アラン・ジレス

フランスのサッカー選手

アラン・ジレスAlain Giresse, 1952年8月2日 - )は、フランスジロンド県ランゴワラン出身で元同国代表の元サッカー選手ミッドフィールダー)であり、現サッカー指導者。1982年度バロンドール投票ではパオロ・ロッシに次いで第2位に選ばれた[1]。長年の功績からフランス国家の最高勲章であるレジオンドヌール勲章を受章している[2]。小柄ながらチームを牽引しナポレオンの愛称で知られた[3]

アラン・ジレス
名前
愛称ジジ (Gigi)
カタカナアラン・ジレス
ラテン文字Alain GIRESSE
基本情報
国籍フランスの旗 フランス
生年月日 (1952-08-02) 1952年8月2日(71歳)
出身地ランゴワラン
身長163cm
体重62kg
選手情報
ポジションMF
利き足右足
クラブ1
クラブ出場(得点)
1970-1986フランスの旗 ボルドー 519 (168)
1986-1988フランスの旗 マルセイユ 67 (5)
代表歴
1974-1986フランスの旗 フランス47 (6)
監督歴
1995-1998フランスの旗 トゥールーズ
1998フランスの旗 パリ・サンジェルマン
1999-2000フランスの旗 トゥールーズ
2001-2003モロッコの旗 FARラバト
2004-2005ジョージア (国)の旗 ジョージア
2006-2010ガボンの旗 ガボン
2010-2012マリ共和国の旗 マリ
2013-2015セネガルの旗 セネガル
2015-2017マリ共和国の旗 マリ
2018-チュニジアの旗 チュニジア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

略歴

1968年ボルドーへ入団。1983-1984、1984-1985シーズンのリーグ連覇にも貢献、2年連続リーグ最優秀選手賞を受賞、1984-85シーズンにはチャンピオンズカップの準決勝にチームを導いたが、その準決勝でプラティニが在籍するユベントスと対戦、第1戦を0-3と落し、第2戦では2-0と勝利したが、合計スコアの差で決勝進出を逃した。1985-86シーズンのフランスカップ決勝、マルセイユ戦では決勝ゴールを決め、優勝を果たした[4]

1975年9月7日ポーランド戦で代表デビューを果たした[5]。1978年以降1986年までミシェル・プラティニとともに銀の中盤と呼ばれたフランスの中盤の一角を担った[6]1982年スペインW杯に出場、グループリーグのイングランド戦ではソレールのゴールをアシスト[7]、2次リーグの北アイルランド戦では2ゴールを決め準決勝進出に貢献[5][7]、準決勝の西ドイツ戦ではトレゾールのゴールをアシスト、自らもミドルシュートからゴールを決めたがPK戦の末敗れ[5]、優勝はならなかった。さらにEURO1984でも全試合場、グループリーグのベルギー戦では1ゴール2アシストの活躍をみせるなど[7]、優勝をもたらした。

1986年メキシコW杯にも出場[5]、グループリーグのソビエト戦でパパンのゴールをアシストした[7]。準決勝ではまたしても西ドイツに敗れ、決勝に進出は出来なかったが、3位の成績をおさめた。同年にマルセイユへ移籍、2シーズンプレーした後に現役を引退。1987年にフランス最優秀選手に選ばれ、同賞を3度受賞したこととなった。

引退後はトゥールーズジョージア代表ガボン代表マリ代表チュニジア代表の監督を歴任した。

所属クラブ

代表歴

指導者経歴

タイトル

選手時代

FCジロンダン・ボルドー
フランス代表
個人

監督時代

パリ・サンジェルマンFC
FARラバト
  • クーペデュトロネ:1回(2003)

脚注

外部リンク