19世紀の建築で、高さ58mのガラス天井を備えるナポリの街並みとナポリ湾 セバスチァーノ通り ナポリ大聖堂 ヌォーヴォ城 13世紀の建築 卵城
ナポリ市は、紀元前6世紀 に古代ギリシア 人(特にアテネ 人)の植民活動によって建市されたと考えられている。「ナポリ」の語源はギリシア語 の「ネアポリス」(新しいポリス )であり[要出典 ] 、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味である。その後、ナポリは長くローマ帝国 の支配下にあったが、476年 の西ローマ帝国 滅亡後、南イタリアは東ゴート族 やランゴバルド族 の支配が及ぶなど流動的な状況となった。6世紀 になると、東ローマ帝国 のユスティニアヌス1世 がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナ を首府とする東ローマ帝国の属州となった。ナポリ市には660年 に東ローマ系の公国が設置されている。
11世紀 にはノルマン人 が南イタリアに到来し、イスラム教徒が支配するシチリア 島を征服してシチリア王国 (オートヴィル朝 )を建国するが、ノルマン人の支配は南イタリアでも拡大され、ナポリ公国も1140年 ノルマン人の手に落ちた。12世紀 にはシチリア王国は婚姻関係によってホーエンシュタウフェン家 の神聖ローマ皇帝 の支配に移った。1224年 には異色の皇帝フェデリーコ2世 (神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がナポリ大学 を設立した。
フランス の王族シャルル・ダンジュー によりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇 クレメンス4世 は1266年 、シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家 は王国の首都をパレルモ からナポリに遷都した。しかし1284年 、シチリアの晩鐘 事件を契機にシチリア島で反乱が起こると、アラゴン王 ペドロ3世 がシチリアを占領するが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は2つに分割された。2つの王国は共に「シチリア王国」を公称していたが、この時にナポリ王国 が成立したと見ることができる。
トラスタマラ家 のアラゴン王アルフォンソ5世 はシチリア王を兼ねていたが、内紛続きのナポリ王国を征服して、1443年 にナポリ入りし、2つの「シチリア王国」の王を兼ねた。アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治した。1458年 のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世 としてナポリ王位のみを継承するが、失地回復をめざすフランス・ヴァロワ朝 のシャルル8世 がこれにつけ込んで、1494年 にナポリを武力占領した。これに対してスペイン(カスティーリャ =アラゴン連合王国)から派遣されたコルドバ 将軍は、1503年 にナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放した。ナポリ王家は取り潰され、スペインのナポリ総督 によって支配される属州となった。
スペイン継承戦争 (1701年 - 1714年 )のさなか、1707年にオーストリア・ハプスブルク家 の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われた。オーストリアの支配は1734年 まで続く。ポーランド継承戦争 が起こると、フランス・ブルボン家 はスペイン・ブルボン家 の支援を求め、1734年 にスペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復した。カルロスは1759年 にスペイン王カルロス3世 として即位した際、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世 に譲った。この1734年 をもって両シチリア王国 の成立とする見方もある。ただこの時は正式名称としては使用されなかった。
ナポレオン戦争 の間、ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放され、シチリアを領有するのみとなった。ナポリは1806年 から1815年 にかけてナポレオン・ボナパルト の兄ジョゼフ 、次いで妹婿のミュラ を王に戴くことになる。1816年 にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くと、間もなく国名を正式に両シチリア王国 とした。1860年 、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディ に征服され、翌1861年 に成立するイタリア王国 に併合された。
第二次世界大戦 中、イタリアの敗色が濃厚となる1943年 9月9日 頃、イギリス軍 がナポリに上陸作戦を敢行。上陸を阻止しようとするドイツ軍 との間で激しい交戦が行われた[7] 。同年10月1日 までにドイツ軍は撤退し、連合国軍がナポリに進駐した[8] 。
1995年 、世界遺産 (文化遺産)『ナポリ歴史地区 』として登録された。
社会 社会問題 古くから過密 が社会問題になっている。
イタリア以外の外国人が想像する輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージは、この都市が元になっている。その一方で、今日でもナポリを拠点とするマフィア ・カモッラ による影響が強い都市である。
ごみ問題 2007年以降、ナポリではごみの増大に処理場の増設(1994年以降、数回造成されている[9] )が追いつかず、街中に未回収のごみが散乱する状態が度々起こっている[10] 。
ごみが散乱する理由として、マフィアによるごみの不法投棄が挙げられる。1980年代からマフィアがナポリにイタリア北部から運んできた産業廃棄物 を埋め始め、この頃からマフィアにとってごみ関連ビジネスが麻薬 密売に次ぐ収入源となった。環境アナリストによると、違法ごみビジネスによって、マフィアは年間25億ユーロにも上る収益を得ているという[11] [12] 。
健康被害 イタリアの研究機関による調査で、ナポリ近郊では他の地域と比べてガンの発生率が上昇していることが判明した。これはカモッラ が1980年代からゴミ処理ビジネスに参入し、有害物質を含むゴミを不法投棄 したことが関連しているという。特にナポリ県北部はナポリ湾などの主要な観光地の近辺であるにもかかわらず、不法な焼却や投棄が続けられた結果、地元が「死の三角形(Triangle of Death)」と呼ばれるほど環境が悪化している[13] 。
観光 「世界三大美港」の一つとされることがある[14] 。また、日本では「世界三大夜景 」の街の一つともされる。
建築物
博物館、美術館
遺跡
自然
ナポリのパノラマ 右にヴェスヴィオ山 交通 文化 食文化 ナポリピッツァ スフォリアテッレ スポーツ サッカー イタリアのプロサッカー リーグであるセリエA に在籍する、SSCナポリ のホームタウンとしても知られる。1986-87シーズン および1989-90シーズン では、当時、選手として全盛期を迎えていたディエゴ・マラドーナ の活躍によってリーグ優勝を果たしている。コッパ・イタリア では通算6度の優勝を飾っており、国内屈指の名門クラブとして名高い。
2022-23シーズン にも、ヴィクター・オシムヘン やフヴィチャ・クヴァラツヘリア などの活躍により33年ぶり3度目の優勝を成し遂げた。
姉妹都市 人物 著名な出身者 ゆかりの人物 色名 ネイプルスイエロー - ナポリの黄色という意味。世界の伝統色 のひとつ。ウェブカラー では16進 - #fdd35c、10進 - R:253 G:211 B:92。 注釈 出典 参考文献 関連項目 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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