ニフティニース

ニフティニースNifty Niece1987年5月25日 - 不明)は日本競走馬繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍は1991年関屋記念セントウルステークス。主戦騎手は竹原啓二

ニフティニース
欧字表記Nifty Niece[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1987年5月25日[1]
死没不明(2008年10月25日用途変更)
登録日1989年11月30日
抹消日1992年11月26日
Raise a Native[1]
ニフティアンドニート[1]
母の父Vigors [1]
生国日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者社台ファーム[1]
馬主吉田善哉[1]
調教師松山康久美浦[1]
競走成績
生涯成績12戦7勝[1]
獲得賞金1億6030万円[1]
勝ち鞍
GIII関屋記念1991年
GIIIセントウルS1991年
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経歴

競走馬時代

持込馬として1987年生産される。500キログラムを超える大柄な馬体と脚部の弱さから仕上がりが遅れ、デビューは1990年7月4歳夏の福島開催までずれ込む。しかし1戦目にて早々と勝利を記録すると快速ぶりを発揮しデビューから僅か3ヶ月足らずでオープン入りとなる。

昇級初戦のスワンステークスでも4番人気と支持を集めたが直線で馬群に包まれ8着に終わる。レース後はキャピタルステークスシリウスステークス(当時はオープン特別)を目標に調整されていたが脚部に不安をきたし長期休養に入った。

1991年復帰初戦のBSN杯を制し迎えた関屋記念では、初距離ながら先行早め抜け出しというこれまでの戦法通りのレースを見せ3馬身をつける快勝、初の重賞タイトルを手にした。また竹原啓二は1988年スカーレットリボン以来3年ぶりの重賞タイトルとなった。

さらに「2ハロンの距離短縮はプラス」と(1991年9月調教コメント)臨んだセントウルステークスを優勝、この時の勝ち時計1分7秒9は1996年フラワーパークに破られるまで中京1200mのレコードタイムとして残る。同レースの勝利は「短距離路線の新星」と当時のスポーツ新聞にて取り上げられたが、脚元の故障から再び戦線を離脱する。

1992年9月に戦列復帰となるも勝ち鞍を上げるには至らず、同年11月根岸ステークス14着を最後に現役引退となった。

繁殖入り後

引退後社台ファームで繁殖牝馬となり、のちに猿倉牧場へ移動した。日本では数少ないレイズアネイティヴの直仔である繁殖牝馬として、サンデーサイレンスブライアンズタイムなどと交配されるも、自身から特筆すべき産駒は出なかった。

その後様似町の猿倉牧場へ移動したのち、2008年10月25日付で用途変更となる[2]。その後の動向は不明である。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく[3][4]

年月日競馬場競走名頭数枠番馬番オッズ
(人気)
着順騎手斤量距離(馬場)タイム
(上り3F)
タイム差勝ち馬/(2着馬)
19907.1福島4歳未勝利10446.7(2人)1着竹原啓二53ダ1000m(稍)0:59.9 (36.5)-0.2(グロウスキー)
7.15新潟4歳上500万下12224.3(2人)2着竹原啓二53ダ1000m(稍)1:00.5 (37.2)0.1テンデステキ
8.4新潟出雲崎特別50012561.7(1人)1着竹原啓二53ダ1200m(良)1:13.2 (39.3)-0.6(イヨコマチ)
8.25新潟三国特別9006221.9(1人)1着竹原啓二53芝1200m(良)1:09.8 (35.2)-0.3(マドモアゼルナワ)
9.29中山オータムスプリントSOP11783.6(1人)1着竹原啓二51芝1200m(良)1:08.2 (34.9)-0.1ヒダカハヤト
10.28京都スワンSGII168156.8(4人)8着竹原啓二53芝1400m(良)1:22.1 (36.6)0.7ナルシスノワール
19917.14新潟BSN杯OP10663.9(2人)1着竹原啓二53芝1200m(良)1:08.6 (34.7)-0.4(マイネペルレ)
8.4新潟関屋記念GIII166122.3(1人)1着竹原啓二54芝1600m(重)1:34.2 (38.1)-0.5(ビーバップ)
9.8中京セントウルSGIII14112.5(1人)1着竹原啓二55芝1200m(良)R1:07.9 (34.4)0.0(ハスキーハニー)
19929.13阪神セントウルSGIII14342.8(1人)5着竹原啓二56芝1400m(良)1:23.6 (39.1)0.8マイスーパーマン
10.3中山オータムスプリントSOP10771.4(1人)3着竹原啓二56芝1200m(良)1:08.8 (35.5)0.5タマモダイヤモンド
11.7東京根岸SGIII14694.6(2人)14着岡部幸雄56ダ1200m(良)1:14.0 (38.5)3.0ハッピィーギネス

繁殖成績

3番仔ニフティハートの初仔シンゲン(父:ホワイトマズル)が重賞を3勝(新潟大賞典エプソムカップオールカマー[5]、11番仔ナムラチアーズからはナムラカメタロー(父:ヨハネスブルグ)が佐賀記念を制した。

生年馬名毛色馬主管理調教師戦績主な勝利競走出典
1994年ドクターデヴィアス[6]
初仔1995年ニフティサウンド栗毛ノーザンテースト吉田照哉[7]
→平田一雄[8]
美浦・松山康久[7]
荒尾・佐伯茂樹[8]
佐賀川田孝好[9]
39戦7勝[10]
2番仔1996年ニフティディード栃栗毛サンデーサイレンス吉田照哉美浦・松山康久7戦0勝(抹消・繁殖)[11]
3番仔1997年ニフティハート栗毛(有)社台レースホース8戦0勝(繁殖)[12]
4番仔1999年ウイングロリア(株)ウイン栗東森秀行
→栗東・大久保龍志[13]
34戦5勝[14]
5番仔2000年アルマナックブライアンズタイム(有)社台レースホース美浦・松山康久18戦2勝[15]
6番仔2001年ニフティソエル鹿毛エリシオ美浦・池上昌弘(不出走)[16]
7番仔2002年ピーニョリブロ牡→騸松本兼吉[17]
→(株)ラッキーフィールド[18]
栗東・松田博資[17]
船橋岡林光浩[18]
15戦1勝[19]
8番仔2003年ダイワレヴアップ黒鹿毛エルコンドルパサー大城敬三[20]
→小平ユキ[21]
美浦・増沢末夫[20]
→園田・曾和直榮[22]
→美浦・的場均[23]
金沢・菅原欣也[21]
47戦12勝(抹消・不明)[24]
2004年スウェプトオーヴァーボード[6]
9番仔2005年イノベータ鹿毛スウェプトオーヴァーボード金子真人ホールディングス(株)美浦・萩原清2戦0勝(乗馬[25][26]
2006年ネオユニヴァース[6]
10番仔2007年プレミアムカフェ栗毛フレンチデピュティ西川恭子[27]
→三嶋昌春[28]
美浦・小島太[27]
北海道・村上正和[28]
13戦1勝(繁殖)[29]
11番仔2008年ナムラチアーズ黒鹿毛マンハッタンカフェ奈村信重栗東・福島信晴4戦0勝(繁殖)[30]
2009年ゴールドアリュール[31]

血統表

ニフティニース血統(血統表の出典)[§ 1]
父系レイズアネイティヴ系
[§ 2]

Raise a Native
1961 栗毛
父の父
Native Dancer
1950 芦毛
PolynesianUnbreakable
Black Polly
GeishaDiscovery
Miyako
父の母
Raise You
1946 栗毛
Case AceTeddy
Sweetheart
Lady GloryAmerican Flag
Beloved

*ニフテイアンドニート
Nifty and Neat
1981 鹿毛
Vigors
1973 芦毛
Grey DawnHerbager
Polamia
RelifordieEl Relicario
Crafordie
母の母
Haleallah
1971 鹿毛
HawaiiUtrillo
Ethane
TatallahTatan
Leallah
母系(F-No.)ニフテイアンドニート(USA)系(FN:16-g)[§ 3]
5代内の近親交配5代内アウトブリード[§ 4]
出典

脚注

外部リンク