萩原健一

日本の俳優、歌手 (1950-2019)

萩原 健一(はぎわら けんいち、1950年〈昭和25年〉7月26日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本俳優歌手ザ・テンプターズ及び、PYGボーカル[注釈 1]

はぎわら けんいち
萩原 健一
萩原 健一
本名萩原 敬三(はぎわら けいぞう)
生年月日 (1950-07-26) 1950年7月26日
没年月日 (2019-03-26) 2019年3月26日(68歳没)
出生地日本の旗 日本埼玉県北足立郡与野町
(現・同県さいたま市中央区
死没地日本の旗 日本東京都
国籍日本の旗 日本
身長174 cm
血液型O型
職業俳優歌手
ジャンル映画テレビドラマ
活動期間1966年 - 2019年
配偶者小泉一十三(1975年 - 1978年)
いしだあゆみ(1980年 - 1984年)
島田由紀(1996年 - 2006年)
冨田リカ(2011年 - 2019年)
主な作品
テレビドラマ
太陽にほえろ!
傷だらけの天使
前略おふくろ様
祭ばやしが聞こえる
豆腐屋直次郎の裏の顔
琉球の風
課長サンの厄年
外科医柊又三郎
冠婚葬祭部長
元禄繚乱
利家とまつ
いだてん~東京オリムピック噺~
映画
八つ墓村
影武者
誘拐報道
恋文
激動の1750日
居酒屋ゆうれい
226
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演男優賞
第6回誘拐報道
第9回恋文』『カポネ大いに泣く
瀬降り物語
その他の賞
報知映画賞
主演男優賞

第13回『居酒屋ゆうれい
キネマ旬報ベスト・テン
最優秀主演男優賞

第48回『青春の蹉跌
日本映画批評家大賞
審査員特別賞男優賞

第19回『TAJOMARU
テンプレートを表示

埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。本名は萩原 敬三(はぎわら けいぞう)。ニックネームは「ショーケン」[注釈 2]。血液型はO型。所属事務所はKR株式会社[注釈 3]

生涯

1950年(昭和25年)、鮮魚店非嫡出子として生まれる。東京都荒川区聖橋中学校・高等学校(現在は廃校)在学中、埼玉県大宮市でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンドザ・テンプターズのヴォーカリストとして、16歳だった1967年「忘れ得ぬ君」でデビュー[2][3]。高校は2年生の時に中退している[4]。翌1968年には「エメラルドの伝説」、「神様お願い!」、「おかあさん」(コーラス・ハーモニカ担当)など、次々と大ヒット曲を飛ばして人気を得た[2]。テンプターズは萩原自身が述懐しているところによれば、デビュー前はブルース・バンドだった。中川三郎ディスコティークの出演バンドだったこともある。「今日を生きよう」は、グラス・ルーツがイタリアのミュージシャンの曲をカバーし、さらにその曲をテンプターズがカバーしたものである。また、テンプターズはローリング・ストーンズの影響を受けていた。「神様お願い」はメンバーの松崎由治作詞・作曲[5]のオリジナル曲であり、ストーンズから受けた影響が出ている。この時期、女優の江波杏子と交際した。

テンプターズ解散後した1970年に、井上堯之大野克夫沢田研二岸部一徳大口広司らでPYG(ピッグ)を結成する。各種ロックフェスティバルやテレビ出演などもこなしたが、音楽活動よりも映画監督を志すようになる[6]

1972年に製作された松竹映画約束』(斎藤耕一監督)の製作現場に、サード助監督として参加した。だが、主演俳優・中山仁が降板したため、代役に抜擢される[7]。何人もの女優に出演を断られたが、最終的に岸惠子が共演を承諾した。この演技で高い評価を得て、俳優へと本格的に転身[7]。同年のテレビドラマ『太陽にほえろ!』の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける[6]

1972年12月をもって音楽活動を停止(これによりPYGは事実上解散)。1974年には神代辰巳 とのコンビによる映画『青春の蹉跌』でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。続いて日本テレビ系テレビドラマ傷だらけの天使』(1974-75年)、倉本聰脚本の『前略おふくろ様』(1975-76年)と連続してドラマ作品に主演し、後者は続編も制作された。

1975年には初のソロ・アルバム『惚れた』をリリース。ソロ・アルバムの発表を契機として音楽活動を再開、「お前に惚れた」、「大阪で生まれた女」(1979年)、柳ジョージ&レイニーウッドがバックを担当したライヴ盤『熱狂雷舞』を発表。また同年モデルの小泉一十三と結婚し女児をもうけたが3年で離婚している。

俳優としても脚本家・橋本忍の指名を受け松竹映画『八つ墓村』(1977年)や黒澤明の『影武者』(1980年)などに出演。誘拐犯を演じた『誘拐報道』(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)『もどり川』(1983年カンヌ国際映画祭受賞作品)、作家・連城三紀彦が萩原をモデルにしたという直木賞作品を自身で演じた『恋文』(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)などに出演した。

1980年にいしだあゆみと結婚[6]、1984年に離婚発表。1983年には映画『竜二』の主題歌「ララバイ」を歌唱[8]。1983年1月インドカルカッタでチャリティコンサートを行う。同年4月20日、大麻不法所持にて逮捕され、懲役1年・執行猶予3年の有罪判決となり、1年間に渡って全ての活動停止を余儀なくされた[6]。復帰後も俳優業と平行して音楽活動を行い「愚か者よ」(1987年)のヒット曲を出した。

1984年、飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害罪で逮捕された[6]。1985年11月には、女優・倍賞美津子との2ショット写真を週刊誌に撮られて激昂。カメラマンと編集者に暴行し、書類送検された[6]。この時期、バイオリニスト・前橋汀子と交際した。

1985年に1度ラスト・ライブをおこなったが、1990年にもコンサートを開き、俳優業と歌手を併行して活動をしていた。1993年に四国八十八箇所をお遍路し、1400-1600キロメートルを37日という驚異的な早さで踏破した。1990年代のドラマ、映画では東芝日曜劇場課長サンの厄年』、山口智子室井滋と共演した『居酒屋ゆうれい』(1994年/報知映画賞高崎映画祭主演男優賞)、ドラマ外科医柊又三郎』(1995年)などに出演した。

2004年10月、再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕された[6]。また、監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため途中降板となった主演映画『透光の樹』の前払いの出演料半額分(750万円)の返還をプロデューサーから求められた際に、「一方的に降板させられた」として拒否[6]。さらにプロデューサーに電話をかけ、国税庁警視庁・実在する暴力団の名を挙げて「必ずやっつけますから」と脅迫する言葉を留守電に残し、出演料全額分(1500万円)の支払いを要求したことで、同年11月に製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年の2月に再び逮捕された[6]。当初脅迫電話をしたことは否定していたが、証拠として録音された音声が出されると、これを認めた[9][10][11]

この恐喝事件で2005年6月に東京地裁で懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受け、しばらく活動休止[6][12]。しかし2005年7月にテレビ番組内で、「大麻解禁にしましょうか」と発言し、その後、厚生労働省から注意されたため、「ジョークのつもりだった」と釈明した[6]

1996年にはヘアメイク・アーティスト、由紀と3度目の結婚をしたが、10年後の2006年に離婚している。萩原によればこの結婚には、親族から猛反対があったという。2008年に自叙伝『ショーケン』、ボーカリストとしてゲスト参加した宇川直宏による音楽ユニット・UKAWANIMATIONのデビューシングル「惑星のポートレイト 5億万画素」(作曲・プロデュース:石野卓球)で本格復帰を果たす。5年ぶりの映画出演となった『TAJOMARU』(2009年/小栗旬主演)の将軍足利義政役で日本映画批評家大賞の審査員特別男優賞を受賞。2010年には東京・大阪で7年ぶりのライヴ(トーク&ミニ・ライヴ)ツアーを行なった。

2011年2月7日に、モデルの冨田リカと結婚。「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語った。晩年は芸能活動の傍ら、東洋思想や仏教研究に取り組んだ。

2018年、自身のレコードレーベル『Shoken Records』を設立。同年5月9日に22年ぶりとなるシングル「Time Flies」をリリースした[13]

2019年3月26日午前10時30分、都内の病院でGIST(消化管間質腫瘍)のため死去[14][15]。68歳没。2011年から闘病していたが、本人の強い希望で病名の公表を控えていた[15]。葬儀は27日に家族のみで営まれ、本人が以前住んでいた神奈川県鶴見近辺の斎場で荼毘に付された[16]。共演の多かった女優、高橋恵子桃井かおりは萩原の死後、追悼コメントを出している。

高橋是清役で出演したNHK大河ドラマいだてん〜東京オリムピック噺〜』が没後に放送されているが、『いだてん』に於ける萩原の主な出演場面は生前にほぼ収録を終えており、予定されていた残りの出演場面については放送に支障が生じないように対応がとられた[17]

評価・影響

松田優作[18] ら当時の若手俳優や次世代の俳優たちに多大な影響を与えた。また、アドリブを駆使した演技は前田吟[19] のような年上の共演者にも影響を与えた。さらに、 小堺一機[20]とんねるず[18]ダウンタウン[21][注釈 4]などのコメディアンやサンボマスターの山口隆[20] などのミュージシャンにも影響を与えた。

ディスコグラフィ

シングル

発売日規格規格品番タイトル作詞作曲編曲
ポリドール・レコード
1971年11月1日EPDR-1649Aもどらない日々岸部修三井上堯之PYG
B何もない部屋萩原健一沢田研二
1972年7月1日DR-1703Aブルージンの子守唄阿久悠加藤和彦瀬尾一三
B少年の魂
ワーナー・パイオニア / エレクトラ・レコード
1975年8月10日EPL-1257EAお前に惚れた阿久悠井上堯之
B兄貴のブギブギウギ三人衆[注釈 5]井上堯之
1977年4月L-87EA前略おふくろ藤公之介森田公一
B酒と泪と男と女河島英五
ミノルフォンレコード
1978年3月10日EPKA-1047A別れの詩東海林良大野克夫
B雨のしおり井上堯之
1978年7月1日KA-1127A時は流れて柳ジョージ井上堯之
B蜃気楼東海林良大野克夫
バーボンレコード
1979年5月1日EPBMA-1023A大阪で生まれた女BORO鈴木明男
B本牧綺談柳ジョージ上綱克彦
1980年6月1日BMA-1040Aムーンシャイン速水清司ドンファン
Bルーシー
1980年9月BMA-1050Aぐでんぐでん康珍化鈴木キサブロー
B砂時計速水清司
1981年2月25日BMA-2004Aラストダンスは私にDoc Pomus
訳:岩谷時子
Mort Shuman
B泣くだけ泣いたら速水清司
1981年5月BMA-2006Aホワイト&ブルー
Bフラフラ(春よ来い)萩原健一
石間秀機
篠原信彦
1982年3月BMA-2018Aハロー・マイ・ジェラシー速水清司
Bシャララ大津あきら篠原信彦
1982年BMA-2023AAh!Ha!
Bひとつぶの涙
1983年11月BMA-2038Aもう一度抱いて藤真利子もんたよしのり
Bセクシー・ロンリー・ナイト
1984年8月BMA-2047A九月朝、母を想い萩原健一篠原信彦
B54日間、待ちぼうけ
MOON RECORDS
1987年1月21日EPMOON-736A愚か者よ伊達歩井上堯之
Bめぐり逢い萩原健一速水清司井上堯之
1987年(非売品)MOSE-127ASee Saw速水清司
B
1987年7月25日MOON-746A桜子伊達歩長沢ヒロ
B萩原健一速水清司井上堯之
1988年4月25日MOON-762AAngel速水清司
BMa いいかァ I Love You門谷憲二井上堯之
1988年11月10日8cmCD10SD-14Aクリスマス・プレゼント萩原健一速水清司井上堯之
BShining With You
1992年9月10日8cmCDAMDM-60611Gambler井上堯之
2Angel速水清司井上堯之
東芝EMI / EASTWORLD
1996年1月31日8cmCDTODT-36601泣けるわけがないだろう松井五郎春畑道哉西平彰
2I Love Youさえ言えない
ミューズ・プランニング
2009年11月4日CDMS-101時代おくれ[注釈 6]阿久悠森田公一井上堯之
Shoken Records
2018年5月9日CDKHSR-18011Time Flies萩原健一
2Dejavu
3Good Action

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日規格規格品番アルバム
ワーナー・パイオニア / エレクトラ・レコード
1975年8月LPL-10009E惚れた
ミノルフォンレコード
1977年3月LPKC-9007Nadja〜愛の世界
1978年6月LPKC-9501Nadja2〜男と女
バーボンレコード
1979年6月LPBMC-4009Nadja3〜エンジェル・ゲイト
1980年7月LPBMC-4019Don Juan
1982年3月1日LPBMD-1015D'erlanger
1984年3月25日LPBMD-1026Thank You My Dear Friends
MOON RECORDS
1987年2月25日LPMOON-28040Straight Light
1988年5月25日LPMOON-28055Shining With You
Shoken Records
2010年CD-ANGEL or DEVIL〜2010 LIVE記念盤[注釈 7]
2010年10月6日CDDLCR-10092ANGEL or DEVIL

ライブ・アルバム

発売日規格規格品番アルバム
バーボンレコード
1979年10月LPBMC-7006/7熱狂雷舞
1980年12月LPBMC-7010/1Don Juan Live
1983年LPBMC-7015/6Shanti Shanti Live
1985年LP20BLC-3005/6Andree Marlou Live
1987年12月21日CD25BTC-173/180スーパーライブ大全集
1989年8月25日CD30BTC-261Thank You My Dear Friends Live
Shoken Records
2019年7月26日CD+DVDKHSR-0726Kenichi Hagiwara Final Live 〜Forever Shoken Train〜 @Motion Blue yokohama

ベスト・アルバム

発売日レーベル規格規格品番アルバム
1981年6月バーボンレコードLPBMD-1009White & Blue
1987年10月25日徳間ジャパンコミュニケーションズCD30BTC-165萩原健一 THE BEST10
1988年7月25日CD28BCP-2047ダイヤモンド・コレクション
1990年12月21日CDTKCA-30197BEST SELECTION
1995年12月21日CDTKCA-70787GREATEST HITS 20
1996年5月20日MOON RECORDSCDAMCM-4249愚か者よ
2003年10月22日徳間ジャパンコミュニケーションズCDTKCA-72560Enter the Panther
2003年10月29日ワーナーミュージック・ジャパンCDWPCL-10046
2004年12月22日徳間ジャパンコミュニケーションズCDTKCA-72792萩原健一 ゴールデン☆ベスト
2010年2月3日CDTKCA-10002萩原健一 ベストセレクション
2011年5月11日CDTKCA-73657萩原健一 ゴールデン☆ベストII
2017年10月25日IVY RecordsCDXQKZ-1032Last Dance
2020年7月26日ブリッジCDBRIDGE-297AS IF MARTIN BRANDEAUX-ワーナーミュージック・ジャパン・イヤーズ-
2020年11月25日徳間ジャパンコミュニケーションズCDTKCA-10551BEST SELECTION

作詞・作曲

作詞

  • 雨よ降らないで:テンプターズ
  • 「愛の小径」(作曲:かまやつひろし):テンプターズ
  • 「何もない部屋」(作曲:沢田研二):PYG
  • かまやつひろし「豚ごろしの歌」作詞:萩原、作曲:かまやつひろし(1970年)アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」に収録。同和問題を扱った内容により放送禁止となる。2000年再発CDは未収録だったが、2016年盤に再収録された[22]
  • 根津甚八「泣き笑い」作詞:萩原、作曲:速水清司(1986年)アルバム「PLAY IT AGAIN」に収録。

作曲

萩原のソロ作品では作詞多数。作曲は2018年発表のシングル「Time Flies」収録の3曲[23]

出演

※「 - 」は役名

映画

テレビドラマ

バラエティ番組・ドキュメンタリー番組・音楽番組

CM / 広告

  • ワンカップ大関 (1979年):神代辰巳が監督。神代は原田美枝子主演の映画「地獄」の撮影で悪戦苦闘しており、「東映って地獄のイメージがひどい」と萩原に愚痴をこぼしていた。
  • マンダム「ギャツビー」:萩原、松田優作がCMに出演した。
  • FLASH (光文社):講談社FRIDAYともめた後に、講談社系列の光文社の新雑誌のCM、広告に登場し、「私はこの手の雑誌にはキチンとしてほしい」と語った。
  • サントリー「モルツ」:「うまいんだなあ、これが」のセリフが話題になった[28]
  • YAMAHA「ジョグ」(1991年)[29]
  • マツダ「カペラ」(1994年)
  • 日新製鋼(1995年)

書籍

自著

萩原健一について書かれている本

  • 『狩人よ、しなやかに跳べ』(1975年12月10日、大和書房)- 桃井かおりとの対談を収録。
  • 『萩原健一と沢田研二、その世紀~涙のあとに微笑みを~』(2023年6月25日、デザインエッグ社・秋山大輔著、ISBN 978-4815038663)-萩原健一の出生から70年代の活躍までを中心とした評伝。

新聞連載

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 『日本のタブー――芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月。ISBN 978-4813066675 

外部リンク