京終地蔵院

奈良県奈良市にある寺院

京終地蔵院(きょうばてじぞういん)は、奈良県奈良市にある寺院

京終地蔵院
京終地蔵院
所在地奈良県奈良市北京終町1
位置北緯34度40分19.19秒 東経135度49分40.84秒 / 北緯34.6719972度 東経135.8280111度 / 34.6719972; 135.8280111 東経135度49分40.84秒 / 北緯34.6719972度 東経135.8280111度 / 34.6719972; 135.8280111
本尊大日如来坐像
京終地蔵院の位置(奈良市内)
京終地蔵院
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概要

1969年昭和44年)に堂庫裏が改築された[1]。その西北に墓地があり、墓地内の無縁塔には桃山時代から江戸初期の背光五輪碑がある[1]

堂の内陣板壇には、本尊大日如来坐像を中心に、地蔵菩薩立像・十一面観音立像・阿弥陀如来坐像と弘法大師坐像が安置されている[1]。墨書の板額に宝永3年(1706年観音厨子寄進のことが記されているが、今この厨子は見つからない[1]

本尊台座の天板に陰刻銘があり、この像は京終村・福寺の大日如来で、宝永3年の火災で台座が消失したため、同5年に再興されたとある[1]。福寺は服寺と示す資料もあり、南京終町にもとあった福寺池のところに「福寺の跡」の石碑が建っている[1]

北京終阿弥陀三尊石仏

北京終阿弥陀三尊石仏

元は地蔵院の南西(京終池の南西)に辻堂があり、そこの本尊であった[2]享保9年(1724年)、霊験あらたかとの評判により参詣者が増えたため、一宇を造り「京終阿弥陀」と呼ばれるようになったという[3][2][4]。現在は本院に移されているが、石仏前の供物台に「辻堂佛前」の彫りが残されているため、元は辻堂にあったものとわかる[3]

石仏は花崗岩製、高さ1.71メートル[3]。下方に大きな蓮座を備え、その上に三尊を一石に厚肉彫する珍しい形式で、様式上南北朝時代の作と推定される[3][2]。中央は阿弥陀如来、向かって右が蓮台を捧げる観音菩薩、左は合掌した勢至菩薩である[2]。三尊とも、単弁蓮華文の円形頭光の彫がある[2]

脚注

参考文献

  • 同院内由緒
  • 奈良市史編集審議会編『奈良市史 社寺編』、吉川弘文館、1985
  • 『日本歴史地名大系. 第30巻 (奈良県の地名)』 (平凡社 1981年)

関連項目

外部リンク

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