一色恭志

一色 恭志(いっしき ただし、1994年6月5日 - )は京都府与謝郡与謝野町出身の陸上競技選手。専門は長距離走マラソン豊川高校(愛知県)青山学院大学経営学部・経営学科卒業。NTT西日本陸上競技部所属。既婚

一色 恭志
いっしき ただし
Portal:陸上競技
2016年2月、首相官邸にて(下段・一番左が一色)
選手情報
フルネーム一色 恭志
ラテン文字Tadashi Isshiki
国籍日本の旗 日本
競技陸上競技
種目長距離走マラソン
所属NTT西日本陸上競技部
大学青山学院大学経営学部卒業
生年月日 (1994-06-05) 1994年6月5日(30歳)
生誕地京都府の旗 京都府与謝郡与謝野町
身長169cm
体重55kg
自己ベスト
5000m13分39秒65(2016年)
10000m28分09秒23(2020年)
ハーフマラソン1時間01分50秒 (2020年)
マラソン2時間07分39秒 (2020年)
獲得メダル
陸上競技
ユニバーシアード
2015 光州ハーフマラソン
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経歴

中学時代

2009年、全日本中学校陸上競技選手権大会の800mに出場したが、準決勝で敗退。

高校時代

2010年、宮城県、仙台育英学園高等学校に入学。同期入学には服部弾馬がいる。1年生で第61回全国高校駅伝に2区で出場し区間2位。2011年、2年次にはアンカーを務めて区間賞を獲得[1]

2012年、愛知県の豊川高校に転校。12月の全国高校駅伝では、初出場の豊川高校4区で出場。第3中継所で既に1位であり、2位と1分15秒差をつけていたが区間賞を獲得する走りで2位との差を1分55秒に広げ、豊川高校の初出場初優勝に貢献した[2]。豊川高校の2学年後輩には、のちに大学でチームメイトとなる小野田勇次がいる。

2013年3月、ブィドゴシュチュ(ポーランド) で行われた第40回世界クロスカントリー選手権に日本代表としてジュニア男子8kmに出場。同時期に豊川高校を卒業。

大学時代

2013年4月、青山学院大学に進学し同陸上競技部・男子長距離ブロックに入部。1年生で学生3大駅伝に全て出場。

2015年1月、第91回東京箱根間往復大学駅伝競走では青山学院大学2年生ながらエース区間2区を務め区間3位。往路優勝、総合優勝に貢献した[3]

2015年3月、ユニバーシアード選考会を兼ねた日本学生ハーフマラソンに出場し、優勝を果たした。同年7月、光州で行われたユニバーシアードハーフマラソンに出場。1時間4分52秒で銀メダル獲得。青山学院大学の先輩であり同大会で優勝した小椋裕介とワンツーフィニッシュを決め、ハーフマラソン男子団体優勝に導いた[4]

2016年1月、第92回東京箱根間往復大学駅伝競走では前年に続いてエース区間2区を務め、区間3位。青山学院大学の連覇、完全優勝に貢献した。

2016年2月、初のフルマラソン挑戦となる東京マラソン2016に出場。結果は2時間11分台のゴールタイムで日本人3着・総合11位と健闘。しかし、青山学院大学の後輩で日本人2着・総合10位に入った下田裕太には11秒差で敗れ、インタビューでは「下田に負けたのが悔しい。35Km過ぎてから全く思うように走れなかった」と厳しい表情でコメントしていた[5]

2016年5月19日、関東インカレ2部10000mで駒大中谷圭佑についで、28分45秒33で2位。5月22日、2部5000mで優勝、13分51秒15。

2016年6月26日、第100回日本陸上選手権で5000mに出場。強豪選手が集う中、13分39秒65のタイムで4位と健闘する。自己ベスト記録も更新した。

2016年11月、第48回全日本大学駅伝対校選手権大会では最長区間の最終8区を務め、6キロ地点で49秒前に出走した早稲田大学の安井雄一を交わして先頭に立ち、初優勝を勝ち取った。

2017年1月、第93回東京箱根間往復大学駅伝競走では前年に続いてエース区間2区を務め、区間3位、2区67分台を3度記録したのは日本大学ダニエル以来、日本人では初めてである。青山学院大学の3連覇、完全優勝、大学駅伝3冠に貢献した。

同年1月、第22回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)へ、京都府代表として7区・アンカーを担当。青山学院大の先輩・神野大地愛知県代表)と下田裕太(静岡県代表)らと、3位争いのデッドヒートを繰り広げたが、ゴール手前で神野のラストスパートについていけず、京都府代表は総合4位・自身区間5位だった[6]

2017年3月、大学最後の公式レースとなる第72回びわ湖毎日マラソンへ2度目のフルマラソン出場となるも、5Km地点の給水に失敗した影響か、18Km過ぎで先頭集団から脱落。その後25Km付近、意識朦朧状態により倒れ込んでしまい途中棄権し、救急車で病院搬送された[7]

GMOアスリーツ時代

大学卒業後は、既に内定していたGMOインターネットが創設しているGMOアスリーツに入部[8]

2017年12月、第48回防府読売マラソンへ社会人入り後初のフルマラソンに挑戦。30Km付近までペースメーカーが先導する優勝争いの集団に加わっていたが、その後優勝した公務員ランナー・川内優輝らのロングスパートについていけず終盤はスローダウン。結果は2時間15分台の8位に留まった[9]

2018年2月、自身4度目となる東京マラソン2018・フルの部に出場。終始ペースが大きく乱れることなく、40Km手前では青学大駅伝部の1年先輩だった神野大地コニカミノルタ)を追い抜き、2時間09分台の好タイムでフィニッシュ。自己ベスト記録を約2分更新し、かつ一色自身初めて(また、青学大駅伝部OBとしても史上初)のサブ10(2時間10分未満)を達成した。しかしながら総合順位13位・日本男子でも8着と、今大会は設楽悠太Honda)が2時間6分11秒のゴールタイムで、男子マラソン日本記録を16年ぶり更新など全体的にハイレベルな争いとなり、マラソングランドチャンピオンシップ2020年東京オリンピック選考会)出場権獲得は成らなかった。

2018年10月、自身海外初挑戦のフランクフルトマラソン(ドイツ)で、MGC出場権(ワイルドカード・男子2大会2時間11分以内)を目指したが、結局2時間14分台の総合17位に終わった。

翌2019年3月、2年連続で東京マラソン2019にエントリー。序盤から先頭から離れて第2集団に待機していたが、レース後半に入ると冷雨と向い風による影響でペースダウン。総合10位(日本人6着)でゴールするも、記録は2時間12分21秒とワイルドカードとしてのMGC出場条件は僅か4秒届かず(2時間12分17秒以内)、ゴール後は完全に力尽き倒れ込み、無念の表情を浮かべていた[10][11]

MGCへのラストチャンスを賭けて、東京から2か月弱のインターバルながら同年4月のハンブルクマラソン2019に出走。2時間11分台の記録でフィニッシュし、ようやくワイルドカードの基準を満たしてMGC出場権を獲得。これで青学大OBとしては合計4人(ほか橋本崚藤川拓也・神野大地)と成り、原晋監督は一色に労いの言葉を送っていた[12][13]

だがその後、腸脛靭帯炎を発症し猛練習を積む事が出来ず、2019年9月15日開催のMGC本番レースは調整不足により欠場を表明[14]、東京五輪の男子マラソン日本代表出場は絶望的となった[15]

2020年1月の第25回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会へ、3年ぶりに京都府代表の7区・アンカーを務め、6区からの中継所では暫定3位でたすきを受けた。だが、スタート直後からスピードに乗れず、後続のランナーに次々と追い抜かれてしまい、京都府代表は総合13位・自身区間41位の不本意な結果に終わった[16][17]

2020年3月の東京マラソン2020へ3年連続で出走。日本記録並みのハイペースな第2集団についていったが、20Km付近で脱落。それでも後半は大きくペースダウンすること無く上手くまとめて、マラソン自己記録を2分4秒更新する、2時間7分39秒の総合15位(日本人9着)に入った[18]。なお、同大会では男子マラソン日本記録保持者の大迫傑ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が2時間5分29秒のゴールタイムで、大迫自らが持つマラソン日本記録を21秒更新となった[19]

2年振りのフルマラソン出場だった、2022年2月の第10回大阪マラソン(第77回びわ湖毎日マラソンと統合)では通算3回目のサブテンとなる2時間09分32秒でゴールするも、男子総合は11位に留まった[20]

NTT西日本時代

2023年3月末にGMOアスリーツを退部し、2023年4月にNTT西日本陸上競技部に移籍した[21]

人物・エピソード

  • 青山学院大学の1学年先輩だった神野大地・久保田和真小椋裕介とともに、当時「青学四天王」とも呼ばれた[22]
  • 血液型はO型。実家は、天橋立のほど近くにあり、丹後ちりめんのメーカー「一色テキスタイル」。
  • 青山学院大学の友人によると、一色の性格は「見た目は堅そうだけれど、何処か抜けている処がある」「意外におっちょこちょい」と言われ、自身も苦笑しつつ認めている。陸上部員の中では、特に1学年下の中村祐紀と仲が良く、自身のTwitterで度々ネタにするほどであった。
  • 東洋大学陸上部に在籍する服部弾馬とは、仙台育英高校・豊川高校時代の盟友であり、インタビューでも「ライバルでもあり、親友でもある」と答えている。陸上誌『大学駅伝2016-2017決算号』では、企画で服部と対談している。
  • 2014年11月11日放送の『news every.』で“マラソン界の金の卵”として紹介され、DeNAランニングクラブ総監督の瀬古利彦から推薦された。また、大学陸上部監督の原晋の分析からも「上下のブレが無く、安定感がある。推進力が常に前へ行っていて、効率的な走りをしている」と高い評価を受けている。監督の原は、一色を「瀬古さん以来のスター選手」と絶賛している。
  • 2016年10月10日に開催された第28回出雲全日本大学選抜駅伝競走の優勝インタビューで、感極まって号泣した。普段はどちらかと言うとポーカーフェイスでクールな一色であるが、号泣した理由として「とても強かった1年先輩が抜けてのプレッシャーがあった」、「同期の仲間と走って優勝を飾ることがなかなか無かったので、同期と勝ち取れて嬉しかった」ことを挙げている。
  • 趣味は海釣り。ただ、各テレビや雑誌などのメディア取材に対して、「大学時代は、生活の大半が陸上の練習だったため、ほとんど海に行けなかった」と語る一方で、「陸上は僕の青春でした」とも述懐している。
  • 2016年4月9日にTBS系列で生放送された『オールスター感謝祭’16春』のイベント企画「赤坂5丁目ミニ駅伝」に1学年下の下田裕太田村和希中村祐紀と共に青山学院大学陸上競技部チームとして参加したが、上田竜也(KAT-TUN)・小島よしおワッキー(ペナルティ)・森渉宮沢氷魚なかやまきんに君ハリー杉山佐野岳の芸能界最速チームに敗北した。
  • 2018年12月、青学大陸上競技部所属時の女性マネージャー結婚[23][24]

主な戦績(マラソン以外)

主な戦績は以下の通り[25][26][27]

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年

  • 第18回日本学生ハーフマラソン選手権大会 優勝 1時間2分11秒
  • 第28回ユニバーシアード競技大会 ハーフマラソン 2位 1時間4分52秒、団体の部優勝

2016年

2017年

2019年

2020年

大学駅伝成績

年度出雲駅伝全日本大学駅伝箱根駅伝
1年生
(2013年度)
第25回
3区-区間7位
23分31秒
第45回
1区-区間6位
43分38秒
第90回
1区-区間6位
1時間02分15秒
2年生
(2014年度)
第26回
(開催中止)
第46回
1区-区間6位
43分46秒
第91回
2区-区間3位
1時間07分45秒
3年生
(2015年度)
第27回
6区-区間2位
29分11秒
第47回
1区-区間2位
43分11秒
第92回
2区-区間3位
1時間07分35秒
4年生
(2016年度)
第28回
6区-区間2位
29分34秒
第48回
8区-区間2位
57分48秒
第93回
2区-区間3位
1時間07分56秒

マラソン全成績

年月日大会順位記録備考
2016年2月28日東京マラソン2016(男子の部)11位2時間11分45秒初マラソン、リオデジャネイロオリンピック選考レース
2017年3月5日びわ湖毎日マラソンDNF記録無し25Km付近でリタイア、世界陸上ロンドン大会選考レース
2017年12月17日防府読売マラソン8位2時間15分43秒
2018年2月25日東京マラソン2018(男子の部)13位2時間09分43秒MGCシリーズ第4弾(東京オリンピック選考会)
2018年10月28日フランクフルトマラソン17位2時間14分49秒
2019年3月3日東京マラソン2019(男子の部)10位2時間12分21秒MGCシリーズ第9弾
2019年4月28日ハンブルクマラソン11位2時間11分23秒ワイルドカードでMGC出場権獲得
2020年3月1日東京マラソン2020(男子の部)15位2時間07分39秒自己記録・MGCファイナルチャレンジ第2弾
2022年2月27日第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会(男子の部)11位2時間09分32秒世界陸上ユージーン大会杭州アジア競技大会男子マラソン選考会
2022年9月25日ベルリンマラソン2022(男子の部)42位2時間17分57秒

自己記録

脚注

外部リンク

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