ろくぶんぎ座

天の赤道上にある星座

ろくぶんぎ座(ろくぶんぎざ、六分儀座、Sextans)は現代の88星座の1つ。17世紀末に考案された新しい星座で、六分儀がモチーフとされている[1][4]しし座の南、天の赤道上に位置している。明るい星のない、目立たない星座である。

ろくぶんぎ座
Sextans
Sextans
属格Sextantis, Sextansis
略符Sex
発音英語発音: [ˈsɛkstənz]、属格:/sɛksˈtæntɨs/
象徴六分儀
概略位置:赤経 09h 41m 04.87s -  10h 51m 13.90s[1]
概略位置:赤緯+6.43° - −11.66°[1]
広さ313.515平方度[2]47位
バイエル符号/
フラムスティード番号
を持つ恒星数
28
3.0等より明るい恒星数0
最輝星α Sex(4.49
メシエ天体0
確定流星群ろくぶんぎ座昼間流星群[3]
隣接する星座しし座
うみへび座
コップ座
テンプレートを表示

主な天体

恒星

2022年4月現在、国際天文学連合 (IAU) によって1個の恒星に固有名が認証されている[5]

そのほか以下の恒星が知られる。

  • α星:見かけの明るさ4.49等のA型巨星で4等星[8]。ろくぶんぎ座で最も明るく見える恒星。

星団・星雲・銀河

  • NGC 3115天の川銀河から約3160万 光年の距離にあるレンズ状銀河。紡錘状の形から「スピンドル銀河」の別名で知られる。パトリック・ムーア英語版がアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだコールドウェルカタログで、53番に選ばれている[9]
  • ろくぶんぎ座A:天の川銀河から約430万 光年[10]局所銀河群の外縁部に位置する矮小不規則銀河[11]
  • ろくぶんぎ座B:天の川銀河から約450万 光年[12]、局所銀河群の外縁部に位置する矮小不規則銀河[13]

由来と歴史

17世紀末にポーランド生まれの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスによって考案された[4]。ヘヴェリウスの死後の1690年に妻によって出版された著書『Prodromus Astronomiae』に収められたと星表『Catalogus Stellarum』と星図『Firmamentum Sobiescianum』に Sextant Uraniæ という名称で記載されたのが初出である[4]。「最後の肉眼観測者」[14]と称されることもあるように、ヘヴェリウスは六分儀を用いた肉眼観測で天体の正確な位置観測を行っていた。しかし、1679年9月26日に起きた火災により、ヘヴェリウスは愛用の六分儀を含む観測機器や書籍の多くを失ってしまった。Sextant Uraniae は、この火災で失われた六分儀を偲んで考案されたものであり[4]、文芸を司る女神ムーサの1柱で天文を司るウーラニアーの六分儀とされた[15]。ヘヴェリウスは、しし座うみへび座の間の12個の星を Sextans Uraniæ に充てたことについて『Prodromus Astronomiae』の中で「しし座とうみへび座は共に火の星座であり、六分儀も炎で苦しめられたため」としている[16]

その後、イギリスの初代王室天文官ジョン・フラムスティードが編纂し、死後の1725年に出版された星表『大英恒星目録 (Catalogus Britannicus)』や1729年に出版された星図『天球図譜 (Atlas Coelestis)』では「Uraniæ」の部分が除かれて、Sextans と短縮された[4][17]。この短縮された Sextans という星座名は、イギリスの天文学者フランシス・ベイリーが編纂し彼の死後1845年に刊行された『The Catalogue of Stars of the British Association for the Advancement of Science』でも採用された[4]。その一方で、1801年に出版されたドイツの天文学者ヨハン・ボーデの天文書『ウラノグラフィア』では原型の Sextans Uraniæ が使用されるなど[18]、天文学者によってまちまちであった。

1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Sextans、略称は Sex と正式に定められた[19]。新しい星座のため星座にまつわる神話や伝承はない。

現在のろくぶんぎ座の星に付されているバイエル符号風のギリシア文字の符号は、アメリカの天文学者ベンジャミン・グールド1879年に刊行した『Uranographia Argentina』で付したものである[4][20]。グールドは明るいものから順に、5つの星にαからεまでの符号を付している[20]

中国

古今図書集成に描かれた星宿。ろくぶんぎ座の星は左下の星官「天相」に置かれた。

ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー英語版(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、ε星と17番星の2星が、二十八宿の南方朱雀七宿の第四宿「星宿」にある星官「天相」に配されていた[21]

呼称と方言

日本では、明治末期には「六分儀」という訳語が充てられていたことが、1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事でうかがい知ることができる[22]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「六分儀(ろくぶんぎ)」として引き継がれた[23]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[24]とした際に、Sextans の日本語の学名は「ろくぶんぎ」と定められ[25]、これ以降は「ろくぶんぎ」という学名が継続して用いられている。

これに対して、天文同好会[注 1]山本一清らは異なる訳語を充てていた。天文同好会の編集により1928年(昭和3年)4月に刊行された『天文年鑑』第1号では星座名 Columba に対して「六分儀」の訳語を充てていた[26]が、1931年(昭和6年)3月に刊行した『天文年鑑』第4号からは、星座名を Sextans Uraniae、訳名を「天の六分儀」と紹介し[27]、以降の号でもこの星座名と訳名を継続して用いていた[28]

現代の中国では六分儀座[29]: 六分仪座)と呼ばれている。

脚注

注釈

出典