工藤美代子

工藤 美代子(くどう みよこ、1950年3月27日[1] - )は、日本ノンフィクション作家。怪談エッセイなどでも知られる[2]。本名は加藤 美代子(かとう みよこ)[1]

くどう みよこ

工藤 美代子
生誕 (1950-03-27) 1950年3月27日(74歳)
東京都
国籍日本の旗 日本
別名加藤美代子(本名)
出身校カレル大学中退
職業ノンフィクション作家
配偶者加藤康男 (編集者)
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略歴・人物

1991年、『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞[3]。1993年、元集英社出版部長の加藤康男(元恒文社専務取締役、現ノンフィクション作家)と結婚[4]

新しい歴史教科書をつくる会副会長や国家基本問題研究所評議員を務めていた[5]

関東大震災朝鮮人虐殺事件に関する、近年の新たな否定論の提唱者[2]で、有田芳生によれば、この工藤の説は小学館「SAPIO」連載(’08年〜'09年)、産経新聞出版での単行本化('09年)、WACから出版('14年)を経て、日本会議自民党国会議員、インターネット、口コミなどで拡散していったという[6]。工藤は、その著書『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(2009年)において震災時に朝鮮人暴動は実際にあったとし、最終的にその根拠を、当時の内務大臣であった後藤新平が警視庁官房主事の正力松太郎に、暴動が実際にあった、(したがって、自警団の朝鮮人殺害は正当だが)朝鮮人の報復がお上に向かうといけないから自警団には引いてもらう、自警団はねぎらうつもりだと述べたことだとする[7]。この話を正力が工藤の父である池田恒雄に語り、工藤自身はこの話を亡くなった父から生前に聞いていたとする[8]。しかし、この工藤の主張は池田の死後になってなされたもので、池田が生前にこのようなことを語っていたことを示す客観的な証拠は無く、また、正力自身はその回想録等で当時の朝鮮人殺害を根拠の無い風聞に基づく虐殺事件としていることと矛盾する[7]。なお、夫の加藤康男は、工藤のこの著書を、実際には自身との共同執筆であったとして、あらためて加藤単独の著書名(なぜか両者の共同著書名にはしていない)で新版を出版している[7]

著作

単著

共編著

  • 『晩香坡の愛 田村俊子と鈴木悦』スーザン・フィリップス共著 ドメス出版 1982年
  • 『とはいえ、熟年離婚に物申す』ねじめ正一共著、メディア・パル 2008年
  • 『皇族の「公」と「私」 思い出の人、思い出の時』寬仁親王との対話、PHP研究所 2009年
  • 『くじけてなるものか 笹川良一が現代に放つ警句80』幻冬舎、2011年 のち文庫
  • 『お帰りやす、天皇陛下。』井上章一共著、ビジネス社 2023年 

翻訳

脚注