ベサルト・ベリーシャ

コソボのサッカー選手

ベサルト・ベリーシャBesart Berisha, 1985年7月29日 - )は、ユーゴスラビア(現・コソボ)、プリシュティナ出身のアルバニア人の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

ベサルト・ベリーシャ
(2015年)
名前
本名ベサルト・ベリーシャ
愛称ベス[1]
ラテン文字Besart Berisha
基本情報
国籍アルバニアの旗 アルバニア
コソボの旗 コソボ
生年月日 (1985-07-29) 1985年7月29日(38歳)
出身地ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
コソボ社会主義自治州
プリシュティナ
身長185cm
選手情報
ポジションFW
利き足両足
ユース
1994-1998ドイツの旗 ベルリナーVB49
1998-1999ドイツの旗 ベルリナーFCディナモ
1999-2000ドイツの旗 TSVリヒテンベルク
2000-2003ドイツの旗 SVリヒテンベルク47
2003-2004ドイツの旗 テニス・ボルシア・ベルリン
クラブ1
クラブ出場(得点)
2003-2004ドイツの旗 テニス・ボルシア・ベルリン 4 (1)
2004-2007ドイツの旗 ハンブルガーSV 12 (1)
2005デンマークの旗 オールボー (loan) 2 (0)
2005-2006デンマークの旗 ホーセンス (loan) 32 (11)
2007-2009イングランドの旗 バーンリー 0 (0)
2008ノルウェーの旗 ローゼンボリ (loan) 8 (3)
2009デンマークの旗 ホーセンス (loan) 13 (4)
2010-2011ドイツの旗 アルミニア・ビーレフェルト 28 (2)
2011-2014オーストラリアの旗 ブリスベン・ロアー 76 (48)
2014-2018オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリー 110 (68)
2018-2019日本の旗 サンフレッチェ広島 6 (0)
2019-2021オーストラリアの旗 ウェスタン・ユナイテッド 45 (26)
2021コソボの旗 プリシュティナ 3 (0)
通算339 (164)
代表歴
2006-2009 アルバニア17 (1)
2017 コソボ1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

クラブ

5歳の時にドイツのベルリンへ家族と共に移住し、9歳の時にリヒテンベルク地区にあるサッカークラブに入団[2]。幾つかのクラブを経て、17歳の時に所属していたテニス・ボルシア・ベルリンでは全国ユースリーグで得点王に輝いた[3]。この活躍がハンブルガーSVの目に留まることとなり、その後、同クラブへと入団した。

ハンブルガーでの加入初年度は満足な出場機会を得ることが出来ず、程なくしてデンマークのクラブにレンタルされた。2006-07シーズン、レンタル期間を終えハンブルガーに復帰。2006年12月6日、UEFAチャンピオンズリーググループリーグ最終節のCSKAモスクワ戦では、アルバニア人として初めてUEFAチャンピオンズリーグ本戦で得点を記録(結果3-2で勝利)[4]。それから10日後のアレマニア・アーヘン戦でもブンデスリーガ初得点を挙げた[5]

2007年7月、イングランドのバーンリーFCへ移籍。3年契約を結び活躍を期待されたが、アルバニア代表での試合中に十字靭帯を断裂する深刻な怪我に見舞われ、長期離脱を余儀なくされた[6]。結局公式戦では1試合も出場することはなく、2009年の夏にドイツへ戻りアルミニア・ビーレフェルトに加入。しかしここでも十分な活躍を果たせずクラブを退団。プレーの場をオーストラリアへ移すこととなる。

2011年8月、オーストラリア・Aリーグブリスベン・ロアーFCに加入。加入初年度にしてレギュラーシーズンで19得点を挙げ得点王に輝くと、勢いそのままにグランドファイナルでも2得点を挙げ、リーグ優勝に大きく貢献した[7]。その後も2012-13、2013-14シーズンと3季連続で2桁得点を達成。後者のシーズンではまたもグランドファイナルで得点を挙げ、チームをリーグ3度目の優勝へと導いた[8]

2014-15シーズン、同じくAリーグのメルボルン・ビクトリーFCへ移籍。得点感覚は衰えることはなく、レギュラーシーズンではチームトップの13得点をマーク。三度グランドファイナルで得点を挙げ、自身にとって3度目となるAリーグ優勝を成し遂げた[9]

2018年6月、Jリーグサンフレッチェ広島に加入[10]。2019年8月、サンフレッチェとの契約を解除し退団。

2019年9月、再びオーストラリアへ戻り、新たにAリーグに参入するウェスタン・ユナイテッドFCへの加入が発表された[11]

2021年9月15日、FCプリシュティナに加入[12]

2022年1月27日、現役引退を表明した。

代表

2006年10月11日、アルバニア代表としてEURO2008予選のオランダ戦で途中出場、代表デビューを飾る[13]。2007年8月22日に行われたマルタとの親善試合で代表初得点を挙げた[14]

2016年5月、ベリーシャの出生地であるコソボがUEFA及びFIFAへの加盟を認められたことにより、コソボ代表としてプレーすることを選択[15]。2017年3月24日、2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選アイスランド戦で先発出場し、代表初キャップを記録した[16]

人物

オーストラリアではAリーグ史上、最も優れた外国人選手の一人として評価を受ける[17] 一方、ラフプレーやピッチ上での問題行動の多さも指摘されており、ブリスベン時代には1シーズンだけで3度の退場を経験した[18] ほか、試合終了後に相手選手を挑発したことがきっかけで乱闘騒ぎを起こし、出場停止処分を受けている[19]。また、メルボルン時代には接触プレーで治療中に近づいてきた相手選手を蹴りつけたことで、レッドカードを提示されている[20]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
ドイツリーグ戦 リーグ杯DFBポカール期間通算
2003-04T・BベルリンNOFV-OL41--41
デンマークリーグ戦 リーグ杯オープン杯期間通算
2004-05オールボースーペル30--30
2005-06ホーセンス163211--3211
ドイツリーグ戦 リーグ杯DFBポカール期間通算
2006-07ハンブルガーSV22ブンデス121-10131
ノルウェーリーグ戦 リーグ杯ノルウェー杯期間通算
2008ローゼンボリ7エリテセリエン83--83
デンマークリーグ戦 リーグ杯オープン杯期間通算
2008-09ホーセンス16スーペル104--104
ドイツリーグ戦 リーグ杯DFBポカール期間通算
2009-10アルミニア・B182.ブンデス100-00100
2010-11182-10192
オーストラリアリーグ戦 リーグ杯FFA杯期間通算
2011-12ブリスベン・R7Aリーグ2921--2921
2012-132714--2714
2013-142013--2013
2014-15メルボルン・V82815-333118
2015-162618-443022
2016-172821-313122
2017-182814-223016
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2018広島16J160-1070
2019900000000
オーストラリアリーグ戦 リーグ杯FFA杯期間通算
2019-20ウェスタン・U18Aリーグ2719-002719
2020-21-
通算ドイツブンデス121-10131
ドイツ2.ブンデス282-10292
ドイツNOFV-OL41--41
デンマークスーペル4515--4515
ノルウェーエリテセリエン83--83
オーストラリアAリーグ213135-1210225145
日本J160-1070
総通算289138-1510304148

太字はリーグ戦最多

国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2006-07ハンブルガーSV22-21
2008-09ローゼンボリ740-
AFCACL-
2012ブリスベン・R762-
201351-
2016メルボルン・V884-
201852-
2019広島900-
通算UEFA4021
AFC249-

タイトル

クラブ
ブリスベン・ロアーFC
メルボルン・ビクトリーFC
個人
  • Aリーグ得点王:2回(2011-12, 2016-17)
  • Aリーグベストイレブン:3回(2011-12, 2013-14, 2016-17)

脚注

関連項目

外部リンク