ビーム・シング (メーワール王)

ビーム・シング(Bhim Singh, 1768年3月10日 - 1828年3月30日)は、北インドラージャスターン地方メーワール王国及びウダイプル藩王国の君主(在位:1778年 - 1828年)。

ビーム・シング
Bhim Singh
メーワール王
ビーム・シング
在位1778年 - 1828年
別号マハーラーナー

出生1768年3月10日
ウダイプル
死去1828年3月30日
ウダイプル
子女ジャワーン・シング
王朝シソーディヤー朝
父親アリ・シング2世
宗教ヒンドゥー教
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生涯

ビーム・シング

1768年3月10日メーワール王国の君主アリ・シング2世の息子として、ウダイプルで誕生した[1][2]

1778年1月、兄王ハミール・シング2世が死亡したことにより、王位を継承した[1][2]

ビーム・シングの治世はじつに50年に渡った。即位当初は幼少であったため、有力な廷臣らの影響下にあった。また、マラーター勢力が貢納金の未払いを理由に攻め込み、一時はチットールガルまで来たりした。彼の治世はマラーターに領土を奪われたり、荒廃させられたりはしたものの、王国を守り抜くことに成功している[3]

1818年1月13日第三次マラーター戦争のさなか、メーワール王国はイギリスと軍事保護条約を締結し、ウダイプル藩王国となった[4][5][6]

1828年3月30日、ビーム・シングは治世50年目にウダイプルで死亡し、息子のジャワーン・シングが藩王位を継承した[1][2]

出典・脚注

関連項目