森達也

日本の映画監督、作家

森 達也(もり たつや、1956年昭和31年〉5月10日 - )は、日本のドキュメンタリーディレクター、テレビ・ドキュメンタリー・ディレクター、ノンフィクション作家[1]小説家明治大学特任教授[2]

もり たつや
森 達也
森 達也
2017年1月31日、『FAKE』のプレミアにて
生年月日 (1956-05-10) 1956年5月10日(67歳)
出生地日本の旗 広島県呉市
職業ドキュメンタリー作家、ノンフィクション作家、小説家
ジャンル映画、テレビ
配偶者山崎広子(ライター)
主な作品
A』/『A2
FAKE
i-新聞記者ドキュメント-
福田村事件
 
受賞
東京国際映画祭
日本映画スプラッシュ部門 作品賞
2019年i-新聞記者ドキュメント-
日本アカデミー賞
優秀監督賞
2023年福田村事件
その他の賞
日本映画プロフェッショナル大賞
監督賞
2016年FAKE
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概要

広島県呉市生まれ[3]海上保安官の父の転勤に伴い、引越しの多い幼少期を過ごす(広島→青森→新潟→石川→富山→新潟)[4]新潟県立新潟高等学校を経て、立教大学法学部を卒業[5]。大学では自主映画製作集団「パロディアス・ユニティ」に所属し、同サークルには黒沢清塩田明彦らがいた[6]

漠然と社会活動を恐れたため、就職活動はせずにモラトリアムとしてアルバイトを転々としつつ逃避のために7年間、関心が無かった演劇活動に打ち込む[7][8]。29歳の時、林海象の監督デビュー作『夢みるように眠りたい』に主演する筈だったが、森が入院したため代役として佐野史郎が出演し、佐野の演技力と作品のヒットの結果で役者を諦め、就職活動を始め、最初に広告代理店に就職[8]。その後も職を転々とし、不動産会社[8]商社[7]、そして1986年テレビ番組制作会社へ転職[7]。後にフリーになる[7]

1992年ミゼットプロレスのテレビドキュメント作品『ミゼットプロレス伝説 〜小さな巨人たち〜』でデビュー[9]

広報副部長荒木浩を中心にオウム真理教信者達の日常を追うドキュメンタリー映画『A』を公開[9]ベルリン国際映画祭に正式招待される[7]。2001年には続編『A2』を発表[9]山形国際ドキュメンタリー映画祭にプレミア出品され、市民賞・審査員賞受賞[1]

一方、テレビでは、フジテレビNONFIX」枠で、秋山眞人、堤裕司、清田益章らエスパーを職業とする者たちの日常をとらえた『職業欄はエスパー』(1998年)[10]、他の生物を犠牲にして生きる人間の矛盾を描いた『1999年のよだかの星』(1999年)[11]、『「放送禁止歌」〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜』(1999年[12]など、タブーから目をそらさない姿勢で取り組んだドキュメンタリー作品を続けて制作[13]

2014年に全国的な騒動に発展した佐村河内守の「ゴーストライター問題」を題材に映画化することとなり、同年秋から関係者への取材や撮影を極秘裏に進行させ、2016年に『FAKE』を劇場公開した。製作中の報道では、佐村河内や新垣隆の見方や関係がひっくり返るかもしれないとされた[14]

エピソード・主張

  • 立教大学時代は映画サークル「立教SPP」に所属[15]。このサークルには黒沢清塩田明彦らがいた[15]。同時期、俳優を志し劇団青俳付属俳優養成所に入所[16]。また、黒沢や石井聰亙の映画にも出演した[15]
  • 映画監督になるにはどうしたらいい?」という質問に「愚問だ。映画監督になりたいなら、既に自ら行動して映画を作っているはず。自分の体から溢れ出る熱みたいなものが無ければ、人の心を動かす作品なんて作れるはずがない」と回答。
  • 大学を卒業しても就職せずに、芝居をしながらアルバイトを転々としていた。当時について、モラトリアムと自己暗示し、「社会に出るのが怖かったんだと思います。社会参加する勇気がなかった。それをなんとか引き延ばそうとしていたんだろうなっていう気がしますね。」と語っている[8]。社会に出ない理由づけとして、「芝居やってるから」って自分に言い聞かせていただけで芝居自体に夢中では無かった、先の事を考えないようにしていたと述べている。そんな中で借金ばかりで家賃滞納で追い出され続ける年収60万円ほどの生活であったが、友人で有名な映画監督になる前の林海象に主役と人集めを依頼されたが、主役の森が撮影前に入院してしまった。しかし、自身の主役代役を務めた佐野史郎のために作品が大ヒットしたことで芝居の才能がないとし、7年続けていたフリーターを辞めることを決意する。一人目の妻はその時に入院してた時に知り合った看護師で、29歳の当時はいい機会だから定職でも就こうかなと結婚し、仕事を転々としながら二人の子供を儲けた。以降に今の仕事をしようとしたが、二人目生まれたばかりと悩んでいた[8]。再婚した妻はライターの山崎広子。
  • 2004年に発表したノンフィクション『下山事件(シモヤマケース)』において「彼」と匿名で登場する取材協力者が、事件に関わる自動車の車種など著者である森に詳細に語る部分が記されていた[17]。2005年7月、当の「彼」である柴田哲孝が、『下山事件 最後の証言』(祥伝社)を実名で発表。書中で森の書いた証言部分は事実ではないと指摘した[18]。森は2006年の『下山事件』の文庫化に際し「付記」の中で、「こんな場合、おおむね語られた人よりも語った人の記憶のほうが正しい」「つまり僕は圧倒的に分が悪い」「この本に記したように柴田から聞いた記憶があるけれど、それは糺されねばならないだろう」と、ほぼ柴田の指摘を認め、あくまでもミスに過ぎず、意図的な捏造ではないとも述べ、記憶通りに書いたことを理由に、本文自体は変更せず「謝罪はしない。なぜなら自分が間違ったことをしたとは思っていない」と述べ、この付記を含めて、評価は読者であるあなたがすることなのだから、と結んでいる[19]
  • 2013年に従軍慰安婦について、「多くの韓国人女性が、自分たちは強制的に連行されたと訴えている。ならば現場レベルでは(国家とか組織とか個人とか多少とか関係なく)絶対に強制はあった。文書や資料が見つかっていないことだけを理由にして、国家は関与していないとか軍は組織的に関わっていないとの言説は成り立たない」と主張している[20]
  • 2005年の『言論統制列島』では「僕は、思想・信条から自由でありたいというか、むしろ特定の思想・信条やイズム(主義)にどうしても埋没できない。だからね、左でも右でも、まあ、どっちでもいい」「マルクスなんか読んだこともない」と発言している[21]。一方では護憲派を広言しており、2016年選挙権が18歳に引き下げられた際にコメントを求められたとき、「(自民党に投票するくらいなら投票を)棄権して欲しい」と発言している[22]
  • 神戸連続児童殺傷事件の加害者「元少年A」が出版した『絶歌』について、被害者遺族が「手記出版されたくない」と感じるのは当たり前だが「出版をやめさせて本を回収すべきだ」という意見に対しては言論や表現を封殺してよいのかとの疑問を感じる。論理も大事だと訴えたい。禁書焚書を生む社会が個人に優しい社会とは思えない。出版に際し遺族の了解を得るべきだったとの意見もあるが、「そうすべきだった」とは言いたくない。遺族の事前了承を出版が必要とする社会ルールにすれば、加害者の経験や思いがブラックボックスに入ってしまう可能性がある。「意味のある本だから出版されるべきだ」ではなく、「多くの人が納得できる意味づけがなければ出版されるべきではない」という空気が強まることが心配と語っている[23]

評価

  • 藤井誠二によると、藤井が佐木隆三門司の自宅を訪ねると、佐木に「森達也と君は友だちらしいな」と怪訝な顔をされ、森は麻原裁判に一度しか来ていないのに本を書いているのがけしからん、だから森は信用できない、ノンフィクションを資料と主観だけで書くのはダメなんだ、と言われたことがあるようである。[24]

オウム真理教関連

  • 2010年出版の『A3』(集英社インターナショナル)で第33回講談社ノンフィクション賞受賞。この賞に対し、日本脱カルト協会代表理事の西田公昭や弁護士の滝本太郎、ライターの青沼陽一郎らは、「松本死刑囚からの指示を認定した確定判決にほとんど触れず、ノンフィクションとは言えない」と批判し、2011年9月1日付で講談社に抗議書[25]を郵送し、9月2日に記者会見を行った。滝本太郎は2012年にブログにて、オウム真理教教団の暗部はみせずにつまりは支援する映画「A」につき、教団から「映画A推進委員会」というダミー団体まで作ってもらっていた森達也の罪と、全く別の捏造報道を批判したためにオウム真理教関連ですら自身を出禁にしているNHKが坂本弁護士事件発覚後も森達也を今までどおり出演させてることを批判している[26]
  • 前述の抗議書に対して森は『』で反論し公開論争を呼び掛け『創』が滝本太郎に提案したが、経過について行き違いがあり[27]、滝本は討論する意義はないとして応じず[28]、森も黙殺するといって議論にならなかった[29]
  • 2018年6月4日に立ち上げ記者会見を行った「オウム事件真相究明の会」では、呼びかけ人として名前を連ねた[30]。オウム真理教については、教祖の麻原彰晃(2018年7月6日死刑執行)に対する確定判決で、「被告人は、東京に大量のサリンを散布して首都を壊滅しその後にオウム国家を建設して自ら日本を支配することなどを企て、ヘリコプターの購入及び出家信者によるヘリコプターの操縦免許の取得を図るとともに、大量のサリンを生成するサリンプラントの建設を教団幹部らに指示したものというべきである」という事実認定がされているが[31]、同じく呼びかけ人の雨宮処凛によれば、森はこの記者会見で、「こだわる理由ふたつです。ひとつは動機がわからない」、「動機がわかんないんですよ。動機が語れるのは麻原だけです。でも彼は一審途中から完全に精神的に崩壊したと僕は思ってます。本来精神鑑定やるべきでした。でも誰もそれを言い出せなかった」と述べた[32]。森達也はその後も、「事件を解明するうえで動機は根幹だ。多くの人は地下鉄サリン事件をテロと言い添えるが、テロは政治的目的が条件だ。暴力的行為だけではテロではない。動機がわからないのならテロとは断言できない」と書いている[33]

受賞歴

2024年

映像作品

劇場映画

TVドキュメンタリー

  • ミゼットプロレス伝説 〜小さな巨人たち〜(1992年9月30日、フジテレビ・NONFIX)企画・プロデューサー:森達也/ディレクター:野中真理子
  • ステージ・ドア(1995年 フジテレビ)
  • 教壇が消えた日(1997年11月25日、フジテレビ・NONFIX)
  • 職業欄はエスパー(1998年2月24日、フジテレビ・NONFIX)
  • 1999年のよだかの星(1999年10月2日、フジテレビ・NONFIX)
  • 放送禁止歌 〜歌っているのは誰? 規制しているのは誰?〜(1999年11月6日、フジテレビ・NONFIX)
  • ドキュメンタリーは嘘をつく(2006年12月31日、テレビ東京) - 企画・監修
  • 知るを楽しむ「私のこだわり人物伝」愛しの悪役レスラーたち 昭和裏街道ブルース(2008年7月、全4回、NHK教育テレビ) - 講師

TVドラマ

出演

映画

ウェブ番組

著書

単著

  • 『「A」撮影日誌―オウム施設で過ごした13カ月』現代書館、2000年6月。ISBN 4768476872 
  • 『放送禁止歌』解放出版社、2000年7月。ISBN 4759254102 
  • 『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』角川書店、2003年8月。ISBN 4048838288 

共著

対談集

  • 『世界と僕たちの、未来のために 森達也対談集』作品社、2006年1月 ISBN 4861820669
  • 『豊かで複雑な、僕たちのこの世界 森達也対談集』作品社、2007年8月29日 ISBN 4861821436

脚注

参考文献

  • 森達也・安岡卓治『A2』現代書館、2002年4月10日。ISBN 978-4768476826 
  • 森達也『下山事件』新潮社〈新潮文庫〉、2006年11月。ISBN 978-4101300719 

関連項目

外部リンク