小島智子

NFLチアリーダー日本人初チームキャプテン

小島 智子こじま ともこ1978年3月23日 )は、大阪府出身のチアリーダー。身長:163cm、血液型:B型。帝塚山学院中学校・高等学校[1]立命館大学経済学部卒業[1][2][3]

小島 智子
個人情報
フルネーム小島 智子
国籍日本の旗 日本
生誕 (1978-03-23) 1978年3月23日(46歳)
大阪府
ウェブサイト小島智子オフィシャルウェブサイト
スポーツ
日本の旗 日本
競技チアリーダー
チームタンパベイ・バッカニアーズ
引退2011年4月

NFLのチアリーダーで日本人では初となるチームキャプテンを務めた。NFLのタンパベイ・バッカニアーズで2003年から2011年まで日本人最長記録となる8シーズン連続チアリーダーを務めた。最終年にはNFL史上初の日本人チームキャプテンとして活躍した。8シーズンのうち4シーズンはチーム内で選ばれる選抜チームのメンバーにも選出され、日本、イギリス、グアム、ハワイ、韓国、エクアドル、ホンジュラス、キュラソー、オーストラリアや米国内でNFLプローモーション活動や米軍慰問活動を行った。日本には2003年のバッカニアーズチアリーダーズとしてのデビュー戦となったアメリカンボウルを含め、3度ほど来日している[4]株式会社エスイーエス所属[5]

来歴

高校2年時にホームステイを経験したがその時のミドルスクールの副校長がサンディエゴ・チャージャーズのOBであったことからNFLチアリーダーと初めて出会う[2]

立命館大学入学と同時に応援団チアリーダー部に入部した。大学入学前にはバレエバトン経験はなかったが[2]、4回生時に応援団チアリーダー部長。2000年3月に大学を卒業した後は京都信用金庫に勤務しながらXリーグ所属松下電工インパルスのチアリーダーとしても活躍した[1][6]

2002年日本で行われたNFLチアリーダー公式オーディションを突破し[7]サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオーディションに参加したが不合格となった[2]

2003年、単身渡米し倍率16倍の難関を乗り越えてタンパベイ・バッカニアーズのオーディションに合格し[8]、同チーム日本人初のチアリーダーになった。同年に東京ドームで行われたアメリカンボウルの際にタンパベイ・バッカニアーズのチアリーダーとして参加している[1]

2007年、日本人NFLチアリーダーとして5シーズン連続で合格し、日本人最長記録を更新した[1]

2009年第43回スーパーボウル開催時には、地元タンパでスーパーボウルが開催されたことから、ホストシティチアリーダーとしてイベントなどで引っ張りだこになった[9]。同年7月にはバッカニアーズの他のチアリーダーと共に沖縄県キャンプ・キーザーに駐留するアメリカ海兵隊を訪問した[10]。また同年、NFL International Series in Londonの舞台(バッカニアーズ対ペイトリオッツ)に日本人として初めて立つ。イギリスのDJであるカルヴィン・ハリスと共演する。

チアリーダー現役時代、アメリカでの活動資金としてヤマハ発動機スポーツ振興財団が行っているスポーツチャレンジ体験助成を3年間受けた。[11][12][13][14]

現役時代、バッカニアーズ・チアリーダーズとして年間300回以上にも及ぶチャリティー活動を実施。フィールド外でも献身的に活躍した。

現役最終シーズンとなる2010-2011シーズンには日本人NFLチアリーダー史上初となるチームキャプテンに抜擢される。同時に日本人NFLチアリーダー最長8シーズン連続合格という記録も更新した[15]

2011年4月をもって現役引退し、現在はテレビ出演や講演、チアクリニックなど幅広いフィールドで活躍中。現役時代の活動が認められ、記念すべき第1回大阪マラソンのチャリティーランナーに抜擢された。

2012年6月、日本三大祭の一つである天神祭の御膝元、大阪・天満を拠点とする小島智子がコーチを務めるキッズチアダンス教室「Tomoko Kojima Cheerdance Academy」を開校。小島智子が提唱する「チアスピリット」(チームワーク、挨拶の大切さ、感謝の気持ち、思いやりの精神)の大切さを子ども達に伝える、地域密着型のチアダンスアカデミーとして展開している。

2014年より、阪神タイガースチアリーディングチームのスーパーアドバイザーに就任する。

脚注

関連項目

外部リンク