マヌエル・ピント・ダ・コスタ

サントメ・プリンシペの大統領

マヌエル・ピント・ダ・コスタ: Manuel Pinto da Costa1937年4月5日 - )は、サントメ・プリンシペの経済学者、政治家。サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党(MLSTP)の一党制社会主義国家を築き、1975年から1991年にかけて初代大統領を務めた[1]2011年8月に大統領に再選され[2]2016年9月3日まで在任した。

マヌエル・ピント・ダ・コスタ
サントメ・プリンシペの旗 初・4代 大統領
任期
2011年9月3日 – 2016年9月3日
首相パトリセ・トロボアダ
前任者フラディッケ・デ・メネゼス
後任者エバリスト・カルバリョ
任期
1975年7月12日 – 1991年3月4日
首相ミゲル・トロボアダ
セレスティーノ・ロシャ・ダ・コスタ
ダニエル・ダイオ
前任者独立
後任者レオネル・マリオ・ダルバ (代行)
個人情報
生誕 (1937-08-05) 1937年8月5日(86歳)
サントメ・プリンシペ、アグア・グランデ県
政党無所属(2011年 - )
サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党(1975年 - 2011年)

ドイツ民主共和国で教育を受けたため、公用語のポルトガル語にくわえドイツ語も堪能。アンゴラジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントスとはMLSTPとアンゴラ解放人民運動が深い友好関係にあったころからの旧知の仲である[3]

民政移管に伴い行われた1991年の大統領選には出馬しなかった。1996年の大統領選ではミゲル・トロボアダとの決選投票の末、47.26%と過半数に届かず落選した。2001年の大統領選でも、第一回投票でフラディケ・デ・メネゼスに過半数をとられ落選した[4][5]

1998年5月にMLSTP代表に選出され、2005年2月にギリェルメ・ポッセル・ダ・コスタに引き継ぐまで務めた[6]

2011年7月の大統領選には無所属で出馬し、第一回投票で多くの票を得たが過半数には至らなかった。決選投票は8月7日に行われ、与党独立民主行動(ADI)から立候補した対抗馬のエバリスト・カルバリョを53%の得票率で破った[7]。選挙期間中、ダ・コスタは安定した政治と汚職の広範囲な撲滅を訴え[8]、主要候補の支援を得ることに成功。元首相のマリア・ダス・ネベスは「彼の構想はわが国に希望をもたらし得る」と明言した[9]。しかし、アナリストのなかにはかつての独裁体制の復活を危ぶむ者もいた[10]

脚注

公職
先代
フラディケ・デ・メネゼス
サントメ・プリンシペ民主共和国大統領
第4代:2011 - 2016
次代
エバリスト・カルバリョ
先代
(設置)
サントメ・プリンシペ民主共和国大統領
初代:1975 - 1991
次代
レオネル・マリオ・ダルヴァ英語版
(暫定)
🔥 Top keywords: メインページ宮崎麗果特別:検索豊後水道松本忠久土居志央梨若葉竜也能登半島地震 (2024年)田中雄士長谷部誠井上道義The GazettE若林志穂服部百音黒木啓司REITA虎に翼平井理央出口夏希サーブ (盲導犬)三鷹事件セウォル号沈没事故白眞勲三淵嘉子高橋克也 (オウム真理教)ME:Iルーシー・ブラックマン事件佐藤ありさ杉咲花蜜谷浩弥水野真紀亀井亜紀子 (政治家)熊本地震 (2016年)水原一平井川意高中川安奈 (アナウンサー)内藤剛志いなば食品YOSHIKI