エッグベネディクト

卵などを乗せたパン料理

エッグベネディクト英語: Eggs Benedict)は、イングリッシュ・マフィンの半分に、ハムベーコンまたはサーモン等や、ポーチドエッグオランデーズソースを乗せて作る料理である。

エッグベネディクト
発祥地アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク市
主な材料イングリッシュ・マフィンベーコンオランデーズソース
類似料理ポーチドエッグ
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エッグベネディクト
エッグベネディクトとスモークサーモン

発祥

エッグベネディクトの発祥には諸説ある。

ザ・ニューヨーカー』のコラム『Talk of the Town(街の話題)』での、ウォールストリート株式仲買人レミュエル・ベネディクトへの、彼の亡くなる前年である1942年インタビューによると[1]1894年ウォルドルフホテルを訪れ、二日酔いを直すために『バターを塗ったトースト、ポーチドエッグ、カリカリに焼いたベーコンと一口分のオランデーズ』を注文した。「ウォルドルフのオスカー」として知られる支配人のオスカー・チルキー (Oscar Tschirkyがこの料理に感銘し、ベーコンとトーストをハムとイングリッシュ・マフィンに替えて、朝食ランチのメニューに採用した[2]

クレイグ・クレイボーン (Craig Claiborneは、1967年9月の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』のコラムでフランスに移住したアメリカ人、エドワード・P・モンゴメリーからの手紙を紹介した。モンゴメリーは、この料理は1920年に86歳で亡くなった銀行家でヨット乗りのイライアス・コーネリアス・ベネディクトが作ったと述べた。モンゴメリーはまた、イライアスの友人である伯父から母が受け取ったとするエッグベネディクトのレシピを一緒に送った[3]

1967年11月マサチューセッツ州ヴェニヤード・ヘブン(en)のメーベル・C・バトラーは、モンゴメリーの主張に対し、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で「ル・グラン・ベネディクト夫人にまつわる周知の真実」として彼女が考案者であると述べた。

ベネディクト夫妻は、1900年ニューヨークに住んでいたとき、毎週土曜日デルモニコス食事していた。ある日ベネディクト夫人は支配人に「何か新しくて変わった料理はないの?」とたずねた。支配人がこれに応じて彼女の好みを尋ね、焼いたイングリッシュ・マフィンとハムの上にポーチドエッグを乗せ、オランデーズソースとトリュフを添えることを提案した[4]

種類

レストランや地域により、エッグベネディクトには多くの種類がある。

シーフードベネディクト
ハムの代わりにカニ小エビロブスター、またはホタテガイを使う。
エッグプラックストーン
ハムを脂身入りベーコンに替え、トマトの薄切りを加える[5][6][7]
エッグフロレンティーン(フィレンツェ風)
ハムの代わりにホウレンソウを使う[8][9][10]。旧式のエッグフロレンティーンは、ポーチドエッグ、溶き卵にホウレンソウを加えモルネーソースを添える。[11]
エッグユサルド
イングリッシュ・マフィンの代わりにオランダラスクを使用し、マルシャン・ド・ヴァンを加える[12][13][14]
サーモンベネディクト(エッグパシフィカ、エッグモントリオール、エッグロワイヤル)
ベーコンの代わりにスモークサーモンを使う。
パシフィック・ノースウエスト・エッグベネディクト
焼いたイングリッシュ・マフィンにアラスカ産天然スモークサーモンにポーチドエッグを乗せ、オランデーズソースを添える。マフィンをダンジネスクラブ(アメリカイチョウガニ)のクラブケーキに替える場合もある。
エッグサルドゥ
イングリッシュ・マフィンとハムの代わりにアーティチョークをベースにアンチョビの切り身を使い、刻んだハムとトリュフ薄切りにオランデーズソースを添える。この料理はニューオリンズのアントワーヌレストランが劇作家ヴィクトリアン・サルドゥに敬意を表して作った[15][16][17]。この料理の世界的に普及したものは、クリーム和えのホウレンソウをベースとし、イングリッシュ・マフィンの代わりにアーティチョークを使い、ハムを使用しない。[12][18][19]
アーティチョークベネディクト
イングリッシュ・マフィンの代わりに、窪みをつけたアーティチョークを使う。[20][21][22]
カントリーベネディクト
エッグボールガールとしても知られ、イングリッシュ・マフィン、ハム、およびオランデーズソースを、ビスケットソーセージのパテ、カントリーグレイビー(ホワイトグレイビー)に替え、ポーチドエッグを目玉焼きに替える[23][24][25]
エッグベネディクトアーノルド
イングリッシュ・マフィンをビスケットに、オランデーズをカントリーグレイビーに替え、ポーチドエッグは使用せず固焼きの黄身を用いる。
アイリッシュベネディクト
ハムをコンビーフ(コンビーフとキャベツの煮物は、アイルランドでは稀だが、アメリカのアイルランド料理として知られ[26]、アメリカで年間に消費するコンビーフ4700万ポンドの半分が聖パトリックの祝日前の2週間に消費される[27])またはアイリッシュベーコン(バックベーコン)に替える。[28][29][30]
エッグチェサピーク
ベーコンに替えてクラブケーキを使う。
ダッチベネディクト
ハムまたはベーコンをスクラップルに替える。ペンシルベニア州東地区で食べられる。
ベジベネディクト
ベーコンに替えてアボカドとトマトを使う。
エッグカールズバッド
ハムをアボカドに替える。カリフォルニア州、カールズバッドのDon's Country Kitchenで作られる。
ワッフルベネディクト
イングリッシュ・マフィンの代わりにワッフルを使用する。通常、オランデーズに加えてメープルシロップを添える。
まんまるたまごのハムサンド
日本ケンタッキーフライドチキンのモーニングメニューとして2009年より一部店舗にて販売されている[31]。半熟のゆで卵とハムにオランデーズ風ソースとチェダーチーズをかけて二分割したマフィンで挟んだサンドイッチ形式である。
エッグベネディクト(ロイヤルホスト)
ロイヤルホストのモーニングメニューとして2012年より販売されている。「ロイヤルホスト風」として、皿1枚に通常のエッグベネディクトと、イングリッシュマフィンに野菜とザワークラウトを乗せたものを盛っている。

参考文献(時系列)

日付は出版日時。

  • 1898年 - 『Eggs, and how to use them 』の、エッグベネディクトのレシピ。「小さなマフィンを半分に切ってトーストする。それぞれに丸いハムの薄切りを焼いて乗せ、ハムの上にポーチドエッグを乗せる[32]。適量のオランデーズソースを添える。」[33]
  • 1900年 - 『The Connecticut Magazine: an Illustrated Monthly, Volume VI 』のエッグベネディクトのレシピは、「3番目の種類がエッグベネディクトと呼ばれる。小さなパンのサイズに切って煮たハムの薄切りを焼く。パンの薄切りをトーストし、バターを塗り、水分を加える。ハムを乗せ、ポーチドエッグを乗せる。一つずつ配る。」[34]
  • 1907年 - 『Many Ways for Cooking Eggs 』には、マフィン作りからのエッグベネディクトのレシピがある。酵母を使うイングリッシュ・マフィンと異なり、このレシピはベーキングパウダーとメレンゲを使用して発酵させる。しかしながら、変わらずマフィンコンロで焼く。続くレシピでは、「ハムの薄切りを焼く。オランデーズソースを作る。トリュフを切る。必要分のポーチドエッグを作る。マフィンを皿に盛りハムを乗せ、ポーチドエッグを乗せる。卵にオランデーズソースをかける。トリュフを少々ふりかけ直ぐに供する。」[35]
  • 1914年 - 『The Neighborhood Cook Book 』でのエッグベネディクトのレシピは、「トーストの上に軽く焼いたハムを乗せる。ハムにポーチドエッグを乗せ、オランデーズソースをたっぷりかける。」[36]
  • 1918年 - 『Boston Cooking-School Cook Book 』のエッグ・ア・ラ・ベネディクトのレシピは、「イングリッシュ・マフィンを半分に切りトーストする。茹でたハムの丸い薄切りをソテーする。マフィンの半分にハムを乗せ、落とし卵でアレンジし、オランデーズソースをかける。ソースはかけやすいように、クリームを加える。」[37]
  • 1919年 - 『he Hotel St. Francis Cook Book 』のエッグベネディクトのレシピは、「イングリッシュ・マフィンを2つに切り皿に盛る。それぞれに焼いたハムを、ハムの上にポーチドエッグを乗せ、オランデーズソースをたっぷりかける。ソースにトリュフの薄切りを添える。」[38]
  • 1938年 - Haill Hayden's Hollandaise (6オンスで50セントの瓶入りオランデーズ)の広告がニューヨーク・タイムズに掲載された。「今まで知られていないソースが現れた。それを味わうと、有名シェフは卵とき器を壊して嫉妬に涙した! チモシーアルファルファの香りがするバター、親鳥がまだ泣き続けている卵、レモンと刺激的なスパイスで作られる! 1滴の油も代用品も含まれない。カリフラワーアーティチョークレタス、エッグベネディクト、魚にかけ、「ブロッコリー、ブロッコリー」と歌って食べよう。」[39]
  • 1942年 - 『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューで、レミュエル・ベネディクトが二日酔いを直すために、ウォルドルフホテルで注文して考案したと主張した。[2]
  • 1960年 - エリザベス・デイビッドが『French Provincial Cooking 』を出版し、ほとんど同一の伝統料理ウ・ベネディクティヌ(œufs bénédictine )について述べた。
  • 1967年 - クレイグ・クレイボーンが『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で、エドワード・P・モンゴメリーからの、エッグベネディクトをコモドール・E・C・ベネディクトが考案したと書いた手紙を紹介した。[3]
  • 1967年 - 『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』でメーベル・C・バトラーはモンゴメリーの主張に対し、ル・グラン・ベネディクト夫人がデルモニコスでの注文でこの料理を考案したと述べた[4]。チャールズ・ ランフォーファーの料理本『The Epicurean 』最新版に「エッグ・ア・ラ・ベネディク」のレシピがある[40]が、このレシピは1894年の初版には含まれない[41]。1876年から1879年の間、チャールズ・ ランフォーファーは1862年から1896年に引退するまでデルモニコスのシェフであった。

脚注

外部リンク