碓井哲雄

碓井 哲雄(うすい てつお、1941年10月28日 - 2021年9月11日)は、日本陸上競技選手。陸上競技指導者。

専門は長距離走

2002年から神奈川工科大学陸上競技部監督を務め[1]1995年[2][3][4] - 2021年日本テレビ放送網新春スポーツスペシャル箱根駅伝中継の名物解説者として活躍した[5]

略歴

東京都中央区出身。東京・東日本橋の、祖母が経営する料亭で中高時代を過ごした。東京都中央区立久松中学校(現:東京都中央区立日本橋中学校[6])1年から陸上を始め校内マラソンで優勝。陸上部へ誘われ、隅田川にかかる新大橋と両国橋を巡って健脚を鍛えた。中央大学杉並高等学校(現:中央大学附属高等学校)入学後、1958年の第9回全国高等学校駅伝競走大会(2年時)では4区の区間賞を獲得した[7][8]

1960年、高等学校を卒業して東急電鉄に入社した。1961年、社会人のまま中央大学経済学部に入学し、同年の日本陸上競技選手権大会5000m10000mで2位となる。

1962年に東急電鉄を退社して、正式に中央大学陸上部に入部した。

中央大学在学中、3度東京箱根間往復大学駅伝競走に出場し最多記録6連覇達成に2度貢献した。箱根駅伝は2年(1963年大会)10区3位、3年(1964年大会)2区3位の好成績を収めた。主将だった4年(1965年大会)も2区2位と好走したが、日本大学に7連覇を阻止された[9]

1966年、中央大学経済学部を卒業する[10]

卒業後は名古屋鉄道に進んだ後、28歳で現役を引退した。その後、ビジネスマンを経て、1981年から1994年まで中央大学陸上競技部コーチを務め、1983年には本田技研工業(現:Honda陸上競技部)総監督を兼任した[11]。1993年、東日本実業団対抗駅伝競走大会2連覇などを達成した[12]1986年アジア競技大会1500m金メダリスト大志田秀次1992年バルセロナオリンピック日本代表浦田春生らを育てた[7]

1996年、箱根駅伝での中大復活優勝の礎を築いた[13]。日本代表のコーチとして1992年バルセロナオリンピック、1990年アジア競技大会(北京市)、1994年アジア競技大会(広島市)に参加した[14]

東京箱根間往復大学駅伝競走の成績

  • 1963年(昭和38年)第39回東京箱根間往復大学駅伝競走 10区:3位 1時間7分5秒
  • 1964年(昭和39年)第40回東京箱根間往復大学駅伝競走 2区:3位 1時間15分53秒
  • 1965年(昭和40年)第41回東京箱根間往復大学駅伝競走 2区:2位 1時間15分19秒[15]

著書

  • 箱根駅伝 強豪校の勝ち方  碓井 哲雄 (著) (文春新書)[16]

脚注