崇禎

明朝の年号


崇禎(すうてい)は、中国の最後の皇帝である第17代皇帝朱由検の治世中で使用された元号1628年 - 1644年

明では一世一元の制を採用していたため、毅宗は崇禎帝と称される。

崇禎以外で提示された元号の案に「乾聖」、「興福」、「咸嘉」があり、初期の案では崇禎ではなく「崇貞」であった。また、元号の案に別説として「永昌」、「紹慶」、「咸寧」があったという説があり、後に崇禎17年に李自成によって明が滅ぼされて建国されたの元号に永昌が用いられている。

崇禎の明の衣装

出来事

崇禎元年、1627年(天啓7年)に熹宗が死亡したため、弟崇禎帝が皇位についた。

崇禎17年3月19日、李自成により明は滅亡。李自成は、その年の1月に西安で皇帝を称し()、年号を永昌としていたが、4月にによって逐われた。その清の元号では、この年は順治元年である。

一方、南京では、崇禎帝の従兄弟である福王・朱由崧が5月15日に皇帝に即位し、明朝を復興(南明)、踰年改元法に則り、崇禎の年号を継承し、翌年正月を以って弘光に改元する。

李氏朝鮮では、明の滅亡後、明の後継者は朝鮮だとする小中華思想により、崇禎による崇禎紀元を使い続けていた。

西暦との対照表

崇禎元年2年3年4年5年6年7年8年9年10年
西暦1628年1629年1630年1631年1632年1633年1634年1635年1636年1637年
干支戊辰己巳庚午辛未壬申癸酉甲戌乙亥丙子丁丑
崇禎11年12年13年14年15年16年17年 
西暦1638年1639年1640年1641年1642年1643年1644年
干支戊寅己卯庚辰辛巳壬午癸未甲申

他年号との対照表

崇禎元年2年3年4年5年6年7年8年9年10年
後金
天聡2天聡3天聡4天聡5天聡6天聡7天聡8天聡9天聡10
崇徳
崇徳2
崇禎11年12年13年14年15年16年17年 
崇徳3崇徳4崇徳5崇徳6崇徳7崇徳8順治
------永昌

関連項目


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天啓
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