平松英子

平松 英子(ひらまつ えいこ)は、日本の声楽家ソプラノ)、音楽教育者東京芸術大学音楽学部教授

平松 英子
出身地日本の旗 日本 東京都
学歴東京芸術大学
ミュンヘン音楽大学
ジャンルクラシック音楽
職業声楽家ソプラノ
音楽教育者

デビュー以前

東京都出身。東京学芸大学附属竹早小学校東京学芸大学附属竹早中学校東京都立芸術高等学校を経て、1980年(昭和55年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業[1]。1983年(昭和58年)同大学院オペラ[2]修了[1]。その後、ドイツ学術交流会 (DAAD) 奨学生としてミュンヘン音楽大学に留学[3]ハンス=マルティン・シュナイト、ハンノ・ブラシュケ (De:Hanno Blaschke) のもとで学び、1987年(昭和62年)マイスタークラスを修了する[1]東敦子に師事[4]

キャリア

プロとしてのキャリアのスタートは、ミュンヘン音楽大学在学中に代役としてバッハ・コレギウム・ミュンヘンのJ.S.バッハヨハネ受難曲』に出演したことから始まった。

その後、西ドイツの複数の劇場と契約しモーツァルト『魔笛』のパミーナで正式デビュー。第1回ミュンヒナー・ビエンナーレにてデトレフ・グラナート (De:Detlev Glanert) のオペラ『ライラとメチュヌーン』の初演を皮切りに、ベルリン・テアターデイヴェステンス、ホーフ劇場、T.ファルガ音楽祭、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭[4]など多くのコンサートに出演。J.S.バッハ、ヘンデルハイドンモーツァルトブラームスなど[5]宗教曲のソリストとしても[3]ヘルマン・プライペーター・シュライヤーエディット・マティス[3]などと共演、高い評価を獲得する[5]。このドイツ時代は約11年におよぶが、その間に東京芸術劇場のこけら落としの目玉であったジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団マーラー交響曲全曲演奏にシェリル・ステューダーなどとともに出演している。

ベルリンの壁崩壊の後ほどなくして拠点を日本に移す。日生劇場 ウェーバー魔弾の射手』エンヒェン役が帰国デビューとなる。その後、モーツァルト『フィガロの結婚』スザンナ、『ドン・ジョヴァンニ』ツェルリーナ、『魔笛』パミーナ、グルックオルフェオとエウリディーチェ』エウリディーチェ[4]などのオペラや、宗教曲、室内楽歌曲において幅広く活躍[5]ルネサンス音楽、バッハ、モーツァルトからヒンデミットバーンスタインマルタンベルク湯浅譲二[6]など現代曲までを歌いこなす柔軟な音楽性は、日本を代表するリリック・ソプラノとして、今は亡きジュゼッペ・シノーポリをはじめ国内外の多くの指揮者の賞賛の的となっている[5][7]。最近では細川俊夫の『クリスマス・カンタータ』の独唱者としてミュンヘンでの世界初演の成功に貢献した[5]イェルク・デームスも「エイコ・ヒラマツは世界で最も優れた何人かのリリック・ソプラノのうちの一人だ」と高く評価していたという。

芸術活動

東京藝術大学ホームページ[1]および昭和音楽大学オペラ情報センターの資料[8]によると、ヨーロッパ・日本ともに旺盛な演奏活動を行っていることが確認できる。

教育活動

  • 1994 - 1995 フェリス女学院大学音楽学部声楽学科非常勤講師
  • 1995 - 2003 フェリス女学院大学音楽学部声楽学科助教授
  • 1997.4 - 2009.3 東京芸術大学音楽学部非常勤講師
  • 2003 - 2009 フェリス女学院大学音楽学部声楽学科・演奏学科/大学院音楽研究科教授
  • 2009.4 - 2014.3 フェリス女学院大学非常勤講師
  • 2009.4 - 2014.3 東京芸術大学音楽学部准教授
  • 2014.4 - 東京芸術大学音楽学部 教授[1]

その他にも洗足学園音楽大学ミュージカルコースヴォーカル講師を務めている[2]

門下生は数多く、金持亜実[9]、加藤詩菜[10]、傅田実咲[11]、高橋仙佳[12]、菅原由衣子[13]、武藤あゆみ[14]、吉原花子ナディーカ[15]、松原愛美[15]、高橋香緒里[16]鷲尾麻衣[17]、岡田愛[18]などがいる。

2017年(平成29年)には第3回鹿嶋市第九交響曲コンサートの合唱指導も務めている[19]

その他の活動

日本演奏連盟会員。アルバン・ベルク協会会員[20]

主な顕彰

主なディスコグラフィー

脚注・出典

外部リンク