浮世絵類考

浮世絵師の伝記や来歴を記載した美術史料

浮世絵類考』(うきよえるいこう)は、江戸時代浮世絵師の伝記や来歴を記した著作で、浮世絵師の便覧とも言える。浮世絵研究の基本的な史料である。寛政年間に大田南畝が著した原本に、複数の考証家が加筆して成立した。

成立事情

  • 寛政2年(1790年)頃、大田南畝が浮世絵師に関する考証を行う[書誌 1]
  • 慶応4年(1868年)、竜田舎秋錦が『新増補浮世絵類考』(127名収録)を編集した[書影 3]

*以上の典拠は仲田勝之助校訂『浮世絵類考』(岩波文庫、1941)の解説による[書誌 6][書影 4]

*中野三敏は『太田南畝全集』「浮世絵考証」の解題で、南畝原撰と思われる部分に、寛政6年から7年が活動期とされる写楽の記事を載せていることから、この部分の成立を寛政7年以降としている。なお、岩波文庫を見るかぎり、南畝原撰部の成立を寛政2年頃とする根拠は明示されていない(「近来の研究では」と書くのみである)。

構成

岩波文庫版の構成は次のとおりである。

  1. 大和絵師浮世絵之考
  2. 吾妻錦絵之考
  3. 岩佐又兵衛以下の各絵師、232名
  4. 附録 古今大和絵浮世絵の始系

諸本があるため、以下のマークで示している。

  • 【増】『増補浮世絵類考』
  • 【追】 山東京伝の追校
  • 【新】『新増補浮世絵類考』
  • 【故】『故法室本』
  • 【曳】 曳尾庵本
  • 【三】 式亭三馬加筆

記述の例

一例として写楽の項[1]を引用する。

写楽斎

【曳】東洲斎写楽
【新】俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也。

これは歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而止ム。

【曳】しかしながら筆力雅趣ありて賞すべし。
【三】三馬按、写楽号東周斎、江戸八町堀に住す、はつか半年余行はるゝ而巳。      (以下略)

大田南畝が書いた原文に近いのが「これは歌舞妓役者の(…)一両年に而止ム」の部分である。

出典

書影

書誌