渡会喬久

渡会 喬久(わたらい たかひさ)は、江戸時代後期の大和国芝村藩家老・画家。通称は采男。

 
渡会喬久
時代江戸時代後期 - 明治時代
生誕文政8年11月17日1825年12月26日
死没明治29年(1896年7月10日
別名通称:采男、雅号:雪山
主君織田長恭長易
大和芝村藩
氏族織田氏(長益系長政流)→渡会氏
父母父:織田長宇
兄弟織田長恭、萩原言偏、荻原徳拠、喬久織田信順正室など計7男6女
養子:易簡
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生涯

文政8年(1825年)11月17日、芝村藩主・織田長宇の七男として大和芝村において誕生。

庶子であることから渡会姓を与えられて、芝村藩士になった。知行は70石、後に80石になった。芝村藩の用人や中老職として、芝村藩主織田長恭長易父子を補佐し、藩政に参加した。俳句南画を嗜み、雪山などの雅号を用いた。芝村周辺では南画の三筆として知られた。

明治29年(1896年)7月10日、死去。享年72。養子・渡会易簡は、甥の藩主長易の次男である。