桒田慎一朗

日本のサッカー選手

桒田 慎一朗(くわだ しんいちろう、1986年12月6日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。広島県福山市奈良津町出身。ポジションはミッドフィールダー広島県立吉田高等学校卒業

桒田 慎一朗
名前
愛称クワシン
カタカナクワダ シンイチロウ
ラテン文字KUWADA Shinichiro
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1986-12-06) 1986年12月6日(37歳)
出身地広島県福山市
身長176cm
体重67kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足
ユース
2002-2004日本の旗 サンフレッチェ広島ユース(吉田高)
クラブ1
クラブ出場(得点)
2005-2010日本の旗 サンフレッチェ広島 55 (1)
2011-2013日本の旗 ファジアーノ岡山 46 (2)
2014タイ王国の旗 ナコーンラーチャシーマーFC
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

沼隈郡沼隈町(現・福山市)にある、ツネイシ・スポーツアクトが運営するバイエルン・ミュンヘン提携スクールのFCバイエルン・ツネイシ出身。桒田が在籍していた当時はサンフレッチェ広島の提携スクールで、名前は「サンフレッチェみろくの里ジュニアユース」であった。2期上に寄井憲がいる。このころはFWとして活躍していた。

2002年、広島ユースに昇格、同級生に前田俊介佐藤昭大髙萩洋次郎髙柳一誠森脇良太藤井大輔大屋翼冨成慎司。昇格後、FWからトップ下やボランチにコンバートされる。2003年2年次に試合経験をつみ急成長[1]、2004年3年次にはトップ下としてチームの中心的な選手[2] として活躍、JFAプリンスリーグU-18中国ではMVPを獲得。同年にはユース3大大会のうち3大会とも決勝に進出、2冠制覇に貢献した[1]

2005年にトップ昇格、同期に前田、佐藤、髙柳、森脇、入船和真中尾真那西河翔吾[1]。常石JYから初のトップ昇格選手。同年、ナビスコカップでは初ゴールも決めた。小野剛望月一頼時代はほぼ毎試合ベンチ入りを果たすものの、怪我による離脱もありなかなか試合出場が叶わなかった[3][4]。2006年終盤には持ち前のユーティリティーな能力をミハイロ・ペトロヴィッチ監督に評価され、MFだけではなくFWとしても出場した。2008年XEROX SUPER CUPにも先発出場。同年10月でリーグ戦初ゴール、2009年も活躍が期待されていた[2] が、リーグ戦開幕前の3月5日練習中に左膝前十字靭帯断裂と内側側副靭帯損傷し長期離脱することとなった[5][6]。復帰し、トップ下として出場するもチャンスを生かせず、2010年末に構想外となった[7]

2011年、ストヤノフと共にファジアーノ岡山に完全移籍した[4]。主力として期待されていた[8] が、リーグ戦開幕前の2月21日練習中に右膝前十字靭帯損傷し長期離脱することとなった[9]。復帰以降主力として活躍するも、2013年シーズン終了後、契約満了により退団[10]

2014年、タイ・ディヴィジョン1リーグ(2部)のナコーンラーチャシーマーFCに移籍する[11] も1年で退団する。

現在は地元のツネイシ・スポーツアクト所属でバイエルン常石コーチ。広島県東部サッカーリーグ所属の福山市職でもプレーする。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2003広島Y20---1010
2005広島32J1802110111
2006903010130
2007201207110201
2008J2141-20161
2009J100000000
20101203011161
2011岡山11J220-0020
2012210-00210
2013232-10242
タイリーグ戦 リーグ杯FA杯期間通算
2014ナコーンラーチャシーマーDiv1
通算日本J141015241603
日本J2603-30633
日本--1010
タイDiv1
総通算1013152811246
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2010広島2021
通算AFC21

出場歴・タイトル

クラブチーム

個人タイトル
アンダーカテゴリー
トップチーム

代表

アンダーカテゴリー

脚注

関連項目

外部リンク