シリコンバレー

サンフランシスコ・ベイエリア南部に位置している平地

シリコンバレー(Silicon Valley)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部サンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の名称。特定の一箇所を公的に指す地名ではなく、ある程度広い地域一帯の通称として使用される。

シリコンバレー
地域
Silicon Valley
上からサンノゼ、シリコンバレー南部地域上空、スタンフォード大学
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
地域サンフランシスコ・ベイエリア
大地域北カリフォルニア
都市
等時帯UTC−8 (太平洋標準時)
 • 夏時間UTC−7 (太平洋夏時間)
シリコンバレー
サンノゼ・ダウンタウン

名称は、多数の半導体メーカー(半導体の主原料はケイ素: silicon)が集まっていたこと、および地形(渓谷: valley)に由来する。

この地域ではAppleインテルナショナル セミコンダクターGoogleAlphabet)、FacebookMeta)、アプライド・マテリアルズYahoo!アドビシスコシステムズなどに代表されるソフトウェアインターネット関連企業が多数生まれ、IT企業の一大拠点となっている。

概要

具体的には、北はサンマテオ周辺からサンノゼまでの複数の市を指す。シリコンバレーの中心は、サンノゼマウンテンビューサニーベールサンタクララクパティーノなどさまざまな都市である。

元々メンローパークにあるスタンフォード大学出の技術者がヒューレット・パッカードなどのエレクトロニクス、コンピュータ企業を設立し、この大学の敷地をスタンフォード・インダストリアル・パークとしてこうした新技術の会社を誘致したのが始まりともいわれている[1]。また、トランジスタの発明者の一人であるウィリアム・ショックレーがこの地にショックレー半導体研究所を設立し、そこを辞めた8人(8人の反逆者)が設立したフェアチャイルドセミコンダクターや、更にそこからインテルをはじめとする多くの半導体企業が生まれたことにちなみシリコンバレーと呼ばれるようになった[2]

歴史

第二次世界大戦前には現在の繁栄からは想像することが困難なくらい、目ぼしい産業は現在のシリコンバレーの地域には存在しなかった。第二次世界大戦中スタンフォード大学を中心として軍需関連の産業が勃興した。中心的な役割を果たしたのはリットンインダストリーズやアンペックスヴァリアン・アソシエイツヒューレットパッカードでシリコンバレーの黎明期に地域の人材の受け皿になった[3][4]。その後、半導体産業の発展と共に株式公開が相次ぎ、それらの資金が地域のベンチャー企業に再投資され、正のフィードバックにより好循環が生まれ発展を続ける。

半導体は依然としてこの地域の経済の主要な構成要素で、シリコンバレーは、ソフトウェアとインターネットサービスの革新で近年最も有名になっている。シリコンバレーは、コンピュータのオペレーティングシステムソフトウェア、およびユーザーインターフェースに大きな影響を与えた。

発明家のダグラス・エンゲルバートは、NASAアメリカ空軍ARPAからの資金により、1960年代半ばと1970年代に、スタンフォード研究所(現在のSRIインターナショナル)でマウスハイパーテキストベースのコラボレーションツールを発明した。現在、「すべてのデモの母」として知られている。SRIにあるエンゲルバートのオーグメンテイション研究センター(ARC)は、ARPANETインターネットの前身)の立ち上げとネットワーク情報センター(現在はInterNIC)の立ち上げにも関わっていた。ゼロックスは、1970年代初頭から、エンゲルバートの最高の研究者を何人か雇い、次に、1970年代と1980年代に、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)は、オブジェクト指向プログラミンググラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)、イーサネットPostScript、およびレーザープリンターで中心的な役割を果した。

ゼロックスはその技術を使用して機器を販売していたが、ほとんどの場合、その技術は他の場所で繁栄していた。ゼロックスの発明のディアスポラは、直接スリーコムアドビにつながり、間接的には、シスコアップル、およびマイクロソフトにつながった。アップルのMacintoshGUIは、主にスティーブ・ジョブズがPARCを訪問し、その後主要な担当者を雇用した結果であった[5]。シスコの推進力は、スタンフォード大学のイーサネットキャンパスネットワークを介してさまざまなプロトコルをルーティングする必要性から生じた[6]

2010年代においても、起業志望者のほか、商機・人材の獲得やオープンイノベーションを目指す米国内外の企業が相次ぎ進出している。トヨタ自動車など日本企業も含まれる[7]

それに伴って転入・居住者が急増し、交通渋滞や住宅価格の上昇、それによるホームレス増加といった問題も起きている[8]。こうした過密への対策と、自家用自動車を持ちたがらないミレニアル世代の就労者増加により、公共交通機関の便が良いサンノゼ・ディリドン駅周辺の南部へ向けてシリコンバレーが広がりつつある[9]

2020年代になっても住宅価格の高騰に歯止めがかからず、遠距離にある安価な住宅地からの通勤も増えている[10]。このためテスラオラクルヒューレット・パッカード・エンタープライズ、トヨタ北米本社などがテキサス州へ移転している[10]

著名な企業

多くの先端IT企業がシリコンバレー内に本拠を置いている。以下はFortune 1000にリストされている企業である:

アドビ
アドバンスト・マイクロ・デバイセズ (AMD)
Appleの本社(Apple Park
eBay
Googleの本社
インテルの本社、ロバート・ノイスビル
インテュイット
オラクル
Yahoo!

上記に加えてシリコンバレー内に本拠を置く著名な企業は(一部は現存しない):

大学

正確には以下の大学はシリコンバレーに位置していないが、近隣の研究機関としてこの地に貢献している:

シリコンバレー日系団体・組織

  • ジェトロ Business Innovation Center (BIC)
  • Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network (SVJEN)
  • Silicon Valley Multimedia Forum (SVMF)
  • Japan America Business Initiatives (JABI)
  • Japanese Technology Professional Association (JTPA)
  • Japan Bio Community
  • Keizai Society

その他の最先端工業地域

シリコンバレーの成功は、アメリカ全土に知れ渡り、経済が停滞していたアメリカにとって、IT産業の隆盛は経済復活の狼煙となった。そのため、必然的に他地方でも大手、ベンチャー企業や大学、政府などの働きかけによってIT産業が成熟する基盤が築き上げられ、そのうちの幾つかは着実に成果を上げ、成長を遂げた。それに従い、シリコンバレー各地で、大成功の象徴であるシリコンバレーに肖り、愛称や俗称が付けられているようになっている。ここに挙げているのは一部だが、英語版wikipediaを確認すると実に50箇所以上の地域が存在しており、中には基盤や育成土壌は未熟であるが、優秀なベンチャー誘致の手段として名乗っていた例も見られる。

世界のシリコンバレー

シリコンバレーの成功は世界的にも知れ渡り、各国でIT産業の突出した集積地に「○○○のシリコンバレー」あるいは「シリコン○○○」「○○○のバレー」異名が付けられている。自然発生的にそう呼ばれるようになった他称・通称もあれば、政府などがシリコンバレーをモデルにしていると明言している場合もある。IT以外で企業誘致や起業促進を図る地域も「○○○バレー」と呼ぶ例もある[11]

アジア

ヨーロッパ

北米・中南米

日本のシリコンバレー

日本にはシリコンバレーに当たる確定した地区はないものの、IT企業が特に集積する地区が幾つかある。ニュアンスは違うが、三大電気街をシリコンバレーと呼ぶ向きもある。

尚、1980年代には東北地方の東北自動車道沿線をシリコンロード、熊本県を中心とする九州をシリコンアイランドと呼んでいたことがあり、IC製造など電子機器産業が発達した。しかし、後にNICS(後のNIES)諸国の台頭により、企業が相次いで工場閉鎖、それに伴う衰退により、今日この呼称が用いられることは極めて稀である。

脚注

参考資料

  • 枝川公一「シリコン・ヴァレー物語」(中央公論新社・中公新書、1999)
  • 東一眞「シリコンバレーの作り方」(中央公論新社・中公新書ラクレ、2001)
  • アナリー・サクセニアン『現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか』(講談社 1995)

関連項目