グバ県

グバ県(グバけん、アゼリ語:Quba rayonu/レズギ語:Къуба район)はアゼルバイジャン北東部のグバ=ハチマズ経済地区の県。

グバ県

Quba Rayonu
クヂャルサイ川に架かる橋。左がグバ(英語版)、右が赤町(英語版)。
クヂャルサイ川に架かる橋。左がグバ英語版、右が赤町英語版
グバ県の位置
グバ県の位置
北緯41度22分12秒 東経48度30分00秒 / 北緯41.37000度 東経48.50000度 / 41.37000; 48.50000 東経48度30分00秒 / 北緯41.37000度 東経48.50000度 / 41.37000; 48.50000
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
県都グバ英語版
面積
 • 合計2,574 km2
人口
(2014年)[2]
 • 合計161,434人
 • 密度63人/km2
等時帯UTC+4 (アゼルバイジャン時間)
 • 夏時間UTC+5 (アゼルバイジャン夏時間)
郵便番号
4000
電話番号(+994) 23[3]
ウェブサイトwww.quba-ih.gov.az

県都のグバ英語版はクヂャル川に面する。リンゴ絨毯が特産品。2014年の人口は約16.1万人。

北から時計回りに

に接する。

民族

言語

歴史

1747年アフシャール朝ナーディル・シャーが暗殺された。後継者に指名されていたフセイン・アリは、アゼリ人の藩国を合わせて独立王国を創る事を決めた。フセインはまず首都をカスピ海沿いの低地にある為守りにくいフダトゥ英語版から、彼が要塞を建てたグバに移した。

1757年、フセイン・アリは亡くなった。息子のファタリ・ハンは首都グバの拡張を受け継いだ。グバからバクーへの道沿いに、チラグ・ガラ英語版等の遺跡がこの頃から現れる。

1789年、ファタリ・ハンは亡くなった。

1806年、アゼリ人の国はロシア帝国に占領され、併合された。グバの重要性は低下した。

著名人

  • アッバスグル・バキハノヴ英語版(Abbasqulu ağa Bakıxanov Qüdsi):作家・歴史家・哲学家。1794年1847年
  • サキナ・アフンヅァデフ英語版(Səkinə Axundzadə):劇作家。1865年1927年

写真

脚注