ホンダ・RA301

ホンダ・RA301(ホンダ・アールエーさんびゃくいち)は、ホンダ1968年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。第2戦スペインGPから投入された。前年型のRA300同様ローラ・カーズとの共同開発のため、ローラ側ではローラ・T180と呼称している。

ホンダ・RA301
カテゴリーF1
コンストラクター日本の旗 ホンダ
デザイナーデリック・ホワイト
中村良夫
佐野彰一
先代ホンダ・RA300
後継ホンダ・RA302
主要諸元
シャシーマグネシウムモノコック
サスペンション(前)ダブルウイッシュボーン
サスペンション(後)ダブルウイッシュボーン
全長3,955 mm
全幅1,788 mm
全高845 mm
トレッド前:1,440 mm / 後:1,400 mm
ホイールベース2,410 mm
エンジンホンダ RA301E 2,993 cc 90度 V12 NA ミッドシップ
トランスミッションホンダ 5速 MT
重量530 kg
燃料BP/シェル
オイルBP/シェル
タイヤファイアストン
主要成績
チームホンダ・レーシング
ドライバーイギリスの旗 ジョン・サーティース
出走時期1968年
コンストラクターズタイトル0
ドライバーズタイトル0
通算獲得ポイント14
初戦1968年 スペインGP
最終戦1968年 メキシコGP
出走優勝表彰台ポールFラップ
110211
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概要

RA301はRA301Eエンジンを搭載し、前シーズンに使用されたRA300の改良型であった。ただし内部は川本信彦により大幅にモディファイされ、吸排気系の取り回しが全面的に変更された(従来エキゾーストパイプがエンジン上部に出ていたのを、一般的なエンジン同様に下部に出すようにした)ほか、バルブスプリングにトーションバーを採用した[1]

ホンダが空冷エンジンを搭載するRA302の開発に焦点を合わせると、RA301の開発は停滞することとなった。サーティースの結果はポールポジション1回(イタリアGP)、決勝最高は2位(フランスGP)であった。信頼性に欠けたマシンはそのほとんどがリタイアとなり、サーティースの完走は3度にとどまった。シーズン途中のイギリスGPからはハイマウント式のリアウィングを装備した。

RA301はフランスGPでRA302に代えられる予定であったが、現場のレース監督であった中村良夫は安全性の問題からRA302を走らせることを拒否。日本から派遣されたエンジニアによってRA302はレースに出走したものの、ドライブしたジョー・シュレッサーが事故死した(詳しくはホンダ・RA302を参照)。なおサーティースはイタリアGPの予選でのみRA302を走らせている。RA301は1968年シーズン末まで使用された。

シーズン後ホンダはF1を撤退したため、RA301は2006年RA106が投入されるまで、実戦を走行した最後のF1マシンとなった[2]

また、シーズン終了後、中村の独断で最終戦が行われたメキシコから直接アメリカに運ばれ、インディアナポリス・モーター・スピードウェイで11月21日と22日に、ロニー・バックナムの運転によりテスト走行を行っている。

現在はツインリンクもてぎ内にあるホンダコレクションホールに5号車とTカーが1台ずつ保存されており、5号車はイベントなどで頻繁に走行している。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チームエンジンタイヤドライバー123456789101112ポイント順位
1968年ホンダ・レーシングホンダ RA301E
3.0L V12
FRSA
ESP
MON
BEL
NED
FRA
GBR
GER
ITA
CAN
USA
MEX
146位
サーティースRetRetRetRet25RetRetRet3Ret
ホッブスRet
ヨアキム・ボニエ・レーシングチームホンダ RA301E
3.0L V12
G ボニエ5

参照

外部リンク