キャンプ・デービッド

アメリカ合衆国メリーランド州にあるアメリカ合衆国大統領の保養地

キャンプ・デービッド英語: Camp David)は、アメリカ合衆国大統領保養地である。メリーランド州フレデリック郡サーモント英語版エミッツバーグ英語版の町の近く、首都ワシントンD.C.から北北西に約100キロメートルのキャトクティン山岳公園英語版の中にある。面積は125-エーカー (51 ha)である[1][2][3]。大統領の保養地というだけでなく、訪米した外国の要人をもてなすためにも使用され、重要な会談や会議の会場にもなった。

キャンプ・デービッド
(サーモント海軍支援施設)
メリーランド州フレデリック郡
キャトクティン山岳公園英語版 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
キャンプ・デービッドのリチャード・ニクソン政権時におけるメインロッジ(1971年2月9日)
キャンプ・デービッドの位置(メリーランド州内)
キャンプ・デービッド
メリーランド州における位置
キャンプ・デービッドの位置(アメリカ合衆国内)
キャンプ・デービッド
アメリカ合衆国における位置
座標北緯39度38分54秒 西経77度27分54秒 / 北緯39.64833度 西経77.46500度 / 39.64833; -77.46500 西経77度27分54秒 / 北緯39.64833度 西経77.46500度 / 39.64833; -77.46500
種類Presidential country retreat
施設情報
所有者アメリカ合衆国国防総省
運営者アメリカ海軍
管理者ワシントン軍管区英語版
一般公開なし
ウェブサイト公式ウェブサイト
歴史
建設1935年 - 1938年
建設者公共事業促進局
使用期間1938年 -
主な出来事キャンプ・デービッド合意(1978年)
キャンプ・デービッド会談英語版(2000年)
第38回主要国首脳会議(2012年)
駐屯情報
現指揮官Catherine Eyrich中佐
使用者 アメリカ合衆国大統領その家族

正式名称はサーモント海軍支援施設(Naval Support Facility Thurmont)という。軍事施設であり、人員配置は主にアメリカ海軍と麾下の建設工兵隊(シービー)、土木工兵隊英語版(CEC)、アメリカ海兵隊が行っている。大統領はホワイトハウスからはマリーンワンで移動する。

連邦政府職員とその家族のための保養所として、公共事業促進局により1935年から1938年にかけて建設され、当時はハイ・キャトクティン(Hi-Catoctin)と呼ばれていた[4][5]

第二次世界大戦中の1942年、フランクリン・ルーズベルト大統領がここを大統領専用の別荘兼避難所に選定し、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』に登場するユートピアにちなんでシャングリラ(理想郷)と名付けられた[4]。1953年、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が、この名は華やかすぎると判断し、自身の父との名前にちなんでキャンプ・デービッドに改称した[6]

キャトクティン山岳公園では、安全保障の観点から、公園の地図にキャンプ・デービッドの位置を示していないが[3]、公開されている衛星画像でその位置を確認することができる。

利用

ウィンストン・チャーチルとフランクリン・ルーズベルト(1943年5月、シャングリラにて)

フランクリン・ルーズベルトは、第二次世界大戦中の1943年5月、イギリスウィンストン・チャーチル首相をシャングリラに招いた[7]

ドワイト・D・アイゼンハワーは、1955年9月24日に心臓発作で倒れ、入院と療養の後、同年11月22日にキャンプ・デービッドで閣僚会議を開いた。ここで閣僚会議が開かれたのは、これが初めてだった[8]。1959年9月にはソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフを招いて2日間会談[9]、この国際紛争の平和的解決で合意した会談は『キャンプ・デービッド会談』と呼ばれる。

ジョン・F・ケネディとその家族は、しばしばキャンプ・デービッドで乗馬やゴルフなどをして休暇を過ごし、大統領一家が使用していないときにはホワイトハウスのスタッフや閣僚に使わせていた[10]

リンドン・ジョンソンはここで顧問と面談し、オーストラリアハロルド・ホルト首相やカナダレスター・B・ピアソン首相を招いた[11]

リチャード・ニクソンも頻繁にここを訪れた。ニクソンは、アスペンロッジへのプールの建設など、キャンプ・デービッドの改修の指揮を自ら行った[12]

ジェラルド・フォードインドネシアスハルト大統領をキャンプ・デービッドに招いた[13]

ジミー・カーターは、当初経費節減のためにキャンプ・デービッドの閉鎖を検討していたが、初めて訪れてから存続を決定した[14]。1978年9月、カーターはキャンプ・デービッドにおいてエジプト大統領アンワル・アッ=サーダートイスラエル首相メナヘム・ベギンと会談し、『キャンプ・デービッド合意』を成立させた[7]

ロナルド・レーガンは歴代の大統領の中で最も多くキャンプ・デービッドを訪問している[15]。1984年、イギリスのマーガレット・サッチャー首相を招いた[16]。1986年には当時の中曽根康弘首相を初めて招待した[17]。レーガンは、ニクソンが乗馬をするために舗装した遊歩道を修復した[18]

ジョージ・H・W・ブッシュは、1992年に当時の宮沢喜一首相と意見交換した[17]。ブッシュの娘のドロシーが、キャンプ・デービッドで初となる結婚式を行った[19]

ビル・クリントンは、大統領在任中の感謝祭を毎年キャンプ・デービッドで家族とともに過ごした[20]。2000年7月、イスラエルエフード・バラック首相とパレスチナ自治政府ヤーセル・アラファート議長をキャンプ・デービッドに招いて会談英語版を行った[21][22]

ジョージ・W・ブッシュは、2001年2月、イギリスのトニー・ブレア首相との初めての会談をキャンプ・デービッドで行った[23]。同年6月、当時の小泉純一郎首相と当地で初顔合わせし、キャッチボールで親密さを演出した[17]。同年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の後、ブッシュはキャンプ・デービッドでアメリカのアフガニスタン侵攻の準備のための閣僚会議を開いた[24]。ブッシュは在任中に149回、計487日間キャンプ・デービッドを訪れた。個人的な休養のためだけでなく、多くの外国の要人を招いた[25]。イギリスのブレア首相とはキャンプ・デービッドで4回会った[25]。2003年にはロシアのウラジーミル・プーチン大統領[26][27]とパキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領[28]、2006年にはデンマークのアナス・フォー・ラスムセン首相[21]、2007年にはイギリスのゴードン・ブラウン首相[29]を招いた[25]。同年には、当時の安倍晋三首相も訪れた[17]

バラク・オバマは、アメリカが開催国となる2012年の主要国首脳会議(G8)をキャンプ・デービッドで開催[30]、建設的な話し合いが持たれ、『キャンプ・デービッド宣言』が出された。この際、野田首相がたまたま翌日が誕生日で、参加者が野田の誕生日を祝ったという。オバマは、ロシアのドミトリー・メドベージェフ首相をキャンプ・デービッドに迎え[31]、2015年にはキャンプ・デービッドで湾岸協力会議(GCC)の首脳会議を開催した[32]

ドナルド・トランプは、2018年の中間選挙の前に上院多数党院内総務のミッチ・マコーネルと下院議長のポール・ライアンをキャンプ・デービッドに招いた[33]。2019年9月にはトランプ大統領、ターリバーン幹部、アフガニスタン大統領による極秘の三者会談がキャンプ・デービッドで予定されていたが、直前に破談となった[34]。2020年の第46回先進国首脳会議(G7)はキャンプ・デービッドで開催される予定だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行のために中止になった[35]

ジョー・バイデンは、2023年8月、岸田文雄首相と韓国の尹錫悦大統領を招き、「キャンプ・デービッド原則」をまとめ、「キャンプ・デービッド精神」を発表した[36]

各大統領の訪問回数

各大統領の訪問回数[15]
大統領訪問回数任期
ルーズベルト不明1933–1945
トルーマン101945–1953
アイゼンハワー451953–1961
ケネディ191961–1963
ジョンソン301963–1969
ニクソン1601969–1974
フォード291974–1977
カーター991977–1981
レーガン1891981–1989
G. H. W. ブッシュ1241989–1993
クリントン601993–2001
G. W. ブッシュ1502001–2009
オバマ392009–2017
トランプ152017–2021
バイデン212021–

セキュリティ事故

ワシントンD.C.周辺の制限空域を示した航空図。上部中央の色が薄くなっている円の中心にキャンプ・デービッドがある。

オバマ大統領がキャンプ・デービッドに滞在中の2011年7月2日、2人乗りの民間航空機がキャンプ・デービッドに接近した。無線による警告に応じなかったため、キャンプ・デービッドから約10キロメートルの地点でF-15戦闘機により迎撃され、ヘイガーズタウンまで護送された[37]。同じ週の7月10日にも小型機がキャンプ・デービッドに接近し、F-15戦闘機が迎撃した[38]

ギャラリー

脚注

出典

参考文献

  • O'Brien, Shannon Bow (2018). Why Presidential Speech Locations Matter: Analyzing Speechmaking from Truman to Obama. Palgrave Macmillan. ISBN 978-3-3197-8135-8 

外部リンク