大谷真史

日本のサッカー選手

大谷 真史(おおたに まさし、1994年6月14日 - )は、山口県岩国市出身の元プロサッカー選手[2]。ポジションはフォワード駒澤大学卒業。

大谷 真史
名前
カタカナオオタニ マサシ
ラテン文字OTANI Masashi
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1994-06-14) 1994年6月14日(29歳)
出身地山口県岩国市
身長184cm
体重80kg
選手情報
ポジションFW
利き足
ユース
麻里布SSS
2007-2009サンフレッチェ広島Jr.ユース
2010-2012サンフレッチェ広島ユース(吉田高)
2013-2016駒澤大学
クラブ1
クラブ出場(得点)
2017FKムラドスト・ポドゴリツァ 4 (0)
2017-2018FKコモ英語版 20 (2)
2019Criacao Shinjuku 12 (11)
2020いわてグルージャ盛岡 9 (0)
2021Criacao Shinjuku 11 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年1月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
映像外部リンク
サッカー国際大会開会式を盛り上げたサンフレッチェユース劇場 - 木場克己がアップロードした動画。当時やべっちFCでも取り上げられている[1]

来歴

8歳のころ、父親の影響でサッカーをはじめたという。

中学年代ではサンフレッチェ広島ジュニアユースに所属する。同期に野津田岳人前川黛也塚川孝輝ら。のちに盛岡で一緒になる脇本晃成は当時から1つ上の先輩になる。2008年JFAプレミアカップ決勝進出に貢献している[3]

高校年代では広島ユースに昇格する。同期に、野津田・西嶋有矢ら。大谷が所属していた3年間の広島ユースは2010年・2011年・2012年と高円宮杯3連覇を達成しているが、大谷は2年時の決勝はベンチ入り、3年時にはエース[1]として高円宮杯制覇に貢献した。2012Jユースカップ得点王。当時Youtubeにアップロードされた動画で話題となった[1]。ただユースからトップへの昇格はならなかった[1]

駒澤大学に進学する[2][4]。4年時にはサッカー部副キャプテンを務めた[2]

大学を卒業後、モンテネグロ1部FKムラドスト・ポドゴリツァと契約する[4]。翌シーズン同1部のFKコモ英語版に移籍し、2018年5月実兄のドナーとして生体肝移植手術に臨むため帰国する[2]

術後回復し、Jリーグチームへのトライアウトに参加しようとしていたところ十二指腸潰瘍が発覚し静養する[2]。その後岡本達也からの誘いを受けて2019年3月、関東2部リーグのCriacao Shinjukuに入団する[2]。関東2部リーグ戦12試合で11得点をあげリーグ得点王、チームを関東1部リーグ昇格に導いた[2]。シーズン終了後、トライアウトに参加した[2]

2020年、いわてグルージャ盛岡に入団する。

2021年、Criacao Shinjukuへ復帰した[5]。そしてこの年に現役引退[6]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
モンテネグロリーグ戦 リーグ杯ツルノゴルスキ杯期間通算
2016-17ポドゴリツァ1部40-0040
2017-18コモ202-10212
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2019C新宿関東2部1211--1211
2020盛岡20J390--90
2021C新宿19関東1部118--118
通算モンテネグロ1部242-10252
日本J390--90
日本関東1部118--118
日本関東2部1211--1211
総通算5621-105721
その他公式戦
  • 2021年
    • JFL・地域リーグ入れ替え戦 1試合1得点
出場歴

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

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