オービスク峠

オービスク峠またはオビスク峠(Col d'Aubisque)は、フランスピレネー=アトランティック県に位置する、ピレネー山脈にある。標高1709m。

オービスク峠
Col d'Aubisque
所在地フランスの旗 フランスピレネー=アトランティック県
座標北緯42度58分36秒 西経0度20分23秒 / 北緯42.97667度 西経0.33972度 / 42.97667; -0.33972 西経0度20分23秒 / 北緯42.97667度 西経0.33972度 / 42.97667; -0.33972
標高1,709 m
山系ピレネー山脈
プロジェクト 地形
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概要

タルブポー間、約30kmの道中にある峠で、例年、当年12月上旬から翌年5月上旬までは通行止め区間となっている。峠の南側には、標高2613mのジェル山頂(pic de Ger)がそびえる。

西側にあるラリュン(Laruns)起点の場合、水平換算距離16.6km、平均7.2%、最大10%の勾配で、標高差は1190m。東側にあるアルジュレ=ガゾズ(Argelès-Gazost)起点の場合、水平換算距離30.1km、平均4.1%、最大8.5%の勾配で、標高差は1019mとなっている。

また、スキーなどのウインタースポーツ観光地としても有名。さらに後述するとおり、ツール・ド・フランスのピレネー山脈超えステージにおいて、定番の難所としてほぼ毎年コースに組み入れられている。

ツール・ド・フランス

最初にコースに組み入れられたのは、ツール・ド・フランスに初めてピレネー山脈超えステージが設けられた1910年。最初の首位通過選手は、フランソワ・ラフルカド。以来、2010年まで実に71回の実績を誇る。内、3回は当峠がゴール地点となった。また、1985年は2回組み入れられた。

2012年の開催では、新城幸也が当峠を3位で通過した。

歴代首位通過選手

1910年のツール・ド・フランス
1947年以降。
区間カテゴリ首位通過選手
202218HCジュリオ・チッコーネ
201819HCラファウ・マイカ
201216HCトマ・ヴォクレール
201113HCジェレミ・ロワイ
201016HCクリストフ・モロー
200516HCカデル・エヴァンス
200211HCローラン・ジャラベール
2000102ハビエル・オチョア
1999161アルベルト・エッリ
199810HCセドリック・ヴァスール
1996171ネイル・ステフェンス
1995162順位不問(ファビオ・カサルテッリ追悼ステージ)
1993171クラウディオ・キアプッチ
199113HCギド・ヴィンターベルク
199017HCオスカル・バルガス
19899HCミゲル・インドゥライン
198714HCティエリー・クラヴェイローラ
198518bHCレイネル・モントヤ
198310HCルシアン・ファンインプ
1982121ビート・ブロイ
198013HCモリス・ル・ギユー
197721ハニー・クイパー
1976151ウラディミロ・パニッツァ
197271ウィルフリート・ダヴィト
1971161ベルナール・ラブルデット
1970191レイモン・ドリズル
1969171エディ・メルクス
1968121フリオ・ヒメネス
1967171ジャン=クロード・テイーエル
1966101トマゾ・デ・プラ
196591フリオ・ヒメネス
1964161フェデリコ・バーモンテス
1963101フェデリコ・バーモンテス
1961171エディ・パウウェルス
1960101グラツィアーノ・バッティスティーニ
1958131フェデリコ・バーモンテス
1957181ジャン・ドット
1956111ヴァランタン・ユオ
1955181シャルリー・ゴール
1954111フェデリコ・バーモンテス
1953101ヘスス・ロロニョ
1952181ファウスト・コッピ
1951131ラファエル・ジェミニアーニ
1950111ジャン・ロビック
1949111ファウスト・コッピ
194871ベルナール・ゴティエ
1947151ジャン・ロビック

当峠がゴール地点

2007年、当峠ゴールの第16ステージで優勝を果たし、総合優勝に大きく前進したはずのミカエル・ラスムッセンが、翌日、所属チームだったラボバンクから解雇されたことで、棄権を余儀なくされたシーンが思い出される。

区間起点距離 (km)カテゴリー区間優勝者マイヨ・ジョーヌ
200716オルテズ218.5HCミカエル・ラスムッセンミカエル・ラスムッセン
198518aリュズ=サン=ソヴール52.51ステファン・ロッシュベルナール・イノー
197116aバニェル=ド=リュション1451ベルナール・ラブルデットエディ・メルクス

外部リンク