宋鍾憲

宋 鍾憲(そう しょうけん、朝鮮語: 송종헌1876年10月 - 1949年5月21日[1][2])は、朝鮮貴族伯爵)、日本統治時代の朝鮮政治家実業家貴族院朝鮮・台湾勅選議員。位階従三位。日本名は野田 鍾憲(のだ しょうけん)[3]本貫恩津宋氏[4]

生涯

一進会の領導者の1人、宋秉畯の息子として生まれた[5]。1921年8月に父と共に朝鮮小作人相助会を設立した[4]。父の死後は伯爵を襲爵し、朝鮮総督府中枢院参議を務めたほか、朝鮮農業株式会社を設立した[2]1945年4月からは貴族院朝鮮・台湾勅選議員を務めた[3]1949年3月14日に反民法違反の疑いで、反民特委によりソウル市桂洞の自宅で逮捕された[2][5]西大門刑務所に収監された後、同年に脳出血で死亡した[2]

死後の評価

2002年韓国国会民族正気の会が発表した親日反民族行為者708人名簿に収録される[6]。また、親日反民族行為者にも認定された[7]

脚注