四位洋文

四位 洋文(しい ひろふみ、1972年11月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の元騎手で現在は調教師である。叔父に、元騎手の四位満教(しい みちのり)がいる。

四位洋文
第36回フェブラリーSパドック(2019年2月17日)
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地鹿児島県姶良郡牧園町
(現・霧島市
生年月日 (1972-11-30) 1972年11月30日(51歳)
身長160.0cm
体重50.0kg
血液型B型
騎手情報
所属団体日本中央競馬会
所属厩舎栗東・古川平(1991.3 - 1996.10)
栗東・フリー(1996.10 - 2020.2)
初免許年1991年
免許区分平地[1]
騎手引退日2020年2月29日
重賞勝利76勝(JRA)
G1級勝利15勝(JRA)
通算勝利13919戦1586勝(JRA)
調教師情報
初免許年2020年
重賞勝利3勝
経歴
所属栗東T.C. (1994年-)
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妻は元エンドレスギャルズ(9期)の鈴木美帆子。

来歴

小学校3年よりポニーでの乗馬を経験しており、競馬学校入学以前すでに乗馬では全国区の活躍をし、乗馬雑誌「乗馬ライフ」でも取り上げられたことがある[2]

中学校卒業後に競馬学校に入学(7期生)、同期には藤田伸二安田康彦橋本広喜らがいる。競馬学校では教官から馬乗りを評価され7期生の中では一番の注目株であり、成績も優秀であった[2]

同期の安田は、自身の引退後に競馬評論家となったが、「競馬最強の法則」2017年11月号で競馬学校時代の四位のことを「馬乗りが上手であった」旨を簡潔ながらも述べていた。

騎手時代

1991年古川平厩舎からデビュー。同期の藤田が1年目から重賞を勝利するなどの華々しい活躍をしていたのとは対照的に、デビューから3年間はあまり目立った成績は挙がらなかった[2][3]

4年目の1994年ゴールデンジャック桜花賞トライアル4歳牝馬特別を制して重賞初勝利。本番の桜花賞では13着に敗れたものの、続く4歳牝馬特別に勝利し、優駿牝馬(オークス)では2着に入るなどの活躍を見せた。この頃から成績も伸びてきて、関西リーディングの上位に名を連ねるようになる。

1996年にはイシノサンデー皐月賞を制し、GI初勝利。同年に古馬にも開放された牝馬限定GIエリザベス女王杯ではダンスパートナーに騎乗してこれを制した。

2001年には騎手を引退した的場均の後を受けアグネスデジタルに騎乗、マイルチャンピオンシップ南部杯天皇賞(秋)香港カップを制した。特に天皇賞(秋)はテイエムオペラオーを破る快挙だった。この年は、98勝を挙げ関西リーディングに輝いている。また、アグネスデジタルでは2002年フェブラリーステークスを、2003年には安田記念を勝利した。

2006年2月18日東京競馬第10競走の勝利で、JRA通算1000勝を達成した。

2007年東京優駿

2007年5月27日第74回東京優駿ウオッカで勝利し、日本ダービー初制覇。これは、クリフジ以来64年振り3頭目となる牝馬による日本ダービー勝利という快挙であった。また同年10月21日、第68回菊花賞アサクサキングスで勝利し、三冠競走の全てに勝利した(史上17人目)。また同一年の日本ダービー・菊花賞を異なる馬で制覇したのも国営競馬・中央競馬を通じ、現行の3歳クラシック路線が整備されて以降、史上初となるものであった。しかし翌2008年の京都記念を最後に、四位はウオッカの主戦騎手を降板した。

2008年5月11日の第13回NHKマイルカップおよび同年6月1日の第75回東京優駿をディープスカイで制覇した。特に東京優駿の2年連続制覇は武豊に次ぐ史上2人目であり、加えて牡馬と牝馬の双方での制覇は国営競馬・中央競馬を通じて史上初となるものであった。

2019年12月5日、JRAより2020年度新規調教師免許試験に合格したことが発表された。なお、本人の申請により調教師免許は2020年3月1日付の発効となる[4][5]

2020年2月29日、引退当日となった阪神競馬5競走で、直線内斜行により他馬の進路を妨害したとして、開催日4日間の騎乗停止処分となった。引退当日のレースでの行為が原因で騎乗停止処分が下るのは1993年2月27日の中山競馬で騎乗停止処分となった徳吉一己以来、27年ぶりであった[6]。また、阪神競馬最終競走終了後に引退式が行われたが、引退当日は新型コロナウイルスの影響で無観客での開催となっていたため、騎手や馬主など、関係者だけの出席となった[7][8]

2020年12月21日、JRAより2021年3月1日付で栗東所属の調教師として新規開業することが発表された[9]

調教師時代

2021年3月1日付で開業。3月6日の阪神競馬第3Rテイエムジャガーで初出走(4着)[10]。翌7日の小倉競馬第8Rサマービートが1着となり、初勝利を果たした[10]。同時に開業した9人の調教師の中でも一番乗りであった[10]

騎手成績

GI及びJpnI競走勝利

斜字は交流GI太字は海外GIを指す)

重賞競走勝利

年度別成績

年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率備考
1991年101715180.056.150.233
1992年243323297.081.192.269
1993年272327341.079.147.226
1994年564036493.114.195.268
1995年645946497.129.247.340
1996年716956578.123.242.339
1997年646569534.120.242.371
1998年858044572.149.288.365
1999年858166675.126.246.344JRAフェアプレー賞(関西)
2000年1018172730.138.249.348JRA優秀騎手賞
JRAフェアプレー賞(関西)
2001年987252613.160.277.362JRA優秀騎手賞
関西リーディング
JRAフェアプレー賞(関西)
2002年857573694.122.231.336JRAフェアプレー賞(関西)
2003年735355654.112.193.277JRAフェアプレー賞(関西)
2004年747549624.119.239.317JRAフェアプレー賞(関西)
2005年785758644.121.210.300
2006年648164680.094.213.3071000勝達成
2007年623144507.122.183.270JRAフェアプレー賞(関西)
2008年503940490.102.182.263
2009年543236434.124.198.281JRAフェアプレー賞(関西)
2010年544735459.118.220.296中京競馬記者クラブ賞
2011年513643421.121.207.309JRAフェアプレー賞(関西)
2012年453943430.105.195.295
2013年494628406.121.234.303
2014年403030375.107.187.267
2015年353834390.090.187.274JRAフェアプレー賞(関西)
2016年273732336.080.190.286
2017年313427350.089.186.263
2018年182829311.058.148.241
2019年81815158.051.165.259
2020年34346.065.152.217
中央15861420124413919.114.216.305
地方242119111.216.405.577
海外1207.143.429.429
通算16111443126314037.115.218.308

記録

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1991年3月2日1回中京3日2R4歳未勝利キリシマミズキ16頭1113着
初勝利1991年5月19日5回京都2日8R5歳上500万円下サンラブホーラー13頭31着
重賞初騎乗1992年6月7日3回阪神6日11R阪急杯ナムラボレロ10頭710着
重賞初勝利1994年3月20日1回中京8日11R報知杯4歳牝馬特別ゴールデンジャック14頭81着
GI初騎乗1994年4月10日3回阪神6日10R桜花賞ゴールデンジャック18頭713着
GI初勝利1996年4月14日2回中山8日10R皐月賞イシノサンデー18頭41着

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2021年3月6日1回阪神7日目3R3歳未勝利テイエムジャガー12頭54着
初勝利2021年3月7日2回中京8日目8R4歳以上1勝クラスサマービート10頭51着
重賞初出走2021年4月10日2回阪神5日目11R阪神牝馬Sメジェールスー12頭1212着
重賞初勝利2023年3月16日12回名古屋4日目11R名古屋大賞典ハギノアレグリアス12頭11着
GI初出走2021年10月24日4回阪神6日目11R菊花賞モンテディオ18頭1314着

重賞競走勝利

エピソード

  • 競馬雑誌『サラブレ』にて「ジョッキーズ・トーク」なる自らのコーナーをもち、対談とエッセイを執筆している。2008年1月より2009年まで『週刊プレイボーイ』で連載を始めた。
  • 横山典弘と仲が良くサラブレや週刊Gallopで対談を行っている。また若手に対して面倒見がよく慕われており、1000勝達成時のセレモニーでは松岡正海藤岡佑介の両騎手が看板持ちを務めた。
  • 当時では一般的ではなかった角馬場での調教を始めた最初の騎手とされており、1996年のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(現:フローラステークス)の優勝馬であるセンターライジングに行ったのが最初とされる。同馬を管理していた伊藤雄二に調教を任されていたことで初めての試みであったが、当初は好奇の目で見られていたものの徐々に競馬サークル内でも広まっていき、現在では中央競馬でも一般的な調教方法として取り入れられている[13]
  • 2006年宝塚記念では枠番4・馬番4・4番人気のダイワメジャーに騎乗して4着になり、名前の一部分(位)も含め全て4づくしという結果となった。
  • 1999年の函館開催で、四位の出馬投票を忘れた菊池憲太に対し、教育的指導と称して一方的な暴行を加えていたことが発覚。後日JRAから処分を受けている。
  • 平安ステークス1999年から、日経新春杯2002年からそれぞれ3連覇している。この他にも京都記念を4勝、京都金杯を2勝などを挙げている。
  • 2008年のNHKマイルカップ制覇後、検量室前で両手を上げガッツポーズした際、鞍上から振り落とされ右手関節を捻挫。最終第12競走が後藤浩輝に乗り替わりとなった。
  • 2008年の東京優駿(日本ダービー)表彰式後の勝利騎手インタビュー中に、「しーい、しーい」とコールをしつこく連呼する観客に対し「うるせぇ、おい!」と一喝。JRAは「マナーの悪い観客を制裁する意味合いがあった」と発表している。
  • 2008年8月30日札幌第1競走で斜行し、騎乗停止4日の処分を受けた。なお、この斜行によって落馬した小林徹弥は右鎖骨遠位端粉砕開放骨折と診断された。
  • 2009年5月24日レッドディザイアで挑んだ第70回優駿牝馬(オークス)で1万回騎乗を達成。「僕を育ててくれた両親に感謝の気持ちを伝えたいですね」とのコメントを残す。
  • 大の競艇好きであり、競艇選手の田中信一郎と親交が深い。
  • 現役騎手時代の騎乗依頼仲介者は小原靖博(競馬ブック)が務めていた。

テレビ出演

連載

脚注

関連項目