菊理媛神

菊理媛神、又は菊理媛命(ククリヒメのカミ、ククリヒメのミコト、キクリヒメのミコト)は、日本[1][2]加賀国白山[3]や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる[1][4][5]

白山

神話上の菊理媛

日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝(第十の一書)に一度だけ出てくるのみである[6][7]

【原文】

 及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。

 時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。

 是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。

【解釈文】

 その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。

 このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっています」と。

 このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。

神産み伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した[1][8]。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる[9][10]。そこに泉守道者が現れ[11][12]、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った[13][14]。つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある[15][13]。菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない[16][17]

この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。夜見国で伊弉冉尊に仕える女神とも[13][18]、伊奘諾尊と伊弉冉尊の娘[7]、イザナミが「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した黄泉神(よもつかみ)[19][20][21](イザナミ以前の黄泉津大神)[22]、伊弉冉尊の荒魂(あらみたま)もしくは和魂(にぎみたま)[7]、あるいは伊弉冉尊(イザナミ)の別名[23][24][25]という説もある。いずれにせよ菊理媛神(泉守道者)は、伊奘諾尊および伊弉冉尊と深い関係を持つ[23][26]。また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン巫女)の女神ではないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる[27]

神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる[1][28]菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも[29]、また菊花の形状からという説もある[28]。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある[30]。他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜(くく)り/潜(くぐ)る」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある[31][24]。白山神社(石川県鳳珠郡能登町字柳田)では、『久久理姫命(久々利姫命)』と表記している[32][33]


祭祀上の菊理媛

白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である白山比咩神社石川県白山市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている[34]。白山は霊山山岳霊場)として、北陸地方を中心に信仰を集めていた[35]

14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓白山妙理権現顕座。」とある。

文明元年(1469年)に吉田兼倶が撰したとされる二十二社註式には、「扶桑明月集云、・・・客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」とあり、『大日本一宮記』内には菊理媛が白山比咩神社の上社祭神として書かれている。

その後の江戸時代の書物において白山比咩神と菊理媛が同一神と明記されるようになった[36]

なお、神仏習合のなかでは白山比咩神は白山大権現白山妙理権現[37]、または白山妙理菩薩とされ、本地仏は十一面観音とされた他[38]、様々な異説があった[39]

現在の白山比咩神社は、菊理媛神(白山比咩神)を主祭神とし[40]、伊奘諾尊・伊弉冉尊も共に祀られている[41][42]

『玉籤集』は、熊野本宮大社(本宮)で菊理媛神(伊弉冉尊)が祀られていると記述している[23][43]

脚注

参考文献

  • 倉野憲司 編『古事記』岩波書店〈岩波文庫〉、1963年1月。ISBN 4-00-300011-0 
  • 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店〈岩波文庫〉、1994年9月。ISBN 4-00-300041-2 
  • 宇治谷孟『日本書紀(上) 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年6月。ISBN 4-06-158833-8 
  • 岡田荘司〔編〕『日本神道史』吉川弘文館、2010年7月。ISBN 978-4-642-08038-5 
  • 金井南龍「第二章 埋れた白山王朝と神々」『神々の黙示録 謎に包まれた神さま界のベールを剝ぐ』徳間書店、1980年4月。 
  • 西郷信綱「第六 黄泉の国、禊」『古事記注釈 第一巻』平凡社、1975年1月。 
  • 次田真幸『古事記(上)全訳注』講談社〈講談社学術文庫〉、1977年12月。ISBN 4-06-158207-0 
  • 平田篤胤著・子安宣邦校注『霊の真柱』岩波書店〈岩波文庫〉、1987年11月。ISBN 4-00-330462-4 
  • 町田宗鳳『山の霊力 日本人はそこに何を見たか』講談社〈講談社選書メチエ〉、2003年2月。ISBN 4-06-258261-9 
  • 松村一男・森雅子・沖国瑞穂・編『世界女神大事典』原書房、2015年9月。ISBN 978-4-562-05195-3 
  • 矢部善三 著、千葉琢穂 編『諸神・神名祭神辞典』展望社、1991年3月。 

関連項目

外部リンク