手塚プロダクション

日本の東京都新宿区にあるアニメ制作会社

株式会社手塚プロダクション(てづかプロダクション、: TEZUKA PRODUCTIONS Co., Ltd.)は、日本アニメ制作会社である。日本動画協会正会員。

株式会社手塚プロダクション
TEZUKA PRODUCTIONS Co., Ltd.
種類株式会社
略称手塚プロ
本社所在地日本の旗 日本
169-8575
東京都新宿区高田馬場4丁目32番11号
設立1968年1月23日
業種情報・通信業
法人番号6011101013669 ウィキデータを編集
事業内容アニメーションの企画・制作および著作権管理
代表者代表取締役 松谷孝征
資本金2,000万円
従業員数102名[1]
関係する人物手塚治虫(創業者)
手塚眞(取締役)
手塚るみ子(取締役)
清水義裕(取締役)
外部リンクhttps://tezuka.co.jp/
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概要

東京都新宿区高田馬場4丁目に本社(『鉄腕アトム』の舞台という縁に由来)、埼玉県新座市野火止4丁目にアニメーション制作スタジオ(手塚の自宅があるという縁に由来)、兵庫県宝塚市に宝塚事務所(手塚が幼少期を過ごした縁に由来)、中国にアニメーション制作関連会社として北京写楽美術芸術品有限公司がある。

手塚治虫作品の著作権管理とアニメーション制作を主な業務としているが、その他企業のキャラクター制作も手がけており、鈴鹿サーキット多摩テック(閉鎖)のキャラクター「コチラちゃん」、三重県鈴鹿市の公式キャラクター「ベルディ」、岐阜県世界淡水魚園水族館(アクア・トトぎふ)のキャラクター、工事中を案内する看板のキャラクターも制作している。

その他、手塚治虫キャラクターグッズの制作・販売、イベントの企画・制作、宝塚市立手塚治虫記念館京都駅ビルにあるKYOTO手塚治虫ワールドの運営なども手がける。また朝日新聞社と提携して手塚治虫文化賞を設け、優れた漫画作品を表彰している。

歴史

1961年、手塚治虫がアニメーション制作のため「手塚治虫プロダクション動画部」を設立[2]1962年「株式会社虫プロダクション」(以降虫プロ、旧虫プロ)として法人化[2]。社長は手塚自身が務めた。1966年、その子会社として版権・出版・営業業務を請け負う虫プロ商事株式会社を設立した。

1968年、手塚は漫画制作・管理のための別会社として、中野区上鷺宮に株式会社手塚プロダクション(以降手塚プロ)を設立した[2]。これによりアニメ制作は虫プロ、漫画制作は手塚プロに切り分けた。手塚プロは高田馬場に移転するまでの1970年から1976年に、富士見台の越後屋ビル(現存)の2・3階を借りていた[3]。3階で手塚は集中して漫画の執筆に励み、2階ではスタッフがアシスタント業務及び給料計算や、漫画の著作権管理など事務処理を行った。

当初、虫プロは手塚治虫原作漫画を基にしたアニメを制作していたが、スポンサーがついて制作にのせることのできた作品の数はそれほど多くなかった。このため虫プロは1960年代後半以降は、手塚原作以外の作品もアニメ化するようになった。手塚作品のアニメがほぼ無くなった1971年に、手塚は虫プロ社長を退任した。

この頃、手塚プロダクション内部にもアニメ部門が作られアニメの制作が開始されたが、当初は虫プロの下請け的活動が主であった。この頃には企業宣伝用の超短編作品が数本とテレビシリーズ版『ふしぎなメルモ』(1971年放映開始)が制作されている。

手塚の虫プロ社長退任前後から虫プロ商事内部では紛争が始まり、大規模な労働争議へと発展、これは後に虫プロにも飛び火して多くのスタッフが退職していった。この社内の不安定な状況に加え、受注減や制作費の高騰、劇場版映画の興行的失敗、銀行が融資を引き上げたことも重なり、資金環境が急激に悪化。虫プロ商事と虫プロは1973年に相次いで倒産した。手塚自身は虫プロに対して手形保証など個人レベルでの債務が残っていたため事後処理に追われ、多額の経済的損失も被ったが、手塚プロは資本の面で虫プロとはほぼ関係が無かったことで連鎖倒産は免れた。手塚自身にとっても漫画制作の基盤を失わずに済んだのは幸運であったという。

旧虫プロの倒産後、1977年に旧虫プロの労働組合が中心となって「虫プロダクション株式会社」(以降新虫プロ)が設立された。この際、倒産前の旧虫プロで制作した作品の著作権は一度手塚から新虫プロに譲渡されたため、新虫プロ設立後にビデオソフト化されたモノクロ版鉄腕アトムなどについては、原作の著作権者として手塚プロダクション、アニメの著作権者として虫プロダクションの名が入るという形が採られていたが、2019年現在においては手塚治虫原作の作品については手塚プロダクション(『ワンサくん』の映像管理は東北新社)に権利を委託していることが公式ウェブサイトで告知されている[4]。なお手塚プロダクションと新虫プロは、旧虫プロの設立に手塚が関わった点と、新虫プロ初の連続テレビアニメ『ワンダービートS』の制作に手塚が参加したことや、前述の手塚原作作品の権利受委託などの手塚治虫自身とその遺族・関係者を通じた人的なものを除くと資本的な面では関係が無い。

旧虫プロの倒産以後は、手塚プロダクションは独自に手塚漫画作品を原作とするアニメ作品を制作するようになった。後に人材リソースを活用するため日本国内他社が制作する作品のグロス請けを受注するなど、一般的なアニメ制作プロダクションとしての事業も行うようになった。2007年以降からは旧虫プロの出身者が多く居て人的な係わり合いのあるマッドハウス作品制作への協力も行っている。

漫画制作のために設立された経緯から漫画部が存在していたが、手塚の没後、元アシスタントの伴俊男による伝記漫画『手塚治虫物語』(『アサヒグラフ』1989年8月25日号から1991年7月26日号まで連載、1992年刊)の制作を経て、1992年5月に漫画部は解散した[5]

主な作品

テレビアニメ

開始年放送期間タイトル監督アニメーション
プロデューサー
備考
1971年10月 - 1972年3月ふしぎなメルモ永樹凡人
正延宏三
N/A
1980年10月 - 1981年12月鉄腕アトム(第2作)石黒昇
1989年4月 - 1990年3月青いブリンク手塚治虫(総)
原征太郎
松谷孝征
由井正俊
10月 - 1990年10月ジャングル大帝(リメイク版)宇井孝司勝田稔男
1990年10月 - 1991年9月三つ目がとおるうえだひでひとN/A
1991年7月 - 1992年5月おにいさまへ…出崎統永山邦明
1997年4月 - 5月手塚治虫の旧約聖書物語N/A
4月 - 1999年5月白鯨伝説第19話以降
2003年4月 - 2004年3月ASTRO BOY 鉄腕アトム小中和哉
2004年4月 - 6月火の鳥高橋良輔
10月 - 2006年7月ブラック・ジャック手塚眞大石光明
大澤宏志
2006年4月 - 9月ブラック・ジャック21
2007年10月 - 2008年3月もっけ西田正義宇田川純男
橋本信太郎
共同制作:マッドハウス
2009年1月 - 3月源氏物語千年紀 Genji出崎統橋本信太郎共同制作:トムス・エンタテインメント
2012年4月 - 6月坂道のアポロン渡辺信一郎宇田川純男共同制作:MAPPA
2014年3月 - 4月ろぼっとアトム手塚眞(総)
西田正義
N/A共同制作:チャンネルズTV
2015年1月 - 3月戦国無双於地紘仁橋本信太郎共同制作:TYOアニメーションズ
10月 - 12月ヤングブラック・ジャック加瀬充子N/A
2018年1月 - 3月だがしかし2桑原智宇田川純男
大澤宏志
設定協力:feel.[注 1]
2019年1月 - 6月どろろ古橋一浩N/A[注 2]共同制作:MAPPA
1月 - 3月五等分の花嫁桑原智宇田川純男
大澤宏志
臨死!!江古田ちゃん高橋良輔N/A[注 3]第6話担当
2020年10月 - 12月安達としまむら桑原智宇田川純男
2021年4月 - 6月異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術Ω大澤宏志共同制作:オクルトノボル
7月 - 9月カノジョも彼女
10月 - 12月MUTEKING THE Dancing HERO高橋良輔(総)
サトウユーゾー
武藤貴彦共同制作:タツノコプロ
2022年4月 - 7月魔法使い黎明期桑原智大澤宏志
10月 - 2023年9月まめきちまめこニートの日常
2023年1月 - 3月ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん吉村文宏大石光明
4月 - 6月マイホームヒーロー亀井隆宇田川純男
神山翔太郎
女神のカフェテラス桑原智大澤宏志
10月 - 12月アンダーニンジャ
2024年4月 -ザ・ファブル高橋良輔宇田川純男
柴田萌々
7月 -女神のカフェテラス(第2期)桑原智未公表
僕の妻は感情がない吉村文宏

テレビスペシャル

放映年タイトル
1978年100万年地球の旅 バンダーブック
1979年海底超特急マリンエクスプレス
1980年フウムーン
1981年ブレーメン4 地獄の中の天使たち
1983年タイムスリップ10000年プライム・ローズ
1984年大自然の魔獣バギ
1986年銀河探査2100年 ボーダープラネット
1989年手塚治虫物語 ぼくの孫悟空
1999年手塚治虫アカデミー大賞
2000年手塚治虫が消えた!? 20世紀最後の怪事件
2003年ブラック・ジャック2時間スペシャル〜命をめぐる4つの奇跡〜
2009年ジャングル大帝 -勇気が未来をかえる-

劇場アニメ

公開年タイトル備考
1970年おかしな一日短編映画
氷の国のミースケ
南へ行ったミースケ
1979年ユニコ黒い雲と白い羽
1980年火の鳥2772 愛のコスモゾーン劇場用アニメーション
1984年JUMPING実験アニメ
1985年おんぼろフィルム
1987年PUSH
村正
森の伝説
1988年自画像
1996年ブラック・ジャック(劇場版)劇場用アニメーション
1997年ジャングル大帝(劇場版)
2003年ぼくの孫悟空
2005年ブラック・ジャック ふたりの黒い医者
Dr.ピノコの森の冒険短編映画
ASTRO BOY 鉄腕アトム 10万光年の来訪者・IGZA劇場用アニメーション
2012年グスコーブドリの伝記
2015年クミとチューリップ2014年度若手アニメーター育成プロジェクト「アニメミライ2015」参加作品
2016年かっちけねぇ!2015年度若手アニメーター育成プロジェクト「あにめたまご2016」参加作品
2021年さよなら、ティラノ[6][7]劇場用アニメーション

OVA

発売年タイトル備考
1983年ライオンブックス-1993年
1991年アニメ交響詩ジャングル大帝
1993年マグマ大使
ブラック・ジャック(OVA版)-2011年
1998年ゴルゴ13〜QUEEN BEE〜
2000年ブラック・ジャック 空からきた子ども共同制作:秋田書店
2009年ravex in TEZUKA WORLD
2018年テニスの王子様 BEST GAMES!!-2020年、共同制作:M.S.C

制作協力

タイトル制作元請備考
1981年ユニコサンリオ、マッドハウス制作協力
1982年手塚治虫のドン・ドラキュラじんプロダクション企画協力
1983年ユニコ 魔法の島へサンリオ、マッドハウス制作協力
1985年悪魔島のプリンス 三つ目がとおる東映動画企画協力
ラブ・ポジション ハレー伝説サンシャイン・コーポレーション・オブ・ジャパン製作
1986年火の鳥 鳳凰編マッドハウス企画協力
1987年火の鳥 ヤマト編
火の鳥 宇宙編
1988年AKIRA (アニメ映画)東京ムービー新社動画協力
1996年ソニック・ザ・ヘッジホッグ(OVA版)スタジオぴえろ動画、仕上
2001年メトロポリスマッドハウス企画協力
2007年ねずみ物語 〜ジョージとジェラルドの冒険〜制作協力
2008年アリソンとリリア
ウルトラヴァイオレット:コード044
2011年手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-東映アニメーション
2014年BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-
2017年アトム ザ・ビギニングOLMProduction I.Gシグナル・エムディ協力
2019年GO!GO!アトムPlanet Nemo Animation-2020年、企画協力
2023年PLUTOスタジオM2制作協力

その他

宝塚手塚治虫記念館の館内上映用の短編アニメーション作品や、京都駅の中にかつて存在した手塚治虫ワールド(2011年1月16日閉館)の小規模シアターで上映するための短編作品群がある。

書籍

  • Tezuka Productions: "Tezuka School of Animation, 1: Learning the Basics", Watson-Guptill(publisher), ISBN 978-1569709955 (September 1, 2003). ※アニメーションの描き方の指南書(英語)。
  • Tezuka Productions: "Tezuka School of Animation, 2: Animals in Motion", Watson-Guptill(publisher), ISBN 978-1569709948 (September 1, 2003).  ※アニメーションの描き方の指南書(英語)。
  • 小林準治:「手塚プロが教える 動物アニメーションの描きかた」、PHP研究所、ISBN 978-4-569-83454-2 (2016年12月5日)。

その他

  • アポロの歌(パイロットフィルム、1970年)
  • 火の鳥 (東宝系、実写版、市川崑監督、1978年)のアニメーション部分を担当 ※ 原作:手塚治虫「火の鳥 黎明編」。
  • ブレイブファイヤーS0・9(PRムービー、パイロットフィルム、1987年、電力会社のPR用のスペシャルアニメ作品としてコンペに出品したパイロットフィルム。手塚治虫がナレーションを務める。太陽光発電を推す内容)。
  • 白痴 (実写映画、手塚プロ初のR-15指定の作品[注 4]、1999年)- 手塚眞の映画作品。
  • ブラック・ジャック(協力、TBSスペシャルドラマ版、2000年)
  • ガラスの脳(協力、実写映画、2000年、手塚治虫の原作漫画の実写化作品)
  • ミッドナイト(東京ハイビーム+四谷天窓提携公演、2016年8月) - ミッドナイト初の舞台化。高田馬場ライブハウス四谷天窓で上演。

この他にも、手塚治虫の原作漫画から実写化(翻案を含めて)した例はテレビ作品、劇場用映画などでいくつかある。建設会社などで用いられるまんが標識にて手塚プロの著作表示がされているものがある(要出典)

脚注

注釈

出典

関連人物

関連項目

外部リンク