フランス革命の年表

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フランス革命の年表(フランスかくめいのねんぴょう、: Chronologie de la Révolution française)は、フランス革命1789年1799年)とそれに関連する出来事、さらにその原因にまで遡って取りまとめた年表である。

革命以前

啓蒙思想の世紀

ジュネーヴのルソー像
モンテスキュー像

財政危機

フランス王室(1781年)
独立宣言トランブル
ワシントン邸を訪れたラファイエット
1787年の第一回名士会
  • 1774年5月10日:ルイ16世即位。 破産政策[注 3]を進めたテレー[7]を解任し、財務総監にテュルゴーを任命
  • 1775年:凶作で飢饉。テュルゴーの自由主義的改革が物価高騰を招き、食糧暴動に発展(小麦粉戦争[8]
  • 1776年
  • 1777年
    • ラファイエット侯爵が渡米して単独参戦。ワシントン大陸軍司令官の副官
    • 6月29日: ネッケルが財務長官に就任
  • 1778年
  • 1779年
    • ラファイエットが帰国して参戦運動
    • 8月10日:ルイ16世が農奴廃止令を発布
  • 1780年:フランスがアメリカ独立戦争へ出兵
  • 1781年
    • 2月19日:ネッケルが『会計報告書コント・ランデュ』を発表
    • 5月19日:ネッケルが宰相の地位を狙うが貴族の反発にあって失脚。辞職[注 5]
    • ヨークタウンの戦い(9月28日〜10月19日)
    • コンドルセ侯爵が『黒人奴隷についての考察[9]』を出版(フランスで奴隷貿易反対論)
  • 1783年〜1789年:浅間山ラキ火山ヴェスヴィオ山フエゴ山の大噴火(世界の気温低下・厳冬)[注 6][注 7]
  • 1783年
  • 1784年
    • カロンヌ、パリ入市関税オクトロワを導入(パリで新しい城壁の建設開始[注 9]
    • ネッケルが『フランスの財政について』を出版(カロンヌを激しく批判)[注 10]
  • 1785年
    • 4月14日:カロンヌ、フランス東インド会社を再建(〜1794年)
    • 首飾り事件。王妃マリー・アントワネットに云われなき悪評
  • 1786年
    • 8月20日 : カロンヌ、財政再建改革策を提出。臨時土地税[注 11]を主張
    • 9月26日:英仏通商条約締結(イーデン・レーヌヴァル条約[10][注 12]
  • 1787年
    • 2月22日 : ヴェルサイユで第一回名士会を召集
    • 4月8日:名士会のネッケル派、カロンヌの提案を否決。カロンヌ罷免。後任にブリエンヌ
    • 5月25日:名士会解散
    • 8月14日:高等法院が印紙税を拒否して三部会召集を要求。トロワへ追放される(9月4日にパリに帰還)
    • 11月19日:国王臨席会議で公債増発にオルレアン公爵が公然と反対(21日にパリ追放)
    • 11月29日、ルイ16世が寛容令を発し、ユグノープロテスタント)に戸籍など市民権を与える

貴族の反抗

1788年

グルノーブル屋根瓦の日事件[注 13]
1789年、三部会の開会
「球戯場の誓い」[注 14]ダヴィッド
『第三身分の目覚め』

連年の凶作で収穫量激減。飢餓、物価高騰。長引く不況により失業者増大

  • 1月29日:パリ高等法院、プロテスタントの宗教の自由と公職に従事する権利を認めず
  • 2月9日:「黒人友の会」[11]設立
  • 5月8日:ラモワニョンの司法改革(高等法院から立法権と司法権を剥奪)[注 15]
  • 6月7日 : グルノーブル屋根瓦の日ジュルネ・テュイル[12][注 13]
  • 7月5日:ブリエンヌ、全国三部会の召集を約束
  • 7月21日 : ヴィジル決議ドーフィネ州ヴィジル[13]で国王無許可の地方三部会召集[注 16]
  • 8月8日 : ルイ16世、財政改革の審議のために三部会の召集を布告[注 17]
  • 8月16日:ブリエンヌ、フランス王室財政の破産を宣言
  • 8月24日:ブリエンヌ罷免
  • 8月26日 : ネッケル、再び財務長官(兼大臣)に就任
  • 9月14日:ラモワニョン罷免(司法改革の失敗)
  • 9月23日:高等法院の再建(王権の挫折)
  • 11月6日:第二回名士会召集(ネッケルが提案した第三身分の定数倍増案を否決)
  • 12月5日:高等法院、第三身分定員倍増を承認
  • 12月27日:枢密院[注 18]が全国三部会の第三身分の定数倍増を承認し、ルイ16世が許可

第三身分の目覚め

1789年

前年末から春にかけて全国各地で農民一揆。穀物の価格上昇

  • 1月
  • 1月24日:全国三部会の選挙規定が発布される(ブルジョワジーに有利な内容、農民や都市平民は排除)
  • 3月4日:三部会選挙始まる(〜14日)
  • 4月28日:レヴェイヨン事件[注 19]
  • 5月5日 : 175年ぶりにヴェルサイユで全国三部会が開会
  • 6月10日:シェイエスが第三身分(平民)は独自行動をとると宣言。「時は来た。錨綱を切れ」
  • 6月17日 : 第三身分部会による国民議会の宣言
  • 6月20日球戯場の誓いテニスコートの誓い[注 14]
  • 6月23日:国王臨席会議、国民議会の無効を宣言。ルイ16世、議員に身分毎の部会に分かれるように命令[注 20]
  • 6月25日:第一身分(聖職者)の大半が国民議会と合流
  • 6月26日:第二身分(貴族)の一部が国民議会と合流
  • 6月27日 : ルイ16世、第一・第二身分に国民議会への合流を勧告(王権の敗北)
  • 7月6日 : 憲法制定委員会の設置
  • 7月8日:ラファイエット、ミラボーら議会代表、パリ郊外の軍隊引き上げ要求
  • 7月9日 : 国民議会、憲法制定国民議会立憲議会)へと改称
  • 7月11日 : ネッケル罷免。ルイ16世、軍隊のパリへの集結命令[注 21]
  • 7月12日
  • 7月13日:パリ市民の武装化が進む。武力鎮圧の噂

革命勃発

バスティーユ襲撃

バスティーユ襲撃事件
1789年の人権宣言
女達のヴェルサイユ行進

憲法と議会

1790年

1790年の第一回全国連盟祭
アッシニア紙幣

1791年

パリへ連れ戻される国王一家
ハイチ革命(1791年の白人虐殺)
3身分が創った「新しい憲法」の寓意
『ライン軍団の歌』を謳うルジェ・ド・リール大尉
  • 3月2日
  • 3月10日:ピウス6世、聖職者民事基本法を批判して改めて人権宣言を攻撃(反革命
  • 3月20日:徴税請負制フェルム・ジェネラル[17]廃止
  • 3月23日:オランダの女権論者エッタ・パルム[18]がパリで初の女性団体「真実の友同盟」結成
  • 4月2日:ミラボー死去。国王と議会の連絡役が不在に
  • 4月18日:国王一家が復活祭ミサのためにサン=クルーに行くのを拒絶される
  • 5月1日:入市関税廃止
  • 5月16日:ロベスピエールの提案で立憲議員の次期議会での再選禁止決議
  • 6月14日:ル・シャプリエ法(労働者団結禁止法)が可決
  • 6月20日〜25日 : ヴァレンヌ事件[注 26]
  • 7月5日:レオポルド2世、パドヴァ回状を発す
  • 7月14日 : 第二回全国連盟祭
  • 7月15日:ジャコバン・クラブでルイ16世廃位請願運動を決議
  • 7月16日
    • ジャコバン・クラブから立憲派が脱退し、フイヤン・クラブを設立
    • フイヤン派主導の立憲議会、ヴァレンヌ事件はルイ16世が誘拐されたものとして免責を宣言
  • 7月17日 : シャン・ド・マルスの虐殺[注 27]
  • 8月14日:サン=ドマングハイチ革命が勃発(〜1804年)[注 28]
  • 8月27日:ピルニッツ宣言[注 29]
  • 9月:オランプ・ド・グージュが「女性および女性市民の権利宣言(女権宣言[19]」を発表
  • 9月3日  : 1791年憲法の制定。立憲君主制への移行始まる
  • 9月14日 : 国王が新憲法に宣誓
  • 9月25日:刑法制定(旧刑法)
  • 9月27日:ユダヤ人同権化法令
  • 9月28日:農事基本法可決(囲い込みの自由承認)
  • 9月30日 : 憲法制定国民議会が解散
  • 10月1日 : 立法議会の召集
  • 11月9日:亡命者処罰法が成立(亡命貴族は翌年1月1日までに帰国しなければ死罪)
  • 11月14日:ペティヨン[20]がパリ市長に当選
  • 12月9日:フイヤン派内閣成立(第一次)
  • 12月21日:ロベスピエール、反戦演説
  • 12月31日:ブリッソー、「新しい自由の十字軍」を主張(革命の輸出)

祖国は危機にあり

1792年

6月20日のデモ。国王の拒否権に圧力

この年は久しぶりの豊作だったがアッシニア下落につき、穀物価格上昇

  • 1月2日:ジャコバン・クラブでジロンド派が開戦論を主張[注 30]
  • 1月25日 : 立法議会、ピルニッツ宣言の取り消しをオーストリアに要求
  • 2月7日:オーストリアとプロイセンが軍事条約を締結
  • 2月9日:亡命者財産没収令
  • 3月1日:レオポルド2世が死去
  • 3月10日 : フイヤン派内閣総辞職(第一次)
  • 3月23日 : ジロンド派内閣成立
  • 3月24日 : 立法議会、植民地でのムラートや黒人も含むすべての自由人の平等を決議。(奴隷制は存続)
  • 4月20日 : 立法議会、オーストリア[注 31]に対し宣戦布告フランス革命戦争の開戦)
  • 4月25日 : 『ラ・マルセイエーズ』が作曲される
  • 4月28日〜9月20日:戦線が大混乱[注 32]
  • 5月18日:ラファイエット北方軍司令官、攻撃不能を宣言し、国王に和平交渉を勧告
  • 6月15日 : 国王がジロンド派の大臣を罷免。フイヤン派内閣(第二次)が成立
  • 6月20日 : 民衆がテュイルリー宮殿の王の寝室にまで押し寄せ国王の前で示威行為
  • 6月24日:プロイセン、ヘッセン=カッセルがオーストリアとの同盟を理由に参戦
  • 7月10日 : フイヤン派内閣総辞職(第二次)
  • 7月11日:立法議会、「祖国は危機にあり」の宣言(義勇兵の呼びかけ)
  • 7月14日
  • 7月25日 : 同盟軍司令官ブラウンシュヴァイク公が声明(ブラウンシュヴァイクの宣言[注 33]

共和国の樹立

サン・キュロット

『サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール』
8月10日事件[注 34]
九月虐殺[注 35]ランバル公妃の殺害)
ヴァルミーの戦い
国王ルイ16世の処刑
  • 8月10日
  • 8月13日
  • 8月14日:ラファイエット軍司令官、パリ進軍を企図(兵士の反対で失敗)
  • 8月17日
    • 自治市会パリ・コミューン、特別重罪裁判所を設置
    • 連盟兵、国王廃位を要求
  • 8月18日:バルナーヴ逮捕(〜1793年11月29日処刑)
  • 8月19日:ラファイエット、軍を捨てて亡命
  • 8月23日
  • 8月27日:次の議会のための予選会(第一次選挙)が始まる
  • 9月1日:ヴェルダン要塞降伏
  • 9月2日〜6日 : 九月虐殺[注 35]
  • 9月3日:選挙集会(第二次選挙)が始まる(普通選挙[注 36]
  • 9月20日
  • 9月21日 : 王政の廃止を決議し、共和国宣言フランス第一共和政成立)
  • 9月22日:この日が革命暦の元年元旦となる
  • 9月25日
    • ジロンド派が提案した州連邦制度案を否決[注 37]
    • ジロンド派、ロベスピエールを「独裁を目指す者」として告発
  • 10月2日 : 国民公会、保安委員会や公教育委員会など14の委員会を設置
  • 10月6日:ジェマップの戦い[注 38]
  • 10月8日:ビュゾー、県衛兵隊(連盟兵)の創設を提案
  • 10月10日
    • ダントン、機密費問題で司法大臣辞職
    • パリ・コミューン、ジャコバン・クラブからブリッソーを追放(ジロンド派脱退
  • 11月13日:サン=ジュスト、国王裁判について演説
  • 11月27日:サヴォワを併合
  • 12月4日:国王裁判開始(〜1793年1月15日結審)

1793年

対外戦争と内戦で共和国は最大の苦境に

ヴァンデの反乱(ロワール渡河)
『マラーの勝利』

ジャコバン派独裁

恐怖政治

『ジロンド派の最後の晩餐』
『マラーの死』ダヴィッド
王妃マリー・アントワネットの処刑
理性の崇拝
最高存在の祭典
テルミドール9日。ロベスピエールの逮捕。
銃撃されるロベスピエール。
『恐怖政治、最後の荷車』
  • 5月31日:国民衛兵とサン・キュロット、国民公会を包囲
  • 6月2日 : 6月2日の革命[23](議員29名が逮捕。ジロンド派追放
  • 6月22日:累進強制公債を修正して再可決(税率強化)
  • 6月24日
  • 6月25日〜8月22日:アンラージェ[24](過激派)の活動激化
  • 7月10日:公安委員会刷新
  • 7月12日 : トゥーロンで王党派反乱
  • 7月13日 : マラー暗殺
  • 7月17日
  • 7月27日
    • ロベスピエールが公安委員会に参加(大公安委員会始まる)
    • 買占禁止令
  • 7月29日:ナントの戦い[注 43]
  • 8月1日:度量衡の統一[注 44]
  • 8月10日
  • 8月22日:ジャック・ルー[25]逮捕(アンラージェ弾圧)
  • 8月23日 : 総動員法の施行[注 45]
  • 8月29日 : サン=ドマングへ派遣された委員ソントナ[注 46]が独断で全ての黒人奴隷解放を宣言
  • 9月:エベール派(矯激派)が活発化(極左政策・非キリスト教化運動)
  • 9月5日
  • 9月11日:革命軍[注 48]の創設
  • 9月17日:反革命容疑者法制定
  • 9月21日:航海条令
  • 9月25日:国民公会、公安委員会に独裁権を付与(公安委員会独裁始まる〜1794年7月27日)
  • 9月29日 : 最高価格令(一般最高価格令)制定
  • 10月5日:国民公会、グレゴリオ暦を廃止しフランス革命暦(共和暦)を採用
  • 10月10日 : 革命政府宣言[注 49]
  • 10月15日〜16日
    • ワッチニー会戦[26](フランス軍勝利、ネーデルラントでの勝利確実に)
    • 王妃マリー・アントワネットの裁判と処刑[注 50]
  • 10月17日:ショレの戦い[注 51]
  • 10月31日 : ブリッソーら、ジロンド派議員21名が処刑
  • 11月8日 : ロラン夫人処刑
  • 11月10日:ノートルダム聖堂で理性の祭典[注 52]
  • 11月17日:インド会社事件[27](ダントン派の汚職)
  • 12月4日
  • 12月5日:デムーラン、『ヴィエイユ・コルドリエ』紙を創刊(恐怖政治批判)
  • 12月12日〜13日:ルマンの戦い[28]
  • 12月19日 : トゥーロン市奪回[注 53]
  • 12月23日:サヴェニー会戦[29](ヴァンデ反乱軍壊滅、ゲリラ戦へ)

1794年

テルミドール反動

軍隊の台頭

ボン市の自由の木
ヴァンデミエール13日のクーデター
ギルレー作の風刺画。バラスのために裸で踊る2人の愛人(テレザ・カバリュスジョゼフィーヌ
ヴァンデ反乱・シャレット将軍の処刑
アルコレ会戦のボナパルト
リヴォリ会戦
フリュクチドールのクーデター
『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』(アントワーヌ=ジャン・グロ
第二次チューリッヒ会戦
ブリュメール18日
  • 7月29日:ジャコバン・クラブ、タリアンやフレロンなどテルミドール派を除名
  • 8月6日:元革命裁判所裁判長ジャン=バティスト・コフィナル処刑
  • 8月10日:革命裁判所の改組(白色テロ始まる)
  • 8月21日:フランスがコルシカ島を放棄(アングロ・コルス王国[注 59]成立)
  • 8月24日:諸委員会改革、公安委員会の弱体化
  • 9月5日:メルラン・ド・チョンヴィル、国民公会でジャコバン・クラブ解散を提案
  • 9月7日:最高価格令を停止
  • 9月19日:金ぴか青年隊、ジャコバン・クラブを占拠
  • 10月25日:プロイセン軍、イギリスとの条約を破棄してオランダから撤退
  • 11月12日 : 国民公会、ジャコバン・クラブを閉鎖
  • 12月2日:ヴァンデ叛徒に対して大赦令[注 60]
  • 12月16日 :ジャン=バティスト・カリエの処刑
  • 12月24日 : 最高価格令を撤廃[注 61]
  • 12月27日:ピシュグリュ将軍[31]、オランダ侵攻開始

1795年

1796年

1797年

革命の終焉

1798年

1799年

  • 1月23日:シャンピオネ将軍、ナポリに侵攻し、パルテノペア共和国を建国
  • 2月10日:ボナパルト、シリア遠征(〜5月17日)
  • 3月12日:フランスがオーストリアへ再び宣戦布告。第二次対仏大同盟戦争
  • 4月18日:共和国7年の選挙(ネオ・ジャコバン派躍進)
  • 5月18日:シェイエスが総裁に選ばれる
  • 6月18日 : プレリアール30日のクーデター
  • 6月28日:強制公債割当法
  • 7月5日:ジャコバン・クラブの再建
  • 7月12日:人質法
  • 7月19日:ロゼッタ・ストーンを発見
  • 8月23日 : ボナパルト、軍を残してエジプトを脱出
  • 8月27日:ヨーク公爵率いるイギリス・ロシア同盟軍、オランダに上陸(〜10月18日に撤退)
  • 9月9日  : ボナパルト、フランスに帰国
  • 9月25日〜30日:マッセナ将軍、第二次チューリッヒ会戦[38]に勝利
  • 10月22日:ロシアのパーヴェル1世、対仏大同盟から脱退
  • 11月9日 : ブリュメール18日のクーデター(総裁政府が倒れる)
  • 11月10日:臨時統領政府(臨時執政政府)が成立
  • 12月25日

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目

  • ナポレオン時代の年表