紀元前461年

紀元前461年(きげんぜん461ねん)は、ローマ暦の年である。

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紀元前461年
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当時は、「ガッルスとコルヌトゥスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元293年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前461年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

できごと

ギリシア

  • アテナイのエピアルテースとペリクレスは、ついにキモン陶片追放に同意した。
  • エピアルテースは、ペリクレスの協力を得て、アテナイにおけるアレオパゴス会議の権力を弱め、その権力を500人評議会に移した。裁判官には賃金が支払われるようになり、全ての市民が自分の名前を加えられるリストから抽選で選ばれるようになった。
  • エピアルテースは、ボイオーティアのアリストディクスに暗殺された。
  • キモンの追放とエピアルテースの暗殺により、ペリクレスはアテナイで最も影響力のある雄弁家となった。

共和政ローマ

  • 前年先送りにされた執政官の職権を制限する法案が再提出され、プレブスパトリキの小競り合いが生じるなど混乱を招いたが、法案は成立しなかった。

中国

  • が大茘を攻撃し、その王城を奪った。

誕生

死去

  • エピアルテース - アテナイの急進民主派の指導者

脚注

注釈

出典

関連項目