幸心
名古屋市守山区の地名
幸心(こうしん)は、愛知県名古屋市守山区の地名。現行行政地名は幸心一丁目から幸心四丁目[WEB 5]。住居表示未実施[WEB 5]。
幸心 | |
---|---|
![]() 常雲寺(2017年5月) | |
北緯35度12分40.05秒 東経136度56分54.7秒 / 北緯35.2111250度 東経136.948528度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 守山区 |
面積 | |
• 合計 | 0.62249994 km2 |
人口 | |
• 合計 | 4,556人 |
• 密度 | 7,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 463-0079[WEB 3] |
市外局番 | 052(名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
名古屋市守山区西部に位置する[1]。
歴史
春日井郡(東春日井郡)幸心村を前身とする。
町名の由来
猿田彦命信仰による「幸神」表記が転じたとする『尾張国地名考』の説と、庚申堂があったことによる「庚申村」の表記が転じたとする『郡村徇行記』の説があるという[2]。庚申堂は地内常雲寺に所在している[2]。
沿革
大字幸心
- 江戸時代〜 - 幸心村として所在[3]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併に伴い、東春日井郡高間村大字幸心となる[4]。
- 1906年(明治39年)7月16日 - 合併に伴い、東春日井郡守山町大字幸心となる[4]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 市制施行に伴い、守山市大字幸心となる[4]。
- 1963年(昭和38年)2月15日 - 合併に伴い、名古屋市守山区大字幸心となる[4]。
- 1978年(昭和53年)6月25日 - 一部が西川原町に編入される[4]。
- 1998年(平成10年)2月16日 - 一部が幸心一丁目〜四丁目・新守山・新守西に編入される[3][5]。
- 2000年(平成12年)11月27日 - 一部が瀬古三丁目および瀬古東三丁目に編入される[3][5]。
- 2001年(平成13年)11月19日 - 一部が瀬古東一丁目および同二丁目に編入される[3][5]。
幸心一丁目〜四丁目
字一覧
1932年(昭和7年)発行『明治十五年愛知県郡町村字名調』による東春日井郡幸心村の字一覧。
世帯数と人口
2019年(平成31年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
幸心一丁目 | 377世帯 | 850人 |
幸心二丁目 | 697世帯 | 1,683人 |
幸心三丁目 | 523世帯 | 1,102人 |
幸心四丁目 | 455世帯 | 921人 |
計 | 2,052世帯 | 4,556人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
- 大字幸心
1995年(平成7年) | 3,667人 | [WEB 6] | |
2000年(平成12年) | 203人 | [WEB 7] |
- 幸心
2000年(平成12年) | 4,169人 | [WEB 6] | |
2005年(平成17年) | 4,370人 | [WEB 7] | |
2010年(平成22年) | 4,575人 | [WEB 8] | |
2015年(平成27年) | 4,636人 | [WEB 9] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
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幸心一丁目 | 全域 | 名古屋市立瀬古小学校 | 名古屋市立守山西中学校 | 尾張学区 |
幸心二丁目 | 全域 | |||
幸心三丁目 | 全域 | |||
幸心四丁目 | 全域 | 名古屋市立二城小学校 |
交通
施設
- 瀬古会館
- 常雲寺
- 間黒神社
- 雪印メグミルク名古屋工場
その他
日本郵便
脚注
WEB
文献
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 守山区制50周年記念事業実行委員会 編『守山区誌』守山区制50周年記念事業実行委員会、2013年2月10日。
関連項目
外部リンク
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