小川竹二

小川 竹二(おがわ たけじ、1937年昭和12年)6月17日[1] - 2014年平成26年)2月18日[2])は、日本政治家。元新潟県豊栄市(現・新潟市(5期)。

来歴

新潟県北蒲原郡葛塚町(現・新潟市北区葛塚)出身[1][2][3]。葛塚町立葛塚中学校(現・新潟市立葛塚中学校)、新潟県立新発田高等学校を経て、1960年立命館大学経済学部[1][3]。卒業後は帰郷し、農業に従事した[1]1966年下越水害で被災。1971年、豊栄市議会議員に当選し、4期務める[1]1987年、豊栄市長に当選し、2005年に新潟市に合併するまで5期務めた[1]。新潟県市長会長、北信越市長会長、全国市長会副会長を歴任した[3]2002年に新潟市長選挙に立候補した篠田昭を支援した[4]2007年旭日中綬章受章。2014年、前立腺癌で死去[2]

脚注

参考文献