マリーン・ヘギー

アメリカの女性ゴルファー (1934-2023)

マリーン・ヘギー(Marlene Hagge、1934年2月16日 - 2023年5月16日)は、アメリカ合衆国の元女子プロゴルファー。1950年の全米女子プロゴルフ協会(LPGA)設立に携わった13人の内の1人である[1]。LPGAツアーでメジャー選手権1勝を含む通算26勝を挙げた。世界ゴルフ殿堂のメンバーである。

 マリーン・ヘギー 
Marlene Hagge
1956年
基本情報
名前マリーン・ヘギー
生年月日 (1934-02-16) 1934年2月16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国サウスダコタ州ユリーカ英語版
没年月日 (2023-05-16) 2023年5月16日(89歳没)
身長157センチメートル (5.15 ft)
配偶者ボブ・ヘギー(1955-64年、離婚)
アーニー・ボスラー英語版(1995-2013年、死別)
経歴
プロ転向1950年
以前のツアーLPGAツアー(創設者)
プロ勝利数26勝
優勝数
LPGAツアー26勝
LPGAメジャー選手権最高成績
(優勝: 1勝)
女子ウェスタン2位: 1965年
タイトルホルダーズ3位: 1957年
ANA26位タイ: 1987年
全米女子プロ優勝: 1956年
全米女子OP2位タイ: 1952年
デュモーリエ25位タイ: 1981年
受賞
世界ゴルフ殿堂2002年 (member page)
AP通信アスリート・
オブ・ザ・イヤー
1949年
LPGA賞金女王1956年
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アマチュア時代

サウスダコタ州ユリーカ英語版で生まれ、アマチュアゴルファーとして頭角を現わしていった。3歳でゴルフを始め、10歳の時にロングビーチ・シティボーイズ・ジュニアで優勝した[1][2]。13歳にしてウェスタン及び全米ジュニア選手権、ロサンゼルス女子シティ選手権、パームスプリングス女子選手権、ノーザンカリフォルニアオープン[1][2]、インディオ女子インビテーショナルで優勝。1947年、13歳で全米女子オープンの最年少予選通過選手となり、8位でフィニッシュした[2]。1949年、15歳でAP通信アスリート・オブ・ザ・イヤー英語版、ゴルファー・オブ・ザ・イヤー、ティーンエイジャー・オブ・ザ・イヤーに史上最年少で選出され、全米女子ジュニア選手権英語版及びWWGAジュニアのタイトルを獲得した。

プロ転向後

1950年にLPGAを創設した13人の女性の中で最年少メンバーであり、LPGAツアーの史上最年少メンバーでもある。彼女の姉アリス・バウアー英語版も創設者の1人である[1]。1952年、サラソタ・オープン英語版で初優勝を飾る[2]。その後も勝利を重ね、メジャー選手権である全米女子プロゴルフ選手権(1956年)を含め、LPGAツアーで通算26勝を挙げた[2]。メジャーを制した1956年には8勝してLPGAツアーの賞金女王にもなった[2]。2002年、ベテラン部門でLPGAツアー殿堂入りし、正式に世界ゴルフ殿堂入りを果した。LPGAツアーへの最後の出場は1996年であった。

1961年6月18日、CBSのゲーム番組『ホワッツ・マイ・ライン英語版』に出演している[3]

私生活

1955年、姉アリスの元夫であるボブ・ヘギーと結婚[4]。彼らは1964年に離婚した。

1995年、元PGAツアーのゴルファー、アーニー・ボスラー英語版と結婚、2013年2月16日に彼が死去するまで添い遂げた。夫妻は彼女が未亡人となった後も暮らしたカリフォルニア州ラキンタ英語版に住んでいた[5]

2023年5月16日、転倒による合併症の為死去[6][7]。89歳没。LPGA設立に関わった人物としては最後の生存者であった[6]。LPGAのモリー・サマン会長は「残念だが、私たちは彼女のことを忘れない。素晴らしいアスリートであり、競技者であり、若くとも人生において成功できることを示してくれた。彼女のLPGAへの貢献に感謝しつつ、今後も成長し続けたい」としている。

プロ戦績

LPGAツアー (26勝)

メジャー選手権

勝利 (1勝)

選手権スコアストローク差2位の選手
1956年全米女子プロゴルフ選手権−9 (69-73-73-76=291)プレーオフ 1 パティー・バーグ

1 サドンデスのプレーオフ、1ホール目で決着。

脚注

外部リンク