甚目寺 (あま市の地名)
愛知県あま市の地名
甚目寺 | |
---|---|
甚目寺観音 | |
北緯35度11分45.91秒 東経136度49分5.75秒 / 北緯35.1960861度 東経136.8182639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | あま市 |
面積 | |
• 合計 | 1.759821398 km2 |
人口 | |
• 合計 | 10,459人 |
• 密度 | 5,900人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 490-1111[3] |
市外局番 | 052(名古屋MA)[4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
あま市の北東部、旧甚目寺町域の中央に位置する。29の小字が設置されているが丁目は設定されていない。
河川
- 福田川
小字
現行字についての五十音順で配列している[5]。明治15年当時の字は『愛知県地名収攬』310頁(甚目寺村)による。
現行字 | 明治15年当時 |
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畦田(あぜた) | |
市場(いちば) | 市場(いちば) |
稲荷(いなり) | 稲荷(いなり) |
稲荷新田(いなりしんでん) | |
乾出(いぬいで) | 乾出(いぬいで) |
大渕(おおぶち) | 大渕(おうぶち) |
沖田(おきだ) | |
上沖田(かみおきだ) | 上沖田(かみおきだ) |
桑丸(くわまる) | 桑丸(くわまる) |
五位田(ごいだ) | 五位田(ごいた) |
郷浦(ごううら) | 郷浦(ごううら) |
郷中(ごうなか) | 郷中(ごうなか) |
郷前(ごうまえ) | 郷前(ごうまへ) |
五反畑(ごたんばた) | |
権現(ごんげん) | 権現(ごんげん) |
桜田(さくらだ) | 櫻田(さくらだ) |
山王(さんのう) | 山王(さんのう) |
下沖田(しもおきだ) | |
須原(すはら) | 須原(すはら) |
茶之木田(ちゃのきだ) | 茶ノ木田(ちゃのきだ) |
寺西(てらにし) | 寺西(てらにし) |
流(ながれ) | 流(ながれ) |
八尻(はちじり) | 八尻(やじり) |
飛殿(びとの) | 飛殿(とびとの) |
牧原(まきはら) | 牧原(まきはら) |
松山(まつやま) | 松山(まつやま) |
西大門(にしだいもん) | 西大門(にしおうもん) |
二伴田(にはんでん) | |
東大門(ひがしだいもん) | 東大門(ひがしおうもん) |
東門前(ひがしもんぜん) | 東門前(ひがしもんぜん) |
山之浦(やまのうら) | 山之浦(やまのうら) |
歴史
地名の由来
尾張四観音の一つである甚目寺観音が由来である。597年に伊勢国甚目村(現在の三重県松阪市)の漁師である甚目龍麿が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音像が網にかかり、その観音像を近くの砂浜に堂を建て安置し、寺名を甚目寺(はだめでら)と名付けた。鎌倉時代から地名となったと言われている。
沿革
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
甚目寺 | 4,609世帯 | 10,459人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
2010年(平成22年) | 10,362人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 10,159人 | [9] |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|
あま市立甚目寺小学校 あま市立甚目寺東小学校 あま市立甚目寺西小学校 | あま市立甚目寺中学校 あま市立甚目寺南中学校 | 尾張学区 |
施設
北部
- あま市役所甚目寺庁舎
- あま市甚目寺公民館
- あま市立甚目寺中学校
- あま市民病院
- ヨシヅヤ甚目寺店
南部
- 甚目寺観音
- 漆部神社
- あま市甚目寺歴史民俗資料館
- あま市立甚目寺小学校
- 聖徳保育園
- 東光高岳名古屋工場
- ANAフーズ名古屋支店
- ニッケタウン甚目寺
- ニッケテニスドーム名古屋
- ニッケゴルフ倶楽部甚目寺センター
- スポーツクラブルネサンス甚目寺
- イクサム甚目寺店
- いちい信用金庫甚目寺支店
- 甚目寺駅
- 甚目寺観音
- 漆部神社
- 甚目寺歴史民族資料館
- あま市立甚目寺小学校
交通
鉄道
バス
道路
その他
日本郵便
脚注
参考文献
外部リンク
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