東桜島村

日本の鹿児島県鹿児島郡にあった村

東桜島村(ひがしさくらじまむら)は、鹿児島県桜島東部にあった町村制施行時は北大隅郡[2]1897年(明治30年)より鹿児島郡に属した[3]

ひがしさくらじまむら
東桜島村
大正大噴火によって埋没した腹五社神社の鳥居(黒神埋没鳥居)
廃止日1950年10月1日
廃止理由編入合併
伊敷村東桜島村鹿児島市
現在の自治体鹿児島市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方九州地方
都道府県鹿児島県
鹿児島郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
面積44.81 km2
総人口4,980
1950年4月1日
隣接自治体鹿児島郡西桜島村肝属郡垂水町、牛根村
東桜島村役場
所在地鹿児島県鹿児島郡東桜島村大字湯之515番地[1]
座標北緯31度33分16秒 東経130度38分06秒 / 北緯31.55444度 東経130.63508度 / 31.55444; 130.63508 東経130度38分06秒 / 北緯31.55444度 東経130.63508度 / 31.55444; 130.63508

東桜島村の位置図(1950年時点)
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1914年(大正3年)1月12日桜島の大正大噴火によって東桜島村と大隅半島を隔てていた瀬戸海峡が埋没して陸続きとなり、東桜島村の有村・脇・瀬戸の3集落が溶岩によって埋没する甚大な被害を受けた[4][5][6][7]1946年(昭和21年)にも桜島の噴火(昭和噴火)によって流出した溶岩によって黒神と有村が埋没した[8][9]1950年(昭和25年)10月1日には鹿児島郡伊敷村とともに鹿児島市に編入された[10]

地理

活火山である桜島の東半分を行政区域としていた村である。

山岳

  • 桜島
    • 中岳、南岳、権現山、鍋山

海峡

1914年(大正3年)1月12日桜島の大正大噴火までは、大隅半島と東桜島村を隔てていた瀬戸海峡があったが、溶岩流によって埋没し陸続きとなった。

大字

東桜島村には高免・黒神・瀬戸・脇・有村・古里・湯之・野尻の8つの大字が置かれていた[11]。現在の鹿児島市高免町黒神町有村町古里町東桜島町持木町野尻町にあたる[12]

隣接する自治体

歴史

町村制施行から大正大噴火まで

1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い桜島の東半分にあたる湯之村、野尻村、古里村、有村、黒神村、高免村、瀬戸村、脇村の区域より北大隅郡東桜島村が成立した[2]。東桜島村役場は大字有村に置かれた[13]1897年(明治30年)4月1日には「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)によって北大隅郡が鹿児島郡に統合され、東桜島村は鹿児島郡のうちとなった[3]

大正大噴火による被害と復興・移住

大正大噴火以前の測量地図。有村には村役場を示す〇の地図記号がある。薄い灰色で描かれている影が大正大噴火後の地形である

1914年(大正3年)1月12日に桜島が爆発し、噴煙は高さ約1万メートルに及んだ(大正大噴火[14][7]。大噴火時点の東桜島村の人口は約8千人であった[13]。当時の東桜島村の行政施設としては有村に村役場・郵便局・巡査駐在所・尋常高等小学校があり、黒神に巡査が駐在しており、そのほか野尻・湯之・古里・黒神・高免に尋常小学校が設置されていた[13]

東桜島村長らは前日より確認されていた前兆現象について有村郵便局から鹿児島の測候所に問い合わせを行っていたが、測候所からは桜島は大丈夫である旨の回答があり、青年会と村当局が話し合いを行ったが避難は行わなかった[15][16]。結果として噴火発生後、村民らは火山灰軽石が降り注ぐ中避難することとなった[13]

有村にあった東桜島村役場から避難した村長らは準備していた緊急脱出用の舟を失ったことから村役場に置かれた公金を帆柱に浮かべて脇の海岸から垂水へ向けて泳いで避難しようとしたが、収入役書記が途中で溺死し、村長らは瀬戸の漁船によって救助された[17]。また、駐在所に勤務していた巡査や郵便局長、尋常小学校の校長は最後まで島にとどまり、残留者の救護にあたった[18]1月13日には火砕流が桜島東側に流出したことによって、幅360メートル水深75メートルであった瀬戸海峡が埋められ[7]1月30日にはそれまでの瀬戸海峡は地峡となり大隅半島と陸続きになった[4][5][6][7]。これにより有村・脇・瀬戸の3集落は溶岩に埋没して全滅した[19][20][9]。また、桜島の北東にある鍋山から流れ出した溶岩は有村や脇の集落を埋め尽くし[21]、同年の5月21日には溶岩が有村海岸に到達した[22]。東桜島村の大正大噴火による犠牲者は行方不明を含めて25名となった[13]

東桜島村役場が有村集落と共に埋没したことにより、同年の司法省告示第15号(「 鹿兒島縣鹿兒島郡東櫻島村戸籍役場火災ノタメ身分登記簿等燒失ニ付キ更ニ屆出及書類送付方」)、同省告示第16号(「 鹿兒島縣鹿兒島郡東櫻島村役場火災ノタメ出入寄留簿燒失ニ付キ出入寄留更ニ屆出方」)によれば村役場に保管されていた身分登記簿、戸籍簿、出入寄留簿などの書類も焼失した。その後村役場は湯之集落(現在の東桜島町)に移転した[23]

東桜島村は復興にあたり、村役場費を国庫からの補助を受け、教育費を郡費・県の無利息貸付に頼った。その他にも耕地復旧工事費も国庫からの補助を受けた[23]。また、移住も行われ国有地の無償提供が行われた指定移住地への移住者とその他への移住する任意移住地への移住者とを合わせて東桜島村では825戸が移住し、指定移住地へは519戸、3,325名が移住した[24]

大正大噴火から10年後となる1924年(大正13年)1月には東桜島村によって東桜島小学校(現在の鹿児島市立東桜島小学校)の敷地内に「桜島爆発記念碑」と呼ばれる石碑が建立された[25][26]。これは1914年大正3年)1月12日に発生した桜島の大正大噴火の教訓を後世に伝えるために建立されたものであり、碑文の内容から「科学不信の碑」として知られている[27][28]

昭和噴火による被害

1935年(昭和10年)9月より小噴火を繰り返しており、1939年(昭和14年)には黒神に新しい火口ができるなど活発な動きを見せていた桜島であったが[29]1946年(昭和21年)1月頃より噴煙活動を開始し[30]3月10日に南岳の東側山腹で噴火が発生した[31]。溶岩流は鍋山と権現山の間を抜け黒神河原に溶岩原を形成し[30]、黒神の集落を埋め尽くして4月5日には海岸まで溶岩が到達し[30][22]、海中に約2000メートル、最大幅2,000メートルにわたって溶岩が突入した[32][31]。この溶岩の流出は5月25日まで続いた[31]

3月31日には分流した溶岩が有村海岸まで溶岩が到達し[8]、溶岩は約1,000メートル程度海中に突入した[9]。これによって有村は半滅の被害を受けた[9]。また、この噴火によって送電線が切断され桜島全域が数か月にわたって停電した[33]

鹿児島市への編入

1950年(昭和25年)10月1日には東桜島村が鹿児島郡伊敷村とともに桜島の対岸に位置する薩摩半島にある鹿児島市に編入された[34]。同年10月18日に鹿児島県公報に掲載された鹿児島県の告示である「 鹿兒島市の一部大字の變更」により、東桜島村が鹿児島市に編入された10月1日に東桜島村にあった大字は以下のように変更が行われ、鹿児島市の町丁となった[12]

年表

教育

以下の学校一覧は鹿児島市に編入された1950年(昭和25年)時点のものである[36][37]

中学校

小学校

出身の著名人

脚注

参考文献

  • 内務省 (1914年). “内務大臣決裁書類・大正3年 大正3年1月桜島爆発に関する被害其の他の概況”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2021年4月14日閲覧。
  • 鹿児島新聞記者編 編『大正三年桜島大爆震記』桜島大爆震記編纂事務所、1914年。 NDLJP:951950
  • 鹿児島県『桜島大正噴火誌』鹿児島県、1927年。 NDLJP:1271933
  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-03.html 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 
  • 桜島町郷土誌編さん委員会『桜島町郷土誌』桜島町長 横山金盛、1988年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/sakurajima.html 
  • 宇平幸一、1994、「大正噴火以後の桜島の活動史」 (pdf) 、『験震時報』58巻、気象庁、NAID 40001075826
  • 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会、2012、「第2章 大正噴火の経過と災害」 (pdf)(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914 桜島噴火)、内閣府
  • 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会、2012、「第3章 救済・復旧・復興の状況」 (pdf)(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1914 桜島噴火)、内閣府
  • 井口正人, 中道治久, 小林哲夫, 岩松暉, 幸福崇, 田嶋祐哉, 黒岩賢彦, 上林嵩弘, 三田和朗, 竹林幹雄, 福島大輔、2019、「桜島の大規模噴火を考える」、『自然災害科学』38巻3号、日本自然災害学会、doi:10.24762/jndsj.38.3_279NAID 130007866142

関連項目