コンスタンチン・ソモフ

ロシアの芸術家

コンスタンチン・アンドレエヴィチ・ソモフ: Константин Андреевич Сомов / ラテン字母転写の例:Konstantin Andreyevich Somov, 1869年11月30日 - 1939年5月6日)はロシア画家で「芸術世界」の同人。3年がかりの最高傑作「青衣の夫人」は、18世紀の肖像画家の手法で描かれている。「コンスタンチン」は「コンスタンティン」、「ソモフ」は「ソーモフ」とも表記される[1]

コンスタンチン・ソモフ
Konstantin Somov
自画像
誕生日1869年11月30日
出生地ロシア帝国,サンクトペテルブルク
死没年1913年4月10日
死没地フランス第三共和政,パリ
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略歴

サンクトペテルブルクで生まれた。美術史研究者でエルミタージュ美術館学芸員の家庭に生まれ、18世紀の西欧美術に早くから興味を持っていた。ペテルブルク帝国美術アカデミーにてイリヤ・レーピン1888年から1897年まで師事。在学中にアレクサンドル・ベノワと親交を結び、その紹介でディアギレフバクストの知遇を得る。この三者が『芸術世界』を創刊すると、ソモフはこの機関誌に任意で寄稿した。また他の同人の例に漏れず、ソモフも同性愛者であった[2]

1910年代を通じて、ロココ風道化師の場面や挿絵を、アレクサンドル・ブロークの詩集に寄せている。ソモフはワットーフラゴナールに霊感を受け、水彩グワッシュで描くことを好んだ。

作品の多くは海外で、とりわけドイツで展示され、ソモフに関する最初のモノグラフ1909年にドイツで出版された。

十月革命の後にアメリカ合衆国に移住するが、この国の環境が「自分の芸術にはまるで相容れない」と悟ってパリに移った。1925年に同地でセルゲイ・ラフマニノフの最も有名な肖像画の一つ[注釈 1]を完成させている。

パリに客死し、サン・ジュヌヴィエーヴ・デ・ボワ墓地に埋葬された。

2007年6月14日にソモフの風景画『虹』(1927年)がクリスティーズオークションに出品され、330万ポンドの価格をつけた。これはクリスティーズで競り出されたロシア美術としては、最高記録を更新した[3](ただし、後にナタリア・ゴンチャロワの「リンゴ狩り」が494万8000ポンドで落札されることにより、記録を塗り替えられた)。

主要作品一覧

脚注

注釈

出典