森鹿三

森 鹿三(もり しかぞう、1906年11月5日[1] - 1980年8月10日[2])は、日本の東洋史学者

森鹿三
人物情報
生誕 (1906-11-05) 1906年11月5日
日本の旗 日本兵庫県神戸市
死没1980年8月10日(1980-08-10)(73歳没)
出身校京都帝国大学 文学部
学問
研究分野東洋史
研究機関京都大学人文科学研究所佛教大学
学位文学博士
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経歴

1906年、兵庫県神戸市生まれ。旧制神戸第二中学校から第三高等学校文科丙類に進学。1926年、京都帝国大学文学部東洋史学科へ入学し、1929年に卒業した。

卒業後は、東方文化学院京都研究所の助手となった。翌1930年より研究員。研究所の歴史地理学研究室で研究に従事。戦後、東方文化学院が京都大学の機関となると、1949年より京都大学人文科学研究所教授となった。1963年から67年(第4代)、1969年から70年(第6代)の2期にわたって所長を務めた[3]。1961年 京都大学にて文学博士を取得[4]。1970年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は佛教大学文学部教授として教鞭を執った[5]

1980年8月10日、肝硬変のため自宅で死去[6]

研究内容・業績

東洋史研究のうち、古文書学ならびに古代中国の歴史地理学研究を主な研究テーマとした。東方文化学院では小川琢治の指導の下に「『水経注』の研究」、「清代疆域図の編纂」に取り組んでおり、地道な資料研究と基本資料となる地図の作成を行っていた。『水経注』については、『中国古典文学大系』21巻で邦訳(抄訳)を手掛けた[7]

著作

著書
共編
校注・訳
記念論集
論文
  • 森鹿三教授著作目録」『東方學報』第42巻、京都大學人文科學研究所、1971年3月、343-346頁、CRID 1390290699819554816doi:10.14989/66467hdl:2433/66467ISSN 0304-2448 

脚注