テリー・ダンフィールド

テレンス・ダンフィールド英語: Terrence Danfield1982年2月20日 - )は、カナダイングランドの元サッカー選手、現サッカー指導者。元カナダ代表。選手時代のポジションはMF

テリー・ダンフィールド
名前
本名テレンス・ダンフィールド
ラテン文字Terry Dunfield
基本情報
国籍カナダの旗 カナダ
イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1982-02-20) 1982年2月20日(42歳)
出身地ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
身長178cm
選手情報
ポジションMF(CMF)
利き足両足
ユース
1987-1996カナダの旗 ポイント・グレイ
1996-2000イングランドの旗 マンチェスター・シティ
クラブ1
クラブ出場(得点)
2000-2002イングランドの旗 マンチェスター・シティ 9 (0)
2002-2005イングランドの旗 ベリー 74 (5)
2007-2009イングランドの旗 マクルズフィールド・タウン 61 (2)
2009-2010イングランドの旗 シュルーズベリー・タウン 46 (2)
2010-2011カナダの旗 バンクーバー・ホワイトキャップス 23 (3)
2011-2013カナダの旗 トロント 56 (6)
2014イングランドの旗 オールダム・アスレティック 2 (0)
2014-2015スコットランドの旗 ロス・カウンティ 4 (0)
2016カナダの旗 トロント・アトミック 16 (8)
代表歴2
2000 イングランド U-181 (0)
2000-2001 カナダ U-205 (0)
2002-2003 カナダ U-232 (0)
2010-2013 カナダ14 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年12月1日現在。
2. 2022年12月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ歴

バンクーバー生まれ。イングランドで行われたサッカー大会でマンチェスター・シティFCから興味を持たれ、同クラブの下部組織に加入した。2001年にジェフ・ホイットリーとの交代でプレミアリーグ初出場を記録した[1]。しかし監督がジョー・ロイルからケビン・キーガンに代わると出場機会を失い、監督側は契約更新を求めていたものの、退団の運びとなった。

2002年にバリーFCに移籍。レギュラーとして活躍していたが、2005年1月に膝蓋骨を骨折し、同年夏に放出された。その後は治療のために専門家のいる北米に戻った。回復後は古巣のマンチェスター・シティでリハビリを行った。

2007年7月、練習参加を経てマクルズフィールド・タウンFCに加入した[2]。同シーズンのクラブ最優秀選手となった[3]

2009年1月にシュルーズベリー・タウンFCに6万5000ポンドに移籍。夏までは適応に苦しんだが、翌シーズンには代表に初選出されるほどの活躍を見せた。しかしカナダ代表のスティーヴン・ハート監督から代表でのキャリアを考えるのならEFLリーグ2より上のリーグでプレーするべきだと言われたために翌月に退団した。クラブのグラハム・ターナー監督は「彼にとってはリーグ2に所属するこのクラブのサッカーでは彼を満足させるに足らなかった」と述べた[4]

2010年、バンクーバー・ホワイトキャップス時代

退団後にはマザーウェルFCの練習に参加していた最中にメジャーリーグサッカー入りが決まっていたバンクーバー・ホワイトキャップスからオファーを受けて、加入した[5]。2010年12月10日に翌シーズンのメンバー入りが発表され、メジャーリーグサッカーの選手となった[6]

2011年7月14日にトロントFCにトレードに出された[7]。同月30日にジュリアン・デ・グズマンとの交代で移籍後初出場を記録した[8]。移籍後初得点は2012年7月11日で、相手は古巣のバンクーバー・ホワイトキャップスであった[9]。同年のクラブ最優秀選手に選出された[10]。2013年6月に退団した[11]

2014年2月20日、練習参加を経てオールダム・アスレティックAFCに夏までの契約で加入した[12][13]。同年夏を以て契約満了した[14]

同年10月にロス・カウンティFCに加入した[15]。シーズン終了後に退団した[16]

2016年にトロント・アトミックFCに加入した。同年6月25日に加入後初得点を記録した[17]。8得点を記録し、クラブで最も得点をした選手となったが、同年で引退した[18]

代表歴

2010年5月29日に行われたベネズエラ代表戦でカナダ代表初出場を記録した。代表初得点は2011年6月1日に行われたエクアドル代表戦であったが、代表通じての得点はこの一点に止まった[19]。2013年9月10日のモーリタニア代表戦が代表最後の出場となった。

引退後

引退後はThe Sports Networkで分析官、OneSoccerでコメンテーターを務めた。

参考文献

外部リンク