アジアーゴ

コムーネ

アジアーゴイタリア語: Asiago)は、イタリア共和国ヴェネト州ヴィチェンツァ県にある、人口約6,500人の基礎自治体コムーネ)。

アジアーゴ
Asiago
アジアーゴの風景
軍人墓苑(Sacrario Militare)からの市街眺望
行政
イタリアの旗 イタリア
ヴェネト州の旗 ヴェネト
県/大都市 ヴィチェンツァ
CAP(郵便番号)36012
市外局番0424
ISTATコード024009
識別コードA465
分離集落Sasso
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 3 (sismicità bassa)
気候分類zona F, 4163 GG
公式サイトリンク
人口
人口6,453 [1](2019-01-01)
人口密度39.6 人/km2
文化
住民の呼称asiaghesi
守護聖人聖マッテオ
(San Matteo)
祝祭日9月21日
地理
座標北緯45度52分 東経11度31分 / 北緯45.867度 東経11.517度 / 45.867; 11.517 東経11度31分 / 北緯45.867度 東経11.517度 / 45.867; 11.517
標高1001 (337 - 2341) [2] m
面積162.99 [3] km2
アジアーゴの位置(イタリア内)
アジアーゴ
アジアーゴの位置
ヴィチェンツァ県におけるコムーネの領域
ヴィチェンツァ県におけるコムーネの領域地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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アジアーゴ高原に位置するコムーネで、この地域では最大のコムーネ人口を有する。歴史上は、ドイツ語系の言語と独自の文化を有して自治を保った「セッテ・コムーニ」の中心地であり、第一次世界大戦の激戦地(アジアーゴの戦い)としても知られる。冬はウィンタースポーツ(特にノルディックスキー)、夏はハイキングサイクリングなどで賑わうリゾート地であり、またアジアーゴ・チーズにその名を冠している。

名称

歴史的にはドイツ語系のチンブロ語が話された地域である。イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。

日本語文献では「アジアーゴ」のほか、「アジアゴ」[4]とも表記される。

地理

位置・広がり

ヴィチェンツァ県北端、アジアーゴ高原(セッテ・コムーニ)に位置するコムーネで、北にトレンティーノ=アルト・アディジェ州に接する。おおむねT字型の市域の面積は162.99km2に及び、これはヴィチェンツァ県は最も広い。市域の北部は山岳・高原地帯が広がっている。

アジアーゴの中心市街は市域南部にあり、県都ヴィチェンツァの北約37km、トレントの南東約37km、州都ヴェネツィアの北西約79kmに位置する[5]

ヴィチェンツァ県概略図

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のTNはトレント自治県トレンティーノ=アルト・アディジェ州)所属を示す。

歴史

古代・中世

アジアーゴの市庁舎に掲げられた、7つのコムーネの紋章

この地域に最初に人類が居住するようになったのは、旧石器時代中石器時代にさかのぼる。ローマ時代以前にはすでに定住が見られた。

アジアーゴ高原の7つの都市(セッテ・コムーニ)は、1310年に同盟を結んだ。アジアーゴは同盟の中心地であった。セッテ・コムーニは5世紀にわたり自治を行った。

ナポレオン戦争によりフランスが北イタリアを占領すると、1807年にセッテ・コムーニの自治も失われた。

近代・現代

アジアーゴ高原の戦場

第一次世界大戦では、当時オーストリア=ハンガリー帝国領であった南チロル(現在のトレンティーノ=アルト・アディジェ自治州)との国境にあたるアジアーゴ高原はイタリア戦線の戦場となった。当初は国境線に沿った塹壕をめぐり、膠着した戦いが繰り広げられた。

1916年5月、オーストリア軍はアジアーゴ高原の突破を図って攻勢をかけた。激しい砲撃により、アジアーゴの市街地も破壊された。1か月に及ぶこの戦いはオーストリア軍の敗退に終わるが、両軍合わせて2万7000人の戦死者を出した。その後も、国境付近のオルティガーラ山を巡るオルティガーラ山の戦い(1917年6月)などが繰り広げられた。

第一次世界大戦の終結後、市街地の再建が行われるとともに、戦没者の遺骨を収拾して記念碑(納骨堂)が作られた。

社会

言語

アジアーゴでは、19世紀半ばまでドイツ語系の言語であるチンブロ語が話されていた。

特産品

アジアーゴ・チーズの産地である。熱を少し加えたグラーナ・タイプのチーズで、ペコリーノに似て平らで丸く、重さは一つ9kgほどである。原産地名称保護制度 (DOP) による名称保護を受けており、アジアーゴで規定に従って生産されたチーズだけが「アジアーゴ・チーズ」という名称を使用できる。

文化・観光・施設

第一次世界大戦の激戦地

市街近くの丘には軍人墓苑 (it:Sacrario militare di Asiagoがあり、記念碑(納骨堂)や博物館が建てられている。この記念碑は、パスビオイタリア語版モンテ・グラッパトネッツァ・デル・チモーネの戦争記念碑と同様に、ヴィチェンツァ県のシンボルとなっている。

軍人墓地 (it:Cimiteri di guerra dell'Altopiano dei Sette Comuniには各国の戦没者が埋葬されている。

アジアーゴの戦いに従軍したエミリオ・ルッス(のちに小説家・政治家となる)は、『戦場の一年』でこの戦闘を描いている。アーネスト・ヘミングウェイも当地で戦った一人である。

天文台

アジアーゴには天文台が2つある。

パドヴァ大学が所有するアジアーゴ天文台 (it:Osservatorio astrofisico di Asiagoと、イタリア国立天文学研究所(INAF) (it:Istituto nazionale di astrofisicaのアジアーゴ・チーマ・エカール天文台 (it:Stazione osservativa di Asiago Cima Ekarである。

1999年から、パドヴァ大学天文学部とドイツ航空宇宙センター(DLR)の共同プロジェクトとして、アジアーゴ・チーマ・エカール天文台の望遠鏡を用いて地球近傍天体を観測するアジアーゴDLR小惑星サーベイが行われた。

アジアーゴ天文台

スポーツ

アイスホッケーのクラブチーム HC Asiagoインラインホッケーのクラブチーム Asiago Vipers が本拠を置く。

交通

アジアーゴ空港

空港

人物

著名な出身者

脚注

外部リンク