滝平二郎

日本の版画家・きりえ作家 (1921-2009)

滝平 二郎(たきだいら じろう、1921年大正10年)4月1日 - 2009年平成21年)5月16日)は、日本の版画家・きりえ作家である。日本美術会委員、日本児童出版美術家連盟会員、日本きりえ協会代表委員。

たきだいら じろう

滝平 二郎
生誕1921年4月1日
日本の旗 日本茨城県新治郡
死没 (2009-05-16) 2009年5月16日(88歳没)
日本の旗 日本千葉県流山市
国籍日本の旗 日本
職業版画家・きりえ作家・絵本画家
著名な実績絵本『八郎(福音館書店)』『花さき山(岩崎書店)』『モチモチの木(岩崎書店)』(すべて斎藤隆介・作)など多数
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来歴

※四国新聞記事以外の出典は『滝平二郎望郷編』[1]

茨城県新治郡玉川村(現:小美玉市)に生まれる。実際には4月10日生まれだが、父親が早く学校に入れたいために4月1日と繰り上げて誕生日を届け出たため、入学が1年繰り上がった。

茨城県立石岡農学校(現:茨城県立石岡第一高等学校)在学中は風刺漫画に関心を寄せていた。1938年に農学校を卒業し、同年若林一男や高林宏一らと漫画研究同人展を開くが、卒業後は木版画へと向かった。

1941年、徴兵検査で乙種合格となる(応召免除)。翌年、造形版画協会第6回展に初出品する。

1943年、豊橋第一陸軍予備士官学校に入学。見習士官(少尉)として飛行第20戦隊(隼戦闘機部隊)に配属された。1944年3月、大阪から、北海道沼ノ端へ戦隊が移動する。8月、沖縄本島読谷飛行場へ部隊が再度移動した。このとき、兵員輸送係将校に任じられる。

1945年にアメリカ軍が沖縄に上陸して沖縄戦に突入、敵の攻勢を受けて本島北部へと逃れ、その後山中を彷徨する。8月3日、食料を探しに村へ降りたところ捕虜となる。

1946年5月に復員し、日本美術会に入る。1948年に日本新版画懇話会が発足すると、メンバーとなった。

1955年頃に東京都豊島区に移り住み、木版画制作のかたわら、装幀や挿画など本格的に出版美術の仕事を始める。1967年に、斎藤隆介と組んだ絵本『ベロ出しチョンマ』を刊行[2]。その後も齋藤とは複数の絵本を世に送る。

1968年、第6回国際版画ビエンナーレ展に招待出品する。1970年から1977年にかけ、朝日新聞日曜版にきりえ作品を連載した。

2005年、つくばエクスプレス守谷駅のコンコース内に設定されたステンドグラス「日本のふる里 筑波夕照とさくら」の原画・監修を手掛けた[3]

守谷駅のステンドグラス

2009年5月16日、癌により千葉県流山市の病院で死去(満88歳没)[2]

2016年、石岡駅自由通路2階に滝平の作品「ふるさとの四季」4点をもとにしたステンドグラスが設置された[4]

2022年6月11日から長野県岡谷市イルフ童画館にて「滝平二郎展〜静謐なひととき〜」開催[5]

主な作品

自著

  • はだかの王さま 金の星社 1972
  • きりえの世界 河出書房新社 1972
  • 滝平二郎きりえ画集 1 - 7集 講談社 1972 - 1978
  • 滝平二郎の世界 すばる書房 1975
  • 滝平二郎きりえの四季 1 - 8 講談社 1976 - 1977
  • 里の四季 講談社文庫 1977
  • 滝平二郎版画集 河出書房新社 1977
  • 滝平二郎望郷篇 美術出版社 1979
  • 滝平二郎作品集 全15巻 岩崎書店 1984 - 1985
  • 母のくれたお守り袋 随筆集 岩崎書店 1991
  • ふるさとの風と雲 滝平二郎画集 岩崎書店 1994 ISBN 978-4265944323

挿絵(斎藤隆介)

挿絵(その他)

賞歴

脚注

外部リンク