桂紅雀

桂 紅雀(かつら こうじゃく、1971年5月15日 - )は滋賀県滋賀郡志賀町出身の落語家。本名∶大江 一夫。所属事務所米朝事務所

かつら 紅雀こうじゃく
桂(かつら) 紅雀(こうじゃく)
結三柏は、桂米朝一門定紋である。
本名大江おおえ 一夫かずお
生年月日 (1971-05-15) 1971年5月15日(52歳)
出生地日本の旗 日本滋賀県滋賀郡志賀町大津市
師匠二代目桂枝雀
活動期間1996年 -
活動内容上方落語
所属米朝事務所

来歴

幼少期は当時の志賀町小野地区で育ち、真野川で魚を捕ったりして遊んでいた[1]芥川龍之介の小説『芋粥』に地元の高島が登場することや史跡の存在を知るようになって、湖西地区出身であることに誇りを持てるようになったという[1]

滋賀県立高島高等学校を経て酪農学園大学に進む。大学時代は落語研究会に所属した。2代目桂枝雀の落語を聞き、「登場人物が絵で浮かんでくる」と感嘆して、1995年夏より弟子入りを志願し、枝雀の全国の公演会を追い続けた[2]。紅雀によると、最初の大阪府四條畷市では会えず、青森県弘前市で初めて楽屋で面会し、千葉県市川市での楽屋で枝雀の落語の感想を提出するように指示されたという[3]。大学中退後、1995年9月18日に入門を許され、枝雀の最後の弟子となる。枝雀が弟子を取るのは桂む雀以来14年ぶりで、それまですべての弟子を住み込みの内弟子としていた枝雀も「学校のような型で」弟子を育てたいと、当初は通い弟子とした[4]。しかし、まもなく住み込みに変えている[4]。とはいえ、3代目桂南光の証言では、紅雀に対してはそれまでの「一言一句」の細かい指導ではなく、教えたのとは違う演じ方をしても「あのほうがおもしろいから」とそのままにしていたという[5]

1996年4月の安井金比羅会館「米朝落語研究会」で初舞台。1997年から枝雀がうつ病を再発させて休業し闘病生活に入ると、献身的に支えた[6]。枝雀が「還暦記念」として計画していた通算20日間の公演企画「枝雀六十番」では、弟子の出番は前座の紅雀のみ(10の演題を二度演じる形)とする予定だった[6]

2004年4月20日郵政記念日に、大津中央郵便局の一日局長を務めた[7][リンク切れ]

2007年夏ごろから体調を崩し実家で静養していた[要出典]

2009年9月13日に初の独演会をABCホールで開催。

得意ネタ

子ほめ」「七度狐」「いらち俥」など。

人物

剣道二段。競馬好きでもある。喫煙者である。

桂吉朝が胃ガン療養明けの高座で、主治医(執刀医)が紅雀によく似た風貌であった事を入院時のエピソードに絡めて「常に目がオドオドしている」「アイツは凄く慌て者なんですよ」と面白可笑しくネタにしているのがCD音源[8]に残っている。

出演番組

現在

過去

出演CM

代数について

  • 実は、本稿で挙げた紅雀よりも先に「紅雀」を名乗る落語家が存在していた[9]。初代桂枝雀の門下で紅雀が確認されており後に大正の半ばに初代桂小南のツテで上京しそのまま東京に居ついた[9]。最後は睦会所属。(? - 1937年7月15日享年不明[9]

脚注

参考文献

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、1989年、ISBN 458212612X
  • 上田文世『笑わせて笑わせて 桂枝雀』淡交社、2003年。 
  • 小佐田定雄『枝雀らくごの舞台裏』筑摩書房ちくま新書〉、2013年。ISBN 978-4-480-06736-4 
  • 笑福亭仁鶴桂南光桂文珍桂ざこば桂福團治笑福亭鶴瓶 著、小佐田定雄 編『青春の上方落語』NHK出版〈NHK出版新書〉、2013年12月。 
  • 戸田学『随筆 上方落語四天王の継承者たち』岩波書店、2013年。ISBN 978-4-00-025901-9 
  • 桂紅雀 - 米朝事務所公式プロフィール

関連項目

外部リンク

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