平和記念東京博覧会

平和記念東京博覧会(へいわきねんとうきょうはくらんかい)は1922年大正11年)、上野公園で行われた博覧会である。

平和記念東京博覧会のポスター

概要

堀口捨己の手による平和塔(メインパビリオン)

主催は東京府。第一次世界大戦終結後の平和を記念し、日本産業の発展に資するため開催された。会期は1922年3月10日から7月31日まで、来場者は約1100万人と空前の人出になった。

展示施設伊東忠太佐野利器が顧問となり、東京府技師の小倉強らが設計に当たった。新進の建築家堀口捨己、滝沢真弓、蔵田周忠らが起用され、堀口による第二会場池塔、機械動力館などの表現主義的な、分離派式の施設が目を引いた。

呼び物となった「文化村」では、あめりか屋などによる中流階層向けの住宅14棟が展示された。ここから文化住宅という言葉が広まったと言われる。[誰によって?]

作品は藤島「残雪」、柏亭「外套を着たる夫人」、内藤伸「六道将軍」など。

参考文献

  • 『平和記念東京博覧会写真帖』[1]
  • 『平和記念東京博覧会事務報告』[2]

関連項目

外部リンク