文化語 (朝鮮語)

朝鮮民主主義人民共和国の定める、朝鮮語の標準形態
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文化語(ぶんかご、: 문화어 (文化語)、: 북한어 / 북한말 (北韓語)、: North Korean standard language)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)における朝鮮語標準語である。

文化語 (北朝鮮の表記)
各種表記
チョソングル문화어
漢字文化語
発音ムヌァオ (<ムンファオ)
日本語読み:ぶんかご
RR式Munhwaeo
MR式Munhwaŏ
英語表記:North Korean standard language
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北韓語 (韓国の表記)
各種表記
ハングル북한어 / 북한말
漢字北韓語 / 北韓말
発音プッカノ(<プッカンオ)/プッカンマル
日本語読み:ほっかんご
RR式Bukhaneo
MR式Puk'anŏ
英語表記:North Korean standard language
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概要

조선말대사전(朝鮮語大辞典)』(2017年)では、「平壌語を基礎として築かれた規範的な言葉。偉大なる首領金日成同志と偉大なる指導者金正日同志、敬愛する最高指導者金正恩同志の革命的文風を手本として民族語のあらゆる優秀な要素を集大成した素晴らしい言葉」とされる。また、『朝鮮語規範集』(2010年)中の「文化語発音法」の総則によれば、「朝鮮語発音法は、革命の首都・平壌を中心地とし、平壌語を土台として成り立った文化語の発音に基づく」とされる。

このように、北朝鮮での定義によれば文化語は、西北方言に属す平壌語を土台としていることになる。しかしながら、査定した朝鮮語標準語集からつながる文化語制定の歴史的経緯や、文化語の態様などを考えれば、文化語は純粋な平壌方言に基づくものではなく、ソウル方言を中心とした中部方言を土台として、それに平壌方言的な要素や語彙整理の成果などを若干加えて形作られたものであると考えられる。

2023年1月19日、最高人民会議第14期第8回会議に、「朝鮮民主主義人民共和国平壌文化語保護法」が全員賛成で採択された[1][2]

背景

1945年の朝鮮解放後、38度線以北の北朝鮮では民間学術団体の朝鮮語学会(現・ハングル学会)が解放前に制定した「朝鮮語綴字法統一案」(1933年)と「査定した朝鮮語標準語集」(1936年)を引き続き使用した。朝鮮語学会の定めた標準語は「中流社会で用いるソウル語」としていたので、この当時の北朝鮮の標準語もこれに準拠していたと見られる。北朝鮮では「朝鮮語綴字法統一案」に代わる正書法として、1954年に「朝鮮語綴字法」を定めたが、この段階ではまだ旧来の「標準語」という概念を用いていた(第6章は「標準発音法および標準語と関連した綴字法」という見出しである)。その一方で、「朝鮮語綴字法」では「달걀닭알」(鶏卵)、「도둑도적」(泥棒)など、13の標準語の単語について修正を加えており、北朝鮮の言語使用の実情に合わせたと見られる若干の修正も試みられている。

1960年代に入り、いわゆる「主体思想」が台頭するとともに、言語政策においても北朝鮮の独自性を唱えるようになる。そのような中、1966年5月14日に金日成により「朝鮮語の民族的特性を正しく活かしていくことについて(: 조선어의 민족적특성을 옳게 살려나갈데 대하여)」が発表される。これはロシア語、英語、日本語などから導入された不要な外来語や不要な漢字語を固有語に言い換える国語醇化を推進することを主眼としたものであるが、標準語については以下のような言及がある。

「標準語」という言葉は別の言葉に言い換えねばなりません。「標準語」というと、あたかもソウル語を標準とするかのように誤って理解されるおそれがあるので、そのまま使う必要がありません。社会主義を建設している我々が、革命の首都たる平壌語を基準とし発展させた朝鮮語を、「標準語」と言うより別の名で呼ぶのが正しいです。
「文化語」という言葉もあまりよいものではありませんが、それでもそのように言い換えるのがよいです。

このようにして、ソウル語を基礎とした「標準語」と差別化を図る形で、北朝鮮の「文化語」という概念が形作られた。

特徴

文化語は、「平壌語を基準」とすると定義されているものの[注 1]、その特徴をみる限り、平壌方言をそのまま導入して作られたものとは言いがたい。上述のような経緯から、朝鮮語学会が定めた(ソウル方言を土台にした)標準語を基に、醇化語を導入したり、いくつかの平壌方言的な要素を取り入れたりして修正した標準語が文化語であるということができる。

語彙

文化語とソウル語との違いが最も大きいのは語彙である。その要因として、社会制度の差異により諸般の社会的な用語が異なる用いられ方をしたこと、国語醇化により語彙に違いが生じたこと、という2点が挙げられよう。方言的な要因による南の標準語との違いを見ると、若干の語彙において平壌方言に由来すると見られる語彙が存在する。以上のような朝鮮の固有語だけでなく、漢字語や外来語の表記が文化語とソウル語で異なる場合もある。以下ではその代用的な例をいくつか取り上げる。

文化語とソウル語で漢字語の表記が異なる例

文化語とソウル語で漢字語の表記が異なる例
日本語文化語ソウル語
女性녀성여성
朝鮮民主女性同盟조선민주녀성동맹조선민주여성동맹
冷麺랭면냉면
旅人宿(旅館려인숙여인숙
旅券(パスポート)려권여권
連結련결연결
列車렬차열차
連盟련맹연맹
朝鮮基督教連盟조선그리스도교련맹조선그리스도교연맹
連合련합연합
連合国련합국연합국
連合国機構련합국기구국제 연합
労働者로동자노동자
老人로인노인
籠球(バスケットボール)롱구농구
礼儀례의예의
理由리유이유
楽園락원낙원
理髮所리발소이발소
洛東江락동강낙동강

文化語とソウル語で人名の表記が異なる例

文化語とソウル語で人名の表記が異なる例
漢字文化語備考
李成桂리성계이성계朝鮮初代君主
梁世奉량세봉양세봉日本植民地時代の朝鮮の独立運動家
李承晩리승만이승만第1・2・3代大韓民国大統領
盧泰愚로태우노태우第13代大韓民国大統領
盧武鉉로무현노무현第16代大韓民国大統領
李明博리명박이명박第17代大韓民国大統領
李同国리동국이동국韓国のサッカー選手

文化語では翻訳語、ソウル語では外来語が使われる例

文化語では翻訳語、ソウル語では外来語が使われる例
日本語文化語ソウル語
表記由来表記備考
クリック찰칵클릭click
サーバ봉사기直訳: 奉仕器서버server
ジャバスクリプト(쟈바)각본直訳: ジャバ脚本자바스크립트Java script
タブレットコンピュータ판형콤퓨터直訳: 板型コンピュータ

板型コンピュータ三池淵(朝鮮語: 판형 콤퓨터 삼지연

태블릿 컴퓨터Tablet Computer
ダンクシュート꽂아넣기덩크 슛dunk shoot
ヘアドライヤー건발기直訳: 乾髪機헤어드라이어hair dryer
テレビチャンネル텔레비죤 통로直訳: テレビジョン通路텔레비전 채널television channel
ソプラノ녀성고음直訳: 女性高音もしくは女声高音소프라노イタリア語: soprano
メゾソプラノ녀성중음直訳: 女性中音もしくは女声中音메조소프라노イタリア語: mezzo-soprano
アルト녀성저음直訳: 女性低音もしくは女声低音알토イタリア語: alto
テノール남성고음直訳: 男性高音もしくは男声高音테너tenor
バリトン남성중음直訳: 男性中音もしくは男声中音바리톤baritone
バス남성저음直訳: 男性低音もしくは男声低音베이스bass
ワンピース외동옷直訳: 一人っ子の服원피스one-piece dress
キャラメル기름사탕直訳: 油砂糖캐러멜caramel
ヘリコプター직승기直訳: 直昇機헬리콥터helicopter
ハンドリング손다치기핸들링handling
ビデオテープ록화기直訳: 録画機비디오 테이프 레코더video tape recorder, VTR
ピタゴラスの定理세평방 정리直訳: 3平方定理피타고라스의 정리Pythagoras's theorem
フリーキック페널티킥直訳: ペナルティーキック프리킥free kick
ポールダンス기둥춤直訳: 柱踊り폴댄스pole dance
アイスクリーム에스키모,

얼음과자

直訳: エスキモー、氷菓子아이스크림ice cream(北でも아이스크림が用いられる[3]
ハンバーガー고기 겹빵直訳: 肉の八重パン햄버거hamburger(北でも햄버거が用いられる[4]
ゴールキーパー문지기直訳: 門守り골키퍼goal keeper
ストッキング하루살이 양말直訳: カゲロウ靴下스타킹stocking
パンティーストッキング양말바지直訳: 靴下ズボン팬티스타킹pantyhose

文化語とソウル語で外来語の表記が異なる例

文化語とソウル語で外来語の表記が異なる例
日本語文化語ソウル語
表記由来表記由来
エネルギー에네르기日本語: エネルギー에너지英語: energy
キャンペーン깜빠니아ロシア語: кампания캠페인英語: campaign
キロ키로日本語: キロ킬로英語: kilo
コップ고뿌日本語: コップ英語: cup
コンピューター콤퓨터英語: computer컴퓨터英語: computer
テレビ텔레비죤英語: television텔레비전英語: television
トラクター뜨락또르ロシア語: трактор트랙터英語: tractor
ビデオ비데오日本語: ビデオ비디오英語: video
ページ페지日本語: ページ페이지英語: page
ラジオ라지오日本語: ラジオ라디오英語: radio
レール레루日本語: レール레일英語: rail

文化語とソウル語で国名の表記が異なる例

文化語とソウル語で国名の表記が異なる例
日本語文化語ソウル語由来
アラブ首長国連邦아랍추장국아랍에미리트아랍酋長國
アンギラ앵귈러앵귈라英語: Anguilla
イタリア이딸리아이탈리아ロシア語: Италия
ウズベキスタン우즈베끼스딴우즈베키스탄ロシア語: Узбекистан
エジプト애급 または 에짚트이집트埃及、ロシア語: Египет
オーストラリア오스트랄리아오스트레일리아ロシア語: Австралия
オランダ네데를란드 または 화란네덜란드オランダ語: Nederland
カタール까타르카타르ロシア語: катар
カナダ카나다캐나다ロシア語: Канадаフランス語: Canada
南朝鮮남조선남한南朝鮮南韓
カンボジア캄보쟈캄보디아ロシア語: Камбоджа
キューバ꾸바쿠바ロシア語: Куба
ジョージア그루지야조지아ロシア語: Грузия
シリア수리아시리아アラビア語: سوريا
スペイン에스빠냐스페인スペイン語: España
セルビア쓰르비아, 쎄르비아세르비아ロシア語: Сербияセルビア語: Србија
ソビエト連邦(ソ連)쏘베트사회주의공화국련맹, 쏘련소비에트 연방, 소련ロシア語: Советский Союз
タイ타이태국タイ語: ประเทศไทย
チェコスロバキア체스꼬슬로벤스꼬체코슬로바키아チェコ語: Československo
チュニジア뜌니지튀니지ロシア語: Тунис
トーゴ또고토고ロシア語: Того
トルコ뛰르끼예터키トルコ語: Türkiye
ハイチ아이띠아이티フランス語: Haïti
パレスチナ팔레스티나팔레스타인アラビア語: جمهورية فلسطين
ハンガリー마쟈르 または 웽그리아헝가리ハンガリー語: Magyarországロシア語: Венгрия
バングラデシュ방글라데슈방글라데시ロシア語: Бангладеш
ブルガリア벌가리아불가리아ロシア語: Болгария
ベトナム윁남베트남「윁남」は漢字「越南」のチョソングル表記、「베트남」は「Việt Nam」の朝鮮語発音転記。
ベラルーシ벨라루씨벨라루스ロシア語: Беларусь
ペルー뻬루페루ロシア語: Перу
ポーランド뽈스까폴란드ポーランド語: Polska
ポルトガル뽀르뚜갈포르투갈ポルトガル語: Portugal
メキシコ메히꼬멕시코スペイン語: México
ルーマニア로므니아루마니아ルーマニア語: România
ロシア로씨야러시아ロシア語: Россия
アメリカ미국미국ハングル表記は同じだが、国語辞典上の参考表示としての漢字表記が異なる。北朝鮮は「米国」[5]。韓国は「美国」[6]。ただし、両国とも正式な表記は、ハングル

文化語とソウル語で都市名の表記が異なる例

文化語とソウル語で都市名の表記が異なる例
日本語文化語ソウル語由来
ウラジオストク울라지보스또끄블라디보스토크ロシア語: Владивосток
バレー밸리더밸리英語: Valley
東京도꾜도쿄日本語: 東京。しかし、かつては「동경(漢字のハングル表記)」[7]とも表記。
プラハ쁘라하프라하チェコ語: Praha
ブリュッセル브류쎌브뤼셀オランダ語: Brussel
ワルシャワ와르샤와바르샤바ポーランド語: Warszawa

音韻

平壌を含む旧平安道一帯で使用されている西北方言(平安道方言)の特徴として、口蓋音化が起きていないことが挙げられる。朝鮮半島中南部の方言では、近世朝鮮語期において /i/ あるいは半母音 /y/ に先行する // が口蓋化し // に変化した。例えば、中期朝鮮語の「둏다(よい)」はソウル方言ではが口蓋音化して「좋다」となるが、平壌方言では「돟다」のようにが保たれる。また、平壌方言では母音 /i/ あるいは半母音 /y/ に先行する語頭の子音 // が脱落しない。例えば、「歯」の意の単語は、ソウル方言「」に対して平壌方言「」である。しかしながら、文化語はこのような平壌方言の典型的な音的特徴を反映しておらず、原則的に朝鮮語学会が定めた標準語と同様の音的特徴、すなわちソウル方言的な特徴をよく反映している。

なお、「로동(労働)」など語頭の /r/ 音を維持する発音規則は、1954年の「朝鮮語綴字法」においてすでに規定されている。

文法

文法項目を見ても、平壌方言的な特徴は文化語にほとんど見られない。例えば、「바다이(海が)」における母音語幹の体言に付く主格「-」、「(見たの?)」における下称の疑問形「-/-」など、平壌方言に見られるさまざまな文法的な形態の多くは、文化語に採用されていない。平壌方言に由来する文法形式で文化語に採用されたものとしては、過去継続を表す「-더랬-」などがある。

  • 학창시절에 권투를 하더랬다. 「学生時代にボクシングをしていた。」

文化語には、中部方言に由来すると推測される形式であっても、大韓民国(以下、「韓国」)の標準語と微妙に形式の異なるものがいくつかある。例えば韓国の標準語形「-고자 하다」(…しようとする)に対して、文化語形は「-고저 하다」である。「-고저 하다」という形式は韓国の話し言葉においても現れる形式であり、そのような形式を文化語で採用したものと考えられる。

脚注

注釈

出典


参考文献

  • 김일성(1966) “조선어의 민족적특성을 옳게 살려나갈데 대하여
  • 김일성종합대학 조선어학강좌 (1968) ‘혁명의 붉은 수도 평양에서 이루어진 우리의 문화어’,“문화어학습창간호사회과학원출판사

関連項目