上池田 (池田市)

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上池田(うえいけだ)は、大阪府池田市にある地名である[1][2]。一丁目と二丁目がある[3][2]。郵便番号は 563-0027 である[4]。当地域の人口は、2017年12月末時点で 1,719 人である(池田市市民生活部総合窓口課の資料による)[2]。面積は、2018年3月末時点で 0.176 平方キロメートルである(池田市市長公室広聴文書課の資料による)[2]

上池田
上池田の位置(大阪府内)
上池田
上池田
上池田の位置
北緯34度49分23.2秒 東経135度25分57.9秒 / 北緯34.823111度 東経135.432750度 / 34.823111; 135.432750
日本の旗 日本
都道府県 大阪府
市町村 池田市
面積
 • 合計0.176 km2
人口
(2017年)
 • 合計1,719人
 • 密度9,800人/km2
郵便番号
563-0027

地理

池田市の中部に位置する[3][5]。西部に一丁目があり、東部に二丁目がある[3]。北は、五月丘一丁目および二丁目と接しており、東は、緑丘一丁目と接している[3]。南は、城南一丁目および三丁目と接しており、西は、建石町大和町と接している[3][6]。当地域は、池田市立池田小学校および池田市立池田中学校の校区に含まれる[7]。当地域の南部には、市道菅原線が通っており、中部に市道中央線が通っている[8][9]

歴史

当地域は、西側にある栄本町や大和町などと比べて、標高が高くなっており、このことから「上池田」と呼ばれるようになったとする説がある[10]。1611年(慶長16年)に、上池と下池からなる辻ヶ池が造られる。この池は、阿波堂池とも呼称された[1]。1697年(元禄10年)の『池田村絵図』に、上池田町の地名が確認できる[1]。1908年(明治41年)4月、大阪府池田師範学校(現在の大阪教育大学)が上池田町に設置される[11]。1944年(昭和19年)4月、町名変更が行われ、上池田北が上池田町に変更される[12]。1947年(昭和22年)4月、池田市立池田中学校が上地田町1554番地に創立される[13][14]

1965年(昭和40年)、辻ヶ池が埋め立てられる[15][16]。1966年(昭和41年)4月、辻ヶ池の下池の埋立地に、市立中央保育所が開所される[17]。1969年(昭和44年)、辻ヶ池の上池の埋立地に、辻ヶ池公園が開設される[18]。1970年(昭和45年)3月1日、上池田町の全部および建石町、下渋谷町の一部が、上池田一丁目および二丁目に変更される[19][10]。1971年(昭和46年)、喫茶店、珈廊(カロー)が二丁目に開店される[20]。1980年(昭和55年)8月、上池田会館が開館される[21]。1995年(平成7年)4月24日、上池田薬師堂(極楽寺阿波堂)にある薬師如来立像が市の重要文化財に指定される[22][23][15]。2001年(平成13年)4月、市立中央保育所が民営化され、学校法人森上学園 中央保育園と改称される[24]。2017年(平成29年)4月1日、タツタジャムが井口堂から二丁目に移転される[25]

施設

脚注

参考文献

  • 『都市地図 大阪府 池田市』昭文社、2015年2月。ISBN 978-4-398-97735-9 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (編)『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年10月。ISBN 978-4-04-001270-4 
  • 室田卓雄『池田歴史散歩 地名と文化財』いけだ市民文化振興財団、1999年8月。 
  • 池田市史編纂委員会(編集)『新修 池田市史 第3巻 近代編』池田市、2009年3月31日。 
  • 池田市史編纂委員会(編集)『新修 池田市史 第4巻 現代編』池田市、2011年3月31日。