カエノラブディティス・エレガンス

モデル生物として広く利用される、線虫の一種

カエノラブディティス・エレガンス[1][2][3][4][5](Caenorhabditis elegans) は、線形動物門双腺綱桿線虫亜綱カンセンチュウ目カンセンチュウ科に属する線虫の1種。実験材料として非常に優れた性質をもつことから、モデル生物として広く利用されている。多細胞生物として最初に全ゲノム配列が解読された生物でもある。生物学の研究者にとってなじみ深く、C. elegansで広く通じ、日本語でもC.エレガンス(シー・エレガンス)と書かれることが多い[6]。体長約 1mm で透明な体をもつ[7]

Caenorhabditis elegans
C. elegans微分干渉顕微鏡
分類
:動物界 Animalia
:線形動物門 Nematoda
:双腺綱 Secernentea
亜綱:桿線虫亜綱 Rhabditia
:カンセンチュウ目(桿線虫目)
Rhabditida
:カンセンチュウ科(桿線虫科)
Rhabditidae
:カエノラブディティス属
Caenorhabditis
:カエノラブディティス・エレガンス
C. elegans
学名
Caenorhabditis elegans
Maupas, 1900

生態

多くの線虫が他生物に寄生することが知られるが、線形動物門に占める割合としては大半の種は寄生生活ではなく、本種も自由生活性である。土壌に生息し細菌類を食べる(細菌食性)。実験室では寒天培地上に生やした大腸菌を栄養源として飼育される。

ただし、その生息地は明確にされていない。本種を記載したフランスの動物学者、Emile Maupas は本種を2度採集しており、それはいずれもアルジェ空港近辺の腐植土からと記している。ところが、Félix & Braendle 2010によると、彼女らが世界中の野外の土壌サンプルを相手にした範囲では、本種が採集されたことは1度もないという。その代わり、人為的に作られた堆肥からは比較的よく採集される。

内部構造

体細胞数は、雌雄同体成虫では 959 個かそれを少し上回る数、では 1033 個かそれを少し上回る数である[8][9][10][11]。古い文献では雄の細胞数を 1031 個とする記述が多く見られるが、2015年に左右一対のMCM神経の発見[10]が報告されたことで、雄の細胞数がこれよりも2個増えている。雌雄同体の腸内に共生微生物が豊富に存在する環境では、子の腸細胞が1~3個程度増加する可能性が報告されている[11]C. elegans の細胞数を数える際には、細胞融合によって多核細胞となる表皮細胞については細胞でなく細胞核を数えるが、細胞分裂を伴わない核分裂によって多核細胞となる腸細胞については細胞核でなく細胞を数えている[8][9]

神経筋肉消化管表皮生殖巣の組織や器官をもつ。は約14時間で孵化し、幼虫(L1-L4)はクチクラ層の脱皮を4回繰り返し成虫になる。身体の半分以上の体積を占める生殖系列細胞は 1000 個を越えることもある。

神経細胞はわずか 302 個で、頭部の神経環と呼ばれる部位に多数集まりに相当する領域を形作っている。これだけの細胞で物理刺激に対する回避運動や、化学物質(塩化ナトリウムなど)や温度と餌を関連付けた学習ベンズアルデヒドなどの誘引性揮発性物質に対する順応などの行動を示す[12][13][14]。また、個々の神経がどの細胞とシナプスもしくはギャップジャンクションを形成しているかが透過型電子顕微鏡の連続切片像から完全に再構築されていることや、レーザーを照射して特定の神経細胞を破壊する実験などから、どの神経細胞がどのような行動に関わるかもある程度わかっている。

生殖

性染色体による性決定は XO 型である。XX の個体は雌雄同体になり、XO の個体はになる。雌雄同体は幼虫期に 300 個弱の精子を作り、成虫期になると形成し、貯めておいた精子を使って自家受精を行う。一個体が産卵する子孫は 300 匹弱。このことは実験上、遺伝的な背景を均一にすることに役立つ。一方、雄は約 0.1% の割合で現れる。これと雌雄同体とを交配させることも可能。

モデル生物としての C. elegans

モデル生物としての歴史は1960年代に始まる。当時シドニー・ブレナー発生過程と神経系の問題が今後の生物学で重要な分野になると考えた。分子生物学の成功には、大腸菌などのモデル生物(取り扱いやすく、大量に培養可能で、遺伝学生化学的手法が使えるという性質をもっている)を使ったことが大きく関与していると考えた彼は、同様の特徴を持つ多細胞生物として C. elegans をモデル生物とすることを提案した。当初近縁種の C. briggsae も候補にあげられていたが、ブレナーの好みで C. elegans になったとされる。

それ以前の発生生物学上のモデル生物としては古典的な発生学以来のウニイモリ、分化の過程に関しては細胞性粘菌キイロタマホコリカビ)がよく使われたが、前者はその体が大きく複雑に過ぎ、後者では体の構造がないに等しく、多細胞動物とは比較できない。そのため、後生動物でありながら体が小さく細胞数が少なく、しかも培養がたやすいものが必要であり、C. elegans はこれらの条件に良く合っている。現在では Caenorhabditis Genetics Center [15]に登録される研究室は 400 を越える。

C. elegans をモデル生物として確立し、器官発生とアポトーシスの遺伝制御に関する発見をした成果に対し、ブレナーおよびロバート・ホロビッツジョン・サルストンは2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

1990年にヒトゲノム計画のモデル系として、全ゲノム配列の決定が3年間のパイロットプロジェクトとして開始された。これはアメリカ国立衛生研究所MRC分子生物学研究所の資金提供によるものである。1994年の資金追加を経て、1998年に多細胞生物として初めて 97Mb の塩基配列読み取りが完了した。その結果、6本の染色体上に約 19000 個の遺伝子の存在が予測された。

また、2本鎖の RNA を導入すると、それと相同の配列を持つ遺伝子の発現が抑制されるという、RNAi と呼ばれる遺伝子抑制手法が初めて確立された生物でもある。1998年にアンドリュー・ファイアーらにより報告されたこの現象は siRNA の発見へとつながり、現在遺伝子治療でもっとも期待される手法の一つとなっている。RNAi という現象を発見した成果に対し、ファイアークレイグ・メローは2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

身体が透明で外来遺伝子の発現が容易であることから、蛍光レポーターなどの機能タンパク質の性能評価に適した多細胞生物である。マーティン・チャルフィーは、緑色蛍光タンパク質(GFP)C. elegans の機械刺激受容神経に発現させ、GFPを蛍光レポータータンパク質として異種生物に応用できることを示した[16]。この成果により、チャルフィーは下村脩ロジャー・Y・チエンとともに2008年にノーベル化学賞を受賞した。

2015年に九州大学の研究グループは、 C. elegans を使って、被験者の尿の臭いを利用して早期かつ高精度のがん検診に成功したことを発表した[17][18]

OpenWormという、C. elegans を細胞レベルでシミュレーションする国際的なオープンサイエンスプロジェクトがある。

注釈・参考文献

外部リンク