確率

確率(かくりつ、: probability)とは、偶然起こる現象に対する頻度(起こりやすさの指標)のことである。確率の定義は、確率の古典的な定義確率の公理頻度主義統計学の3つがある。

どのような現象でも確率をもつとはいえない。数学的にも、確率をもたない集合(非可測集合)や、解釈により確率の数値が異なる問題(ベルトランの逆説など)がある。

理論・結果に基づいたこれらの「客観確率」に対し、個人または特定の集団にしか真偽を判断できない「主観確率」が提唱されている。

(客観)確率の導入は、確率分布を通して、サービスの信頼度などといった、推定・検定に応用されている。

2つのサイコロを振ったときの出た目の和の確率

概要

確率は現在では数学の一概念であり、確率論として組合わせ数学解析学と深くかかわりのある数学の一分野と認識されている。元々は、賭博における賞金の配当率を求める過程で考案されていった[1]。確率を求める問題では、起こりうる結果が同様に確からしい場合と、起こりうる結果が無数にあり、解析学を利用して考察する問題、ベイズ確率のように、統計学的な観点で確率を考察する問題に大別される。

日本における用語の歴史

日本においては、確率論明治になって陸軍の射撃教程として伝えられた[2]。ただし、日本最初の確率の本は『公算学・射撃学教程』(陸軍砲兵射撃学校、明治24年(1891年))であり、フランス陸軍の射撃教程にある: probabilité は日本語では当初は「公算」と訳された。この本では現在でも使われている「事象」「独立」などが用いられている。

数学用語の第一人者である藤沢利喜太郎は、1889年(明治22年)の『数学用語英和対訳字書』で、英語の probability を「確からしさ」と訳している。1908年(明治41年)の、数学書として初の確率論の本である『公算論(確カラシサノ理論)』(林鶴一、刈屋他人次郎)では、「確からしさ」では長いし、「蓋然率」「確率」などの新語も一般には通じにくいから、慣れている「公算」を採用した、という旨が冒頭に記されている。

後に林は、東京物理学校雑誌第433号(1927年(昭和2年)12月)の『公算論上ノ二ツノ古典的問題』の中で、次の旨を述べている:

「公算の公は公平の公であって公算は平均算という意味である。最近では確率が使われている。私の中等学校教科書でも確率を採用している。確率の上下に語を付けるととても発音しにくい。公算は残しておきたい」

他にも「蓋然」「適遇」「近真」「多分さ」等の候補があった[3]

1926年に「確率」を初めて冠した本『確率論』(渡辺孫一郎、文政社)が登場し、1928年(昭和3年)に『確率論及其ノ応用』(亀田豊治朗、共立社)などが出版され、この頃から「確率」という訳語が定着するようになる。つまり、「確率」という用語が巷に登場するようになるのは昭和になってからである。

首都大学東京で経営科学を専門とする中塚利直教授は、藤沢利喜太郎の訳語であると推定している[4]中国語では「概率」、「機率」または「或然率」と訳している。

歴史

16世紀のジェロラモ・カルダーノなどによって初等的な確率の計算は行われてきたものの、確率論という理論が誕生したのは17世紀、ブレーズ・パスカルピエール・ド・フェルマーの往復書簡に始まる[5]。その後、クリスティアーン・ホイヘンスが研究を進め[6]ヤコブ・ベルヌーイ大数の法則を証明し[7]アブラーム・ド・モアブル正規分布を発見する[8]など理論は徐々に進展していき、19世紀初頭にはピエール=シモン・ラプラスによってこれらが体系化され、古典確率論が完成した[9]

20世紀に入ると、アンドレイ・コルモゴロフが『確率論の基礎概念』(1933年)において公理的確率論を確立した[10]

用語の定義

ラプラスの「確率の哲学的試論」の解説で、内井惣七は帰納的確率と統計的確率に分類している[1]

日本産業規格では、確率を「ある試行を同じ条件の下で長く続けたとき,一定の結果が生起する相対頻度の極限値。より一般的にはランダムな事象に割り当てられている [0, 1] の範囲の実数値と定義される。一般に事象 A の確率を Pr (A)で表す。」参考として「ある事象が生じるという信念の度合いを表す主観確率という概念も存在する。」と定義している[11]

数学における確率

集合Ωを考える。確率とはそのΩの任意の部分集合x(事象と呼ばれる)に対して、1以下の正の数を与える関数P(x)のことである。P(Ω)=1であり、加算性が成立つ必要がある。すなわち、P(A)は全事象Ωのうちの事象Aの割合を表す。P(A∩B)はAかつBの割合であり、これをP(B)で割ったものは、Bの中でAを満たすものの割合であり、条件付き確率と呼ばれP(A|B)=P(A∩B)/P(B)と書き表される。数式化すると分かりづらいが、理解のためには、全事象が100個あり、事象Aが30個、事象Bが20個、事象A∩Bが10個などと言う場合を考えてみると良い。

確率と観測

試行においては、結果は実験者・観測者の作為によらないと考えるため、事象には決まった頻度があると考える。たとえば、コインを無作為に投げることにより、表の出る頻度と裏の出る頻度の比はそれぞれ50%である。これが確率である。これについて、多世界解釈では可能性の数だけ世界が分岐するという解釈がなされる。

量子論と確率

量子論では、確率という概念は決定的に重要となる。古典物理学の世界では、事象は決定論的であるが、量子論の世界では、事象は決定論的でなく確率的に決まるだけである。

量子論の世界で、事象が確率的に決まる理由はよく分かっていない。事象が確率的に決まることは、実験結果から分かったことである。分かっていることは、確率が確率振幅の二乗に比例することのみであり、それは量子力学の基礎原理の一つである。別の何かの原理から導くことはできない。

哲学と確率

哲学的には、確率を人間の限界と関係づけて様々な立場がある。例えば量子論において、量子状態物理量の測定に対して測定値の確率分布を与えるが(ボルンの規則)、古典力学のように測定値の決定論的な振る舞いを与えることはない。古典力学において系の振る舞いは決定論的であり、理想気体ブラウン運動のように系が確率的に振る舞うのは、観測者がその系に対して詳細な知識を持っていないためである(逆にラプラスの悪魔のような存在にとっては系は常に決定論的に振る舞う)という理解があった。これは、人間が何が分かって何が分からないかという哲学的な立場を物理現象の説明に当てはめようとした見解であった。アルベルト・アインシュタインの言葉に「サイコロを振らない(: Der Alte würfelt nicht.[注釈 1]」がある。量子力学の基礎に関して、古典論と同様に系の振る舞いを完全に決定する隠れた変数理論が存在するかという議論がある。局所実在論を支持するような隠れた変数理論に関して、ベルの不等式が成り立つことが知られているが、アスペの実験など様々な実験により、ベル不等式が破れることが検証されており、一連の実験結果は隠れた変数理論を支持していない。そのため、前述のアインシュタインのような主張は、実験的な支持のない哲学的な主張と見なされている[1]

客観確率と主観確率

確率(客観確率)を拡張してできた、主観確率という概念もある。

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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